二つ星の空

(旧「風からの返信」-11.21.09/「モーニングコール」/「夢見る灯台」/「海岸線物語」)

佐藤健、阿部寛に追われる“容疑者”に!「護られなかった者たちへ」映画化・・・らしい!

2020-03-28 21:43:35 | 吉岡秀隆
おお、映画化!

何が凄いって、、、吉岡秀隆も出演しとるんやで。
しかも、

吉岡秀隆:上崎岳大(国会議員)

くぅ~っ、見るからに「ワル」そうじゃん^-^;

映画「峠 最後のサムライ」の岩村精一郎に匹敵するワルの匂いがする。。。(おいら、原作知らんけどね。でも、ミステリーにおける「国会議員」の役回りってさぁ、、、うん、完全に偏見ですが。)

おいらが言う「ワル」の意味は、悪役、という意味ではなく(おそらく、悪役としての立ち位置はあるとは思うが)、むしろ、描かれる人間像として、主人公側ではない、「正しくない」人、共感しにくい人としての造形であろう、という意味です。

そういう役に、吉岡が挑む、ということ。
それが、何だか、わくわくする。(まぁ、半分は「おい、いいのか?」という気もするけど。)

さっきまでやっていたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、本木雅弘が密着されていた。
まさに、本木雅弘さんも、今54になって「悪役」を模索しているようだ。

彼の模索の仕方って、すげー面倒くさい(本人もそう言っていた)感じで、それでも、何やっても本木雅弘はかっこいいので、「ちくしょー、こんなにぐだぐだなこと言ってて男前でかっこいいって、それこそ詐欺だぜ、、、」とやけ酒飲みながら視聴していたのです。

(実際、いかに本人がダメ出ししようと、「麒麟がくる」の斎藤道三は無茶苦茶かっこ良く変人で恐ろしくも魅力的な悪役として立ち上る存在感があるわけで、、、)

それでも、本木さんがそんなにもがいているというのは知らなかった。
彼のぼやきの半分以上、おいらも共感できるから、おいらもそんなに変人じゃなくて人並み?かな、って思えて嬉しかったけどね。(あれほどの自意識は持てねぇけどな!(汗))

話は戻るけど、そんで、「悪役をやって、今の自分を広げたいと思った」という本木さんの(言葉にするとありふれているようだが、切実さが身につまされる感じの)告白の後に、「護られなかった者達へ」の映画化、吉岡の出演の話を知って、何だかつながってるなぁ、と思ってしまったのだ。

吉岡は、ある意味、一時期は「正義の味方」ばかり演じてたと思う。(医師、教師、弁護士、裁判官、検事、警察官、エンジニア、音楽家、etc.)
そのことは、おいらとしては、吉岡自身のためにもよいことだと思ったものだ。

なぜなら、「黒板純」も「諏訪満男」も、他の若い頃演じていた役も往々にして、正義の味方ではなく「モラトリアム(正悪保留の不安定さ)」の象徴みたいな存在で、だから、その分、演じること自体が自意識や価値観を危うい状態に置かなければ演じられない役の感じがして、大変そうだなぁ、と思ったからだ。

一度「正義」の側に立って、揺るぎない価値観の元に強い存在感を出す、というのは、吉岡の精神衛生上もいいんじゃないのかな、と思った。(そういう意味では、コトー先生なんて、ほんと、癒やしの配役だったと思う。この役を演じられてよかったな、と思ったものだ。)

その一方で、「朗読屋」みたいな、迷いつつもモラトリアムから一歩踏み出そうとする男も演じたりして、吉岡は、幅広い人間性の解釈を演じて見せてくれた。

今、あまり視聴者が共感しないタイプの役を演じる時期になっているのかな。彼自身がそれを望んでいるのだろうか。だとすれば、本木兄貴(ラストソングでは兄弟みたいな役だった)と同じ心境になっているのだろうか。

そんなこと徒然と無駄に考えつつ、、、

そうそう、吉岡氏、「天国からのラブソング」よかったぜ。なんか、ほのぼのした。(まだ、前半しか見れてへんけど(爆))

「目撃!にっぽん」もナレーションよかった。吉岡のナレーションのおかげで、途中で目を背けたくなる現実を、ずっと見続けることができたよ。ありがとう。

そういえば「小さな神たちの祭り」もよかったな。物語自体も、ファンタジーの要素がうまく映像化されていて、引き込まれて観た。吉岡の役回りが、「おお、こういう役を演じる年になったんだなあ。。。」としみじみしてしまったが。

吉岡氏。「週刊ジャンプ」で掲載中の「アクタージュ」でヒロインの一人が言ってたけどさ、「しわしわのおばあちゃんになっても、私たちは役者なんだから。」って呟きを、あなたの演じる姿からも感じているよ。きっと、あなたは、迷いながらも、いろんな人間を、これからも演じ続けてくれるって。そうして、観る者に、人の姿を、人の心を、感じさせてくれるって。(「そういうの、言わないでほしいんだよな!」って怒るかな。ごめんな。ファンって身勝手なんだよ。)

たくさん、いろんな人を演じてほしい。吉岡氏の演じる「人」を観るのが、おれ、楽しみなんだ。応援してるぞ!

誰もいない崖っぷちで、風に向けて一人戯言を放つ、酔っ払いでした。

寒いな。みんな、あったかくしてよい夜を。

追伸:「麒麟がくる」おもしろくて、毎週、つい観てしまう。脚本の池端俊策さんが凄い。「大仏開眼」の時も思ったけど、登場人物の描き方が魅力的なんだよな。そんで、何というか、品がいい。歴史的解釈も新研究も取り入れていて科学的。すごく好きだ。吉岡も、また、こんな作品に出てほしいな。
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むらさきの雲のうえへにぞみをやどす 風にみだるる藤をしたてて (明恵)

2020-03-21 19:03:35 | Weblog
記事連投。

今日、あまりの頭の重さに危機感を覚え、自分の好きな言葉なんかを探してたんだけど。
明恵(みょうえ)上人のタイトルの句を知って(今まで知ってたのは、月や島関連の歌ばっかりだった)、気になったので記しておこうと思う。

「紫の雲の上へにぞ 身を宿す 風に乱るる 藤を 仕立てて」

ってことなのかな。

いまいち、意味を確定できないのだが、常人にはたどり着けない境地にいらっしゃった明恵様のことだから、文字通りの意味なんだろうか(汗)。すげー。

「風にみだるる藤をしたてて」ってとこが、風好きの自分にとっては、何とも鮮やかで身に迫るイメージを想起させる。

ああ、きれいだ。

明恵上人のおっしゃる「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」の気持ちで、虚心に務めを果たしたいんだけどね。
う~ん、頑張ろう。自分。
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明日あると 思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

2020-03-21 18:42:37 | Weblog
ご無沙汰です。お元気ですか?
おいらは相変わらず、崖っぷちで生きてます。

崖の上。ちょっと寒い。でも、静か。嵐の前の静けさ?いや、嵐の下の草の中、やね。

毎日「その日暮らし」モードでしたが、さすがにここに来て息切れも甚だしく、職場での顰蹙も激しく(苦笑・・・している場合ではないが)、「おれ、この生き方やばいんでね?」と思い至った次第。

誕生日気分など微塵も感じない、ハードボイルドにはほど遠いが、少々殺伐とした日常が続いている。

折しも家族が、タイトルの和歌を持ち出して「やっぱ忘れちゃいけないよね~」なんて平和に言うもんだから。
はい、反省。(別に敬虔な仏教徒というわけではないが、この和歌だけは、特にこの季節はリアルに体験するので、身につまされるのだ。)

とにかく、何があっても「ごめん!勘弁して!」という言い訳で毎日を渡ろうとしていた最近の自分については自覚した。
思考力が足りない。頑張ってるのに、間に合わない。気づかない。反省できない。ごめんな、みんな。

そんな中、ツイッターで見かけた「8時間寝てみた」呟きに心を動かされた。

ちょうどおいらも、3月上旬からずっと、(起きてられなくて結果的に)睡眠を多めにとるようにはなってたんだ。
それで、睡眠6時間から7時間が続いたここ数日、何だか「あれ、過去のあれ、やばいんでね?」がやっと自覚できてきた。

さすがにこの年(50オーバー)だから、若人のように「劇的ビフォーアフター」というわけにはいかない。
それでも、目覚めの良さと、「あ、あれ間違いじゃん!」の気づきは得ることができたんだ。超久々に、自分の行動を客観的?に振り返ることができたような気がする。

そんでも、昨日いい気になってデスクワークで根詰めたら、今日はへろへろで頭が動かない。自分に甘い。
(今日は休みで助かったが、、、勤務だったら、また「真摯なつもりで、実はテキトーな仕事ぶり」で恥の上塗りだったことだろう。)

明日は明日とて仕事だし、月曜はミッションあるし、で、何とか正気を保って乗り切りたいところ。(すでに今日は負け戦だが。)

ああ。生きるって何だろう。
自分に甘いおいらは、「頑張ったー!」という気分で、全てを肯定したくなってしまうことが多い。。
だけど、ニュース見ても、新聞見ても、それだけじゃ駄目なんだよな。以前は、わかっていたような気がしたんだけど。

最近、マルクス・アウレリウスの「自省録」を読むのが辛い。堕落してるんだなぁ。

どこかに花見に行きたいよ。家族とのんびり過ごしたいよ。あはは、って笑いながら、馬鹿話して、好きなもの食べて、酒でも飲んで酔っ払いたいよ。
快楽主義の塊のような自分は、もしかして、思ったよりも疲れてるんだろうか。

今日の最後?の気づきは「疲れすぎると、克己心も責任感も失うようだ」ということで。
自分が疲れてるのか、ただの怠けなのかもわからんのだけど、今日はそういうことにしておきます。

駄文を連ねて、これも「人間性回復のためのリハビリ」ということにしておく。読んでくれた人、ごめんなさい。

次回はもちっと読む価値のあることを書こう。それでは、崖の上より、以上報告でした。

追伸:自堕落な生活の中、本も読んでない。映画は「Fukushima 50」等見に行きたいけど、外出自粛モードで見に行けない。
   唯一の気晴らし「少年ジャンプ」も、視力の低下でタブレット見続けるのが辛い。こうして老いていくのか、、、とか思うとぞっとするね。
   体力と気力を養うべし。
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問わず語りの夜半の月

2020-03-07 21:57:36 | Weblog
いろいろ、いろいろ。

崖っぷちで座り込んで一人酒盛りっす。陳謝。

ここは風がぬるい。空を見上げる。ああ、星がきれいだ。
生かしてくれてありがとう。みんな、ごめんな。

一つ年をとりました。生きてます。色々まずいこともやばいこともありつつ。
上司申し訳ない。同僚すまん。部下よ、ほんとかたじけない。

そんな毎日。

後悔と反省ばかりの毎日だが、それでもおいらは生きている。生き恥を重ねつつ。
ギジェ・ザラルよ。あんたの恥なんてたいしたことないぜ。
生きてりゃ重畳。厚顔無恥で生きてくしかない。(はるか年下の彼へ。)

生きるとは。生きがいとは。
そんなこと、毎日のあれこれに粉砕されてる感じです。
それでも生きてるって素晴らしい。生きててよかった、と想うおいらは恥知らずなのかな。

53歳にもなって、おいらは生きていくことの意味を知らない。
ただ、想うようにはなった。「生きてるから、今を体験できるんだな」なんてね。
いつも思うのは「地球(テラ)へ・・・」(竹宮恵子作)の終盤。
名も知らぬ、ミュウの(臨時)リーダーの女の子。
彼女の判断で、結局ミュウも人類と友に滅びの奔流に飲み込まれる。

あの描写が、いつまでもおいらの中に残るのだ。人道とは。何なのかと。

(おいらのつぶやきに「?!」となった人は、是非「地球(テラ)へ・・・」を読んでほしい。
おいらは、三十年以上の間、あの描写の意味を解釈しかねているのだ、、、)

ともあれ。おいらはそんな(!)日常を送っているわけで。
全ての人を愛する。そんな漠然とした妄想を抱いたのは数年前。
その野望は、おいらの鈍感さ故、まだ頓挫してはいないが、色々自分の限界も感じ、
この世のあれこれを改めて理解したような気になっている今日この頃。

きっと、思った通り、この世はおいらとは違う人たちのものなのだ。
その中で、異端者として生きている自分は、排除されないように気をつけながら
身を処さねばならない。そんな妄想(?)って、、感じる人いるんだろうか。

ともあれ。
自分が生きている限り、自分の生は続く。言わずもがな。

自分にできる、何かを。生きている間に、やろう。

唐突だけど。
最近、吉岡秀隆が、NHKのナレーションしてるんだ。
「ひと・モノガタリ」とか。。
吉岡がナレしてなかったら、しんどくて観なかっただろう番組。
観ると、否応無しに自分の毎日が問いただされる

どうやって、生きていこう。どうやって、育てていこう。
どうやって、つないでいこう。

見上げるしかない空。Fukusima50も観ることができていないのに。
(映画館にはいつ行けるのだろう。。。)

酔っ払いでごめんな。
おれ、生きてるよ。

どこかで、風が吹くのを待っている。

追伸:「しいたけ.」さんのコラムに「ガッテン・ガッテン・ガッテン!」となっている今日この頃。
おいら、やはり「弱い者」としての生き方は間違ってなかったのかな。そんな見当外れの達成感を、
少し感じていたりする。(妄想)
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