二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

「四日間の奇蹟」インストの謎

2005-08-29 22:32:51 | 映画「四日間の奇蹟」
ずっと気になってるのですが。

映画「四日間の奇蹟」のプロモーション映像として、Biglobeで俳優へのインタビューがみれるのだけど、主演の吉岡秀隆へのインタビュー(約2分)の時に、弦楽のBGMがある。その曲がけっこう気に入って、「四日間の奇蹟」のサントラに入ってるかなぁ、と楽しみにしていたのだが、、、なかった。

おいら、クラシック音楽に詳しくないので、出典を知っている人がいたら、どうぞ教えてください。

クラシックでないとしたら、「敬輔のテーマ」by加羽沢美濃なのかなぁ、、、と思ってみたり。

「ドーーーレミファソーミレド、ファーーーミレドシーラドソ、ソーーラファミ、ソーーードドレ、ミーミーミーレーソー」と言う感じの曲です。何となく。淡々と安定して包み込むような柔らかい基調に、でも時々陰影のあるゆらゆらとした感じが、「敬輔」っぽいんですよねー。まぁ、いささか少女漫画チックではありますが。とりあえず、「祈り」が似合う曲だなーと思うのです。
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天使の詩

2005-08-10 23:05:01 | 映画「四日間の奇蹟」
出張のときは「Eternally」なんかが流れてると、癒される。そんな今日この頃。

まだしつこく「四日間の奇蹟」のことを思い出す(我ながら粘着質?薄く長く、と思っていただければ幸いです^-^;)

吉岡秀隆が、主人公敬輔のことを称して「片翼だけの天使」と言っていた。「四日間の奇蹟」のストーリーを考えるにつけ、彼が敬輔像をそうとらえたことで、あの映画は随分ときれいに「ろ過」されたんだなぁ、、、と思う。

だってさ、邪推すれば、この御時世、つっこまれるとやばいんじゃないか、って展開も含んでるんだよね、この作品。ゆえに、TVドラマ化は難しいだろうなぁ、って気がする。佐々部監督が無類のロマンチストだったことと、吉岡が敬輔を人間じゃなく「天使」と解釈したことで、この映画は性的な生々しさを失って、純化できたんじゃないか、と思う。(それを望んでた、と確か佐々部監督は言ってたと思う。)

いわゆる「愛憎」が苦手なおいらにとっては、酸素ボンベみたく、気持ちのいい映画だった。吉岡の背中にはりぼての翼があっても、思わず信じたくなるような、それほど「敬輔」は生身っぽくなかったんだ。

それで、思い出した。天使、という造形。

「ベルリン~天使の詩~」。

ヴィム・ベンダース作。モノクロの画面の中で、くたびれた風情で分厚い外套を着込んだおっさんたちが、天使だ、という、なかなか味わい深い作品だった。読書してるのと錯覚するぐらいの膨大な字幕の量だったので、観客の半分は寝てた気がするけど、今振り返れば、夜中に他人のblogや日記を覗いてるような、そんな危なっかしい親近感を感じさせる映画だったんだなー、と思う。

主役のブルーノ・ガンツが、ものすごくおっさんなのに、とても純粋な「天使」に見えた。オットー・ザンダーもしかり。

あのおっさんたちの無骨な無機質さ、と、吉岡の繊細な立ち姿は、違うのかもしれないけれど、ものすごく通じるものもある、ように思うんだ。

「天使」があんなだったら、おいらは天使が好きだ。あんな天使になってみたい(っつーか、なれねーってのは百も承知で(笑))

んでさ、どんなに悲惨でも救いはほしいんだよね。だから「天使」が救われる「四日間の奇蹟」も「ベルリン」も好きなのだ。

(「ベルリン」の続編の話はパス。あの方がいい、っていう人もいるらしいけど、おいら的に、あれはいまだに認められん。いい、と思う人は、どうか、おいらを論破してください。)
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なんだか。。。

2005-07-18 22:13:41 | 映画「四日間の奇蹟」
下の記事が、支離滅裂で不可解なものになっている。
でも、伝えたいこともあるので、とりあえず消しません。不遜な思い上がりの発言に思える箇所もあります。不愉快に感じられた方、すみません。(あやまってすむ問題でもないが。監督が観たら怒るかもな。えらそーな書き方だし(汗))

とりあえず。誰も傷つけたいとは思っていないのです。それは確かです。「四日間の奇蹟」も秀作だと思ってます。その点、立場をはっきりさせておきます。

実は、他の人がこの作品「四日間の奇蹟」にどんな感想を持ってるか、知りたいんだよなー。なんか、ピンとくる評論がなくて。そんで暴発して書いてるわけです。でも、所詮は勝手読みなのかなぁ。。。(ええい、ここらで打ち止めじゃ。仕事に戻れ!<自分)
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語らない物語

2005-07-18 21:54:59 | 映画「四日間の奇蹟」
連休を利用して、長距離を走った。その中で徒然に考えたこと。(BGMの一つは「四日間の奇蹟」のサントラだったので。)

以前、「阿弥陀堂だより」が「四日間の奇蹟」と似ている、似てない、を考えたことがあった。

もちろん、作品傾向は全然違う(詳細は過日のブログの通り)と思うんだけど、一つだけひっかかった。共通点は、あるように思う。

「阿弥陀堂だより」は、パニック障害の患者を描いた作品だ。でも、作品中でパニック障害が生々しく描写されることはない。一見すると、とても軽い描き方で、それに拍子抜けした客もいたようだ。

「阿弥陀堂だより」は、そのかわり、パニック障害の患者さんも観ることのできる映画になった、らしい。(どっかの感想で読んだ。それを真実だとすれば。)それを知った時に思ったのだ。刺激を与えるためではなく、傷ついた人が安心して観られる映画作り、ってあるのだなぁ、と。

そして、「四日間の奇蹟」。自分の命が長くない、とわかっている人には、辛い映画だと思う。自閉症の患者さんが身近にいる人にとっても。夢破れた人にとっても。そういう人は観ることができないかもしれない。でも、もしかしてそんな人達が観てくれていたら、、、「私はあなたを尊重します」というメッセージがこめられているように思う。

佐々部監督は、この映画を満たすものとして、刺激やらドラマ性、健康な人間の娯楽としての要素よりも、「傷ついた人への、オブラートに包んだ『語らない』優しさ」を選んだのかもしれない。(それが、事故のシーンのちょっと迫力のない描き方、真理子の臨終のシーンでの医療装置の介在しない理由なのかも。なんてね。映画のあちこちにある「空々しさ」とも勘違いしてしまいそうな「非現実感」は、もしかしたら意図的なものかもしれない。だってこの御時世。写実的にしようと思えば、いくらだってできるはずだから。)

「語らないこと」は、難しい。それがちゃんと受け手に伝わるか、どうかも含めて。でも、それに挑戦することは、今の時代の中で、とても美しいことだと思う。表現の自由を、こんな風に志向する人、って稀少だと思うから。

「四日間の奇蹟」のサントラ、「ありがとう、みなさん」でのオーボエとチェロ(だろうか?)の旋律を聴いているだけで、最後の3人の後ろ姿と、握った手がフラッシュバックする。やがて、誰にも訪れる日。終わりの時。あんなに淡々と描いていたのに。だからこそ、えぐるように残る映像もあるっていうことか。この映画は、傷ついた人達には、どう映るのだろう。(まぁ、誰でも傷は持ってるものだから、そういう分け方はナンセンスなのかもしれないけど。通常より逆境にいる人、っつーことで。)

それでも。おいらは、年老いた両親にこの映画を観てくれ、とは、とても言えないのだけれど。偶然に観てしまうなら、観てほしいと思えるのだ。そんな時は、黙って隣で一緒に観たい。同じ運命を持つ、同士として。

そして。10年も前に逝ってしまった、優しすぎた友や、寂しすぎた師に。「後10年待っていてくれたら、この映画お薦めだったのにな。」なんて、言いたくなる。ほんと。10年前に、こんな映画はあっただろうか。あればよかったのにね。

(「四日間の奇蹟」は、細かいところで突っ込みどころも満載^-^;なんだが。総論として、その意義を語ってみました。)
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笑顔の相似形

2005-07-07 00:16:53 | 映画「四日間の奇蹟」
自分の中で盛り上がり続けてる、「四日間の奇蹟」熱。見に行けないので、そのせいかも。

サントラを聴きながら、ライナーノーツを見ている。

大きな写真が中央にある。海岸を幸せそうな笑顔で歩く、敬輔。真理子。真ん中の千織の後ろ姿。

ああ、そう言えば、この写真、パンフレットにもあったかなぁ。。。と思いながら、つくづくと観る。

ふと、気づけば。
笑顔の相似形。

敬輔と、真理子。2人の横の向き方、笑顔の形が、とてもよく似ている。

もともと、吉岡秀隆と石田ゆり子は雰囲気にているなぁ、と思っていたけど。ああ、こんなに同じような笑顔ができるんだ。

それは、狙ったものではないかもしれない。でも、この写真を撮ったカメラマンはすごいね。

千織を真ん中に、2人の姿。二つの魂が二重写しになったようにさえ、見える。敬輔の中に、真理子。真理子の中に、敬輔。2人の気持ちが、本人達も知らぬ間に重なり合ったようだ。

真理子は「千織の中に自分を残していく」と言ったけれど、敬輔の中にも、きっと、大事な心を託していったのだろう。そして、敬輔は、真理子の中に、彼の強さと優しさを分けてやることができたのかもしれない。

映画の中に無かった場面だからこそ。象徴的に、色々なイメージを呼び起こす。

本当に、奇蹟みたいだ。
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「四日間の奇蹟」を聴きながら

2005-07-06 22:25:12 | 映画「四日間の奇蹟」
連投~!!!(明日からはこうはいかないだろう、という、まさに「今日が、私にとって、最後の一日」的状況で(泣笑))

サントラ「四日間の奇蹟」を聴いている。これが聴きたかったんだよなぁ。。。メインテーマ。これがいいんだ。奇しくも、佐々部監督がライナーノーツで書いている。「優しさに満ちたフランス映画のような趣です。」

おおっ!そう思ったのは、見当違いではなかったわけだね。ちょっと嬉しい。(メインテーマと教会の屋根と、遠くの空。細い活字のタイトル。あの場面は本当にヨーロッパ映画っぽい上品さがあったんだ。)

一通り聞き終わって、満足。(あ~、映画また見に行きたいんだがな。。。)

ところで。映画の中で弾かれたピアノ曲について。聴く人はどんな印象を持っているのだろう。おいらは、過去の記事でも書いたように、基本的に吉岡秀隆の「月光」は、よかった、と思っているんだけど。

曲の内容を評価するのは難しいなぁ、と思う。だって、評価の基準がわからない。ある曲がいいと思うかどうかは、(あまりに稚拙な場合は除いて)趣味に合うかどうか、が大きいと思うから。

たとえば。「月光」に対するおいらの嗜好はかなり偏っている。

このサントラの「月光」じゃ、乗れない。CD文庫「時の踊り」の奴もだめだった。他のピアニストもダメ。今のところ、聴いていて心地よいのは、ホロヴィッツの(多分異なる収録の)2曲だけなんだ。(もちろん、全ピアニストを聴き比べたわけじゃないけど。)

他には、意外にも「四日間の奇蹟」で吉岡が弾いていた時の音。

本当に、これは趣味の問題なのだろうけど。だから、ふと思ったのだ。あれは「吉岡の弾いた音だ」と言われていて、おいらもそのように受けとめてるけど、あれが、誰かプロの吹き替えだったとしても、きっと、おいらはそれを「いい」と思うだろうな、ということ。(少々の?な部分はあるけど、全体の印象として。)

他のお客さんはどうなのだろう。あれが「吉岡が弾いた音だから」いいと思うのだろうか。あるいは、拙いと思うのだろうか。あれがもし、プロの吹き替えだったら、似たような音でも評価は変わるのだろうか。。。

とりとめのないことを、考えてしまった。

おいらがホロヴィッツ&「四日間の奇蹟」劇中版の「月光」が好きな理由の一つは、テンポの遅さと、低音の響き具合なのかもしれない。(あとは色々と細かい要素もあるのだけれど。ホント、趣味の問題だなぁ、と我ながら思う。)

あなたのお気に入りの「月光」は、どんな音ですか?きっと、それは聴く人の数ほど、解釈があるのだろうな。そしてもちろん、弾く人の数ほど。

たくさんの「月光」が存在すること。そのことに感謝を捧げよう。その中に、おいらの求める「月光」も、存在しているのだから。

(まぁ、所詮素人の戯言、なんすけどね。)
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一瞬の続き

2005-06-30 22:42:23 | 映画「四日間の奇蹟」
一片一片、花びらが落ちるように、時が降り積もってるな~、という毎日です。
(実際は、プランクトンが降り積もるように、、、だよなー。かっこつけすぎ。)

家族からはあきれられてる。大丈夫だよ。それほど仕事に入れ込んでるわけじゃない。病気にならない程度に手抜いてるから平気さ。

でも、新しく配属された後輩がそろそろやばくなってるから。そっちの方が心配。つぶれんなよ~。愚痴はいくらでも聞いてやる。頼むから乗り切ってくれ~。。。

てな日常の中で、非日常を求めるわけで。(とりわけ、明日がXdayだったりする、こんな時には。)

しょーこりもなく、「四日間の奇蹟」
客入りはどうなってるのかな。あの映画。思い出すほど味わい深い。

原作も時々思い出す。読んだ時の驚きと嬉しさ。「こいつ、理解できる。」という喜び。恋愛なんて眼中になくて、自分の能力にしかアイデンティティを持たず、運命を呪い、良識にすがり、ちっぽけな「個」の範疇でもがいている男。ベートーヴェンにあんなにのめり込んで。客観的に観たら恥ずかしいくらいの切羽詰まりようで、やっと世の中と折り合いをつけている、哀しいぐらい正直な人間。

自分がいっぱいいっぱいなのに、人を傷つけたくなくて全力を尽くすから、かえって存在自体が希薄になってしまう人間。

Silent majorityという言葉が思い浮かぶ。発言しない多くの存在者達。そんな静かなもの達の息づかいを、間近に感じたように思う。そんな造形だったのだ、敬輔は。(「天才」という彼の特徴にも関わらず、彼の醸し出すイメージは、あくまで「良識的な普通の男」だ。)

そして、その静かな中に一貫して木霊する、彼の叫び。「俺の俺たる存在の証を返してくれ!」失われたものへの、限りない執着。それは、生々しい人の姿として、彼の静かな表層と対照的に、炎のように小説の全編から立ち上っていた。

そんなアンビバレンスが、小説の際だった部分だったように思う。

映画の敬輔は、小説版よりもさらに悲劇的に見える。
なぜなら、映画版の敬輔は、諦念の中で自分の感情すら封印し、ひたすら、善意の人になろうとしているから。彼は、「指と共に死んだ自分」を意識し、どんな願も自分に許そうとしない。千織のために生きて動いてはいるけれど、自分のために何の望みも持てない。彼が「自分」を意識するのは、動かない薬指に気づく時だけだ。そんな風に見える。

自分を殺し、絶望の中で過ごす敬輔にとって、いないはずの「自分」を「好き」と言われ、求められ続けた4日間は、(応じる余裕はなかったにしても)至福の時だったのではないか。

真理子にとって、ほとばしる自我を終わらせるために必要だった四日間は、敬輔にとって、枯れた泉を掘り起こすように自分を取り戻すきっかけになる四日間だったのかもしれない。

そして、対照的な2人が交錯した四日間を創り出したのは、ある意味「自分」を持たない存在である千織だ。

そんな千織も、真理子の憑依により影響を受けたせいか、多少なりとも「自我」らしきものを最後に手にする。

なんてデリケートでもろくもしぶとい「自我」よ。

もしかしたら、この作品は「自分、って何?」という恐ろしくも深遠な問いに答えようとしているのかもしれない。なんてことを、つらつらと思いつく。

支離滅裂だな。やっぱ、おいら疲れてる。仕事に戻ります。。。
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「四日間の奇蹟」もう少し

2005-06-28 23:25:19 | 映画「四日間の奇蹟」
手一杯な状況をやり過ごしつつ。(今日も仕事が終わらない。。。)

ぼけーっとしたいなぁ、と思うと、次の瞬間、「四日間の奇蹟」をもう一度見たいなぁ、と思う。そろそろ画像も音も荒れてくる頃だけど、できることなら大画面でもう一度。

2回見ただけだけど、けっこう映像として、また音として、記憶に残っている。

一番残っている絵は、角島に渡る、長く白い橋。何とも言えない美しさだった。多分、あの「絵」だけで、この映画はファンタジーとして成立する。ああいう橋の技術だけでも、国際的に誇れる域なのではないだろうか、とか、つい余計なことまで考えてしまった。(これは映画とは全然関係ないですね。失礼。でも、景観的にも優れているなぁ、とほれぼれしたもので。)

次に好きな絵は、冒頭でタイトルが出るところ、教会の錆色っぽく色あせた屋根と、その向こうの海の構図だ。何だろう、とても控えめでさりげない美しさがあった。ヨーロッパ映画みたいな雰囲気、といったらわかってもらえるだろうか。とてもクラシックで上品だったのだ。

その他、千織が恍惚としてピアノを弾く場面も、敬輔が未来に「千織ちゃんを憎んでいるのでしょう」と言われ、激情が突き抜けて静かに目を閉じて耐える場面も、サンドイッチを食べながら、憔悴しきった笑顔で、口調だけは気丈に未来に語りかける真理子の姿も、、、うん、色々覚えてるもんだな。

ああ、変なことに気づいた。この映画の主要人物は、疲れ切った人ばっかりなんだ。だから、見ていてすごく安らげる(?)、というか、押しつけがましさを感じない。存在の希薄さ、危うさが、優しさに近いように思えてしまうんだ。

へとへとな人間も悪いものじゃないかな、なんて思う。(自分がそうなったら、「冗談じゃない」と思うだろうが。)

全編通して流れるピアノ曲もいい。特に「月光」と「別れの曲」。「別れの曲」の場面はとても好きだ。あの2人が寄り添って生きていく姿が、とても暗示的に描かれていたと思う。そして、多分、あの場面は2人とも実際に弾いていたんだよね。(音は吹き替えかもしれないけど。)弾きながら頭を寄せ合うところに、ちょっと「ピアニスト」を感じた。弾くことで幸せになれそうな2人、に見えた。

あまり、大したことは書けなかったが。あと一週間頑張れ、の気持ちをこめて。
まだ観ていない人、映画館へ急がれたし。いい映画です。
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「四日間の奇蹟」雑考

2005-06-22 23:30:25 | 映画「四日間の奇蹟」
忙しくてそれどころではないのに、2度目の鑑賞。日曜の夜のレイトショー。カップルに紛れて。

何でこんなに観たかったのだろう、と自問する。2度目のせいか、全然泣きもしないし、仕事のことで頭がいっぱいだから全然浸れなかったんだけど、見終わった後で、損したとは思わなかった。

余裕のない心にも、降り注ぐ、灯台の光。押し寄せる、海の風。夜を満たしていく、ピアノの音。フラッシュバックのように繰り返す、この上もなく寂しい笑顔。全ての情念を透過する、波と空。少女のまなざしと、女性の透明な涙。どこまでも遠く続いている、白く優雅な橋。

心をどこかに置き忘れていても、からっぽの器がかすかによろこんでいる、そんな気がした。

この映画で満たされるのは、何も求めない人かもしれない。ぎらぎらした欲望や要求にあふれたこの世界で。疲れ果てた人は、この映画の中で、深く傷つきながら、同時に深く癒されるだろう。きっと。

まるで、無欲さを測る試金石のように。この映画は密やかに問いかける。

この映画に響くことのできた自分は幸せ者かもしれない。自己満足でしかない、あいまいで果てしない世界で。それでも、歩いていく毎日のために。永遠に自己完結しながら、そっとつぶやく。

監督、そしてこの映画に関わった全ての人に。ありがとう。心から。
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四日間の奇蹟(とりあえず、ここで打ち止め)

2005-06-17 00:25:42 | 映画「四日間の奇蹟」
連投です。

一番好きなシーンは、最初のタイトルが出るシーン(写し方とか間がヨーロッパ映画みたいだから)と最後の場面(教会にみんなが集まる場面)だ。後半のどこがツボかは、究極のネタばれなので、、、、お好きな方だけ、下を見てください。
















千織が、うさぎを敬輔に押しつけ(この押しつけ方がかわいい、というのは蛇足)、左手で誰かと手をつなぐ。実は、その手は死んだはずの真理子。

何がいいって、、、真理子の表情が最後まで見えないところなんだな。ちょっとうつむき加減に、千織に手をひかれて教会に入っていく真理子。

表情が見えないことで、「あ、真理子は死んだのだ。ここにいるのは、幽霊の真理子だ。」と感じて、ちょっとぞくっとした。そのシーンがまた、優しく穏やかなものだから、「鎮魂」という言葉が浮かんで、すごく印象に残った。その後、すぐステンドグラスのアップに変わるから、気分が変わるのだけど。

ステンドグラスのシーンで眼をそらされなかったら、ある意味すげー複雑な心境で見終えることになったと思う。(死について、とかまともに考え込んじゃったような気がする。)

そう考えてみると、ずいぶん、いろいろなところで技とか配慮があるんだよな、この映画。

べたなところはとことんべたなんだが。

いい映画だったです。(そろそろこの辺でお開き。気づいたら、明日期限の仕事が、、、Oh, my!)
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天使達のように(「四日間の奇蹟」補足)

2005-06-16 23:56:47 | 映画「四日間の奇蹟」
四日間の奇蹟、補足。

おいらにとって、この映画は「リアル」だった。ファンタジーなんだとは思いながら、そこに描かれている人は、身近にいそうな気がした。

***

個人的な話で恐縮だが、おいらの知人の女性は、他人に尽くすことで自分の不幸を癒してきた人だ。趣味も娯楽も知らない。おいらは、そんな彼女にちょっとでも変わってほしくて、おいらが唯一できるゲーム、つまり囲碁を教えた。

そんな彼女が囲碁教室に行くようになって、最近1人の女性にとても助けてもらっているらしい。その人は明るくて優しくて、彼女のことをいつも気にかけてくれる。(さすがに囲碁教室は男ばっかりらしいから。)

その快活な女性は、大学生のお嬢さんを脳腫瘍で亡くされた。以来、何年たってもまだそのことを現実のこととして実感できないのだという。

彼女は、喪失感を埋めるように他人を助け続ける。夫を介護し、他人を助け、いつも明るく忙しく過ごしている。

話を聞くだけで、おいらは切なくなる。世の中に、笑顔で人を救いながら、どうにもならないことに苦しんでいる人はどれだけたくさんいることか。

***

「四日間の奇蹟」に出てきた様々な患者さん達や家族達。彼らを観ながら、その人達の心の奥に広がる喪失感や苦しみのことを考えた。

敬輔の苦しみ。真理子の苦しみ。千織の苦しみ。倉野医師の苦しみ。患者さんの苦しみ。家族の苦しみ。でも、そこには、優しさも安らぎも、同時にあるのだ。そして、優しさは、苦しみを埋めることはなくても、苦しみに寄り添い続ける。

言葉で語られない、人の奥に広がる荒野の何と圧倒的なことか。

そして、死んでいった千織の両親の、語られなかった人生。そこにあっただろう豊かさと哀しみ。

安易な同情や感傷にならないよう気をつけながら、また、観に行きたい。そう思う映画だった。
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四日間の奇蹟を観た(ネタばれあり)

2005-06-16 23:35:06 | 映画「四日間の奇蹟」
ついに観ました。煮詰まりすぎて仕事も進まない、とゆーことで色々と自分に言い訳し、職場には当然「病休」っつーことで(笑)。明日から来週まで息着く間もなさそーなんです。自衛のための休暇を要求します、ってなことです。(わがままだってわかってるけどさ。)

おいらの他には、年輩のサラリーマンとか、地味そーな大学生とか、、、何か男ばっかりなんですけど(苦笑)。「お前らどーゆー事情でこの時間帯に、しかも1人でここにいるんだよ?!」とか心の中でつっこみつつ(当然、おいらも彼らにつっこまれていることと自覚しつつ)、全員が行儀良くエンドロールまで堪能した後は、皆足早に黙々と立ち去っていったのでした。平日の映画館っておもしれー。。。^-^;帰り際にちらっと見えた映写技師の兄ちゃんは、今日の観客の中に何か共通点を見つけただろうか。そんなことがちらっと気になるおいらも自意識過剰だな。

映画の感想としては、予想以上によかったです。自分の趣味に合う映画だ。ちらしを読んだら、佐々部監督が「悪人が出てくるような映画は作りたくない。自分の家族に誇れるような内容の映画を作りたい」ってインタビューに答えていた。納得。これなんだな。彼の原点は。

すごいと思ったのは、一歩間違えばわざとらしくなってしまいそうな、そんな性善説のストーリーの中で、映画の中の登場人物達が、偽善的にも人工的にも見えず、皆、「生きて」感じられたことだ。最初(年少故に)心配した尾高杏奈ですら、「人形」ではなく、きちんと「生きて」いた。すごいよ、本当に。

唯一違和感を覚えたのは「落雷」の場面と、「患者達が真理子の見舞いに来る」場面の構成だったけど、これはおいらの行動パターンにないから、というだけのことだろう。雷があんなに鳴ったら千織は怖がるだろう、とか、しかも雨までぱらつき始めたら、ダッシュで屋内に戻るだろう、とか。(でも、滅多にないくらい千織は興奮して遊んでたのだから、雷も気にならなかったのかも。と解釈。)患者さんが病院に押し寄せたからって、平田満演じる藤本所長があんなに大声を出すことはないだろう、とか。(でも、彼も動転してたんだろうな。と解釈。)

石田ゆり子がとてもよかった。彼女があんなに美しいとは、はっきり言って今日初めて気づいた。彼女の哀しげな笑顔が胸に焼き付いている。難病ものとはまた違う、苦しみを背負った、でも、限りなく透明な笑顔。

尾高杏奈も、怖いぐらい石田ゆり子に見えた。いや、真理子か。最初は「大丈夫か?」と思ってはらはらしたが、気づいたら、千織の顔が写っているのに「真理子は今何を思ってるのだろう」なんて考えていた。

倉野夫妻も、長谷川未来も、他の人達も皆、よかった。松坂慶子は、本当にいくつになっても綺麗だなぁ。。。と感動。(おいら、吉永小百合とか、松坂慶子、倍賞千恵子、浅丘ルリ子なんて大好きだから、もう出演してるだけで感激なんだけど。)

そして、吉岡秀隆は、最高だった。例の「どこまで吉岡でどこまで敬輔なんだ」状態で、心地よく観客を酔わせてくれた。ピアノも最高。彼の「月光」の解釈は、すげー好みだ。あのテンポ。あの音。うん、敬輔はそう弾くんだな、と思わせてくれた。(運指は片方の眼だけで観てたけど、それでいーんじゃないかと思う。いや、実際うまかったよ。)吉岡のピアノ指導の村松嵩継って人はぐぐっても、ほとんどわからない。メイキングに一瞬写ってたんだが。彼の弾く月光も聞いてみたくなった。(弾いてるかどうか、知らないけど。)

千織が、敬輔や真理子の寄り代になって、彼らを救ったように、吉岡は、観客の寄り代になって、観客の心を浄化してくれるんだな、と思った。おいらは、吉岡になったつもりで、千織や真理子を見守りながら映画を体験した。それは、吉岡の演技と心の故だと思う。だって、台詞はすごく教条的なのに、「ああ、こいつは苦しみながら心底そう思っているんだ」と感じさせてくれるんだから。本当に、「自覚のない天使達の物語」だ。心が温かいもので満たされて、映画館を出ることができた。ありがとう、心から。
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またもや。こりもせず。

2005-06-14 01:15:11 | 映画「四日間の奇蹟」
ユンケル飲んだら、今頃になって効いてきたとです。寝るかなー、起き続けるかなー、微妙なとこですね。

「四日間の奇蹟」に出演した石田ゆり子嬢によると、女性は初恋をいつまでも引きずるものではないらしい。賛同する一般女性のコメントなんかも発見したので、きっとそういうものなのだろう。

初恋か。何をもって初恋とするかは、わからないけど。(おいらの初恋は3歳前だしね。)

大切な恋であっても、大切な人であっても、いつまでも思い続けるものでもないわけか。切ないね。いや、それは次の恋のための祝福なのか。

中途半端に長いことひきずる恋だってあるでしょう。数々の映画で描かれているように。それともあれは幻想、妄想なのか。

いや、別にいーんだけどさ。完璧に否定されて、ちょっと寂しかったのれす。それだけ。
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心から

2005-06-10 04:03:34 | 映画「四日間の奇蹟」
夢は迎えにきてくれない。あがいてあがいて、明るい方へ手を伸ばすしかない。

友好関係を結ぼうと、降参した犬のように仰向けになって腹を見せれば、蹴りを入れられることもある。

人生だのう。。。と、体感している今日この頃。

あなたの日常には優しさがありますか。願わくば、あなたの周りに笑顔がありますように。そして、あなたが笑顔を生み出せますように。

話は突然変わるが、「四日間の奇蹟」という映画がある。おいらのように疲れた人種には効く映画らしい。観に行きたいのだが、いかんせん、時間が足りない。この日本中で、そんな人はたくさんいるのだろうな。

悔しいから、観られない間にハリウッドにでも進出してくれないかな。(観る頃までに付加価値増強(笑)。)主演の吉岡は昔リチャード・ギアと共演(?)してるわけだし。吉岡、ギアに手紙でも書いて売り込んで、単館上映からでも始めれば(そんなことができるのかどーかはわからないが)、ある種の人達の支持は得られると思う。アメリカにも、疲れた優しい人はたくさんいるのだから。(かの国でおいらが出会った人の半数以上は、日本人以上にピュアでストレートで優しい人達だった。ま、ミネソタ、フィラデルフィア、ニューヨーク限定だけど。)石田ゆり子のアルカイックスマイルが、宮沢りえのようにアメリカンに受け入れるかどうか、知りたい気もする。多分「大ヒット」はしないだろうけど、「ちょっと注目」されるんじゃないか、なんて思ったりもするのだ。そーすりゃ、人気も逆輸入。日本人はそーゆーのに弱いから、こぞって観に行くぜ。

所詮寝不足でもーろーとしたおいらの妄想だが。妄想ついでにキャッチコピーは"This is a story of angels that don't know they are."あたりか。「自覚のない天使達の物語」ってとこでどうだ?わはは、べただなぁ。

えらい誇大妄想になってしまった。別にハリウッドに進出してほしい、とか、心底そういうわけでもないのだが。

とりあえず、これもエールのつもり。心から。
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