大山淳子氏の最新作「猫弁と魔女裁判」が発刊された。
まだ読んでいない人のために、ここで、具体的な感想は書きません。
それよりも。
読んでください。ぜひ、手にとって、この作品を味わってほしい。
子供から、大人まで。多くの人に読んでほしい作品です。
書店にもっと置いてほしい。夏の一冊「猫弁と魔女裁判です!(舞台は冬だけど(爆))
「猫弁」シリーズは、今までずっと読んできたけれど、今回が一番面白い。
大山先生、勉強して、取材もたくさんしたんだなぁ、とか、何人もの専門家が、猫弁の世界を生み出すために協力したんだなぁ、とか、下世話なことをつい考えてしまったおいらは、いわゆる俗物の典型という自覚がありますが、そんなおいらが、二時間、きっちり集中して、読むことができた。物語の世界を想像し、頭の中で場面を描きながら、夢中になって、でも、ちゃんと飛ばさずに、一字一句をゆっくりと味わった。
読み終わったら、深い満足とともに、猫弁がおわってしまった喪失感がひたひたと打ち寄せてきて、「もっと、何日もかけて読めば良かった」と少々後悔した。
読んでいて、楽しかった。悲しかった。寂しかった。はらはらした。衝撃を受けた。混乱した。
そして、じんわりと、心が揺さぶられた。
おいらは50年近くこの世に生きてきたので、それなりに小説読むときは色々あらすじを予測しちゃうわけですが、そんなことに、この作品のおもしろさが損なわれることはないのでした。
大事なのは、展開の中で「何」が描かれるか。
おいらの貧弱な想像力なんか軽く凌駕して、「猫弁ワールド」を実に魅力的に描き出してくれた、大山先生の筆致に、感動した。
人々の内面の描写、情景の描写。
大山先生の筆を通して描かれる世界が、とても好きです。
おおっ!!!と唸る予想外の展開も随所にあり、様々なことを考えながら読んだ今作でした。
「猫弁」は、ミステリーと呼ばれている。
そして、そのストーリーに荒唐無稽さはないが、おいらの印象としては「ファンタジー」と呼んでもよいと思う。
「ファンタジー」としての成分は、児童文学が持っているような、デリケートで上品な作風だ。
そして、たまに織り込まれている、不思議な出来事。それを自然と受け入れている、百瀬太郎の柔軟な感受性。
「猫弁」を読んでいると、あまんきみこさんを思い出す。
百瀬太郎は、運転手の松井さんみたいなんだ。
今回、百瀬太郎が、葛藤も苦しみも持つ一人の人間であることが、印象に残った。
そして、百瀬太郎は、あくまでも、彼らしく、全力で生きていた。
「猫弁と魔女裁判」・・・あああ、しかし、この作品の多面性がすごい。
のんきに描いているようで、ものすごく、現代の世相が透けて見える。
優しい語り口でありながら、「司法記者」に負けず劣らず、問題提起の視点は鋭い。
(これは、前作「猫弁と少女探偵」でも感じたことだ。)
すごいなー。これは、映像化難しいぞ(爆)でも、作品自体はすごく評価されると思うぞ。
柔らかな情景、描写の中、だまし絵のように「現実」が織り込まれている。
安心して読みながら、時々、ひやっとした。
大山先生は、読者が、現実から目を背けることを望んでいない。
百瀬太郎が、決して目の前の現実から、逃げないように。読者にもそうあってほしい、と思っているように感じる。
今、ぼくらが生きているこの世界。その先のどこかに、この町がある。
そう思わせてくれて、「ぼくらも頑張らなくちゃ」と思わせてくれた、大山先生と猫弁先生に感謝します。亜子ちゃんにも、その他全ての登場人物・登場動物たちにも。
「猫弁」をお読みになったことのない方がいらっしゃって、もし興味を持っているようでしたら、できれば、一作目の「猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち」から読まれることをお勧めします。
「猫弁全集」という、今までの作品が(今作も含めて)一冊にまとめられた本もあります。
なかなか洒落た装丁で、重量感も、書斎に似合うタイプの本です。一冊ずつ買いそろえるよりも割安なので、30代までなら、こちらが買いでしょう。
ただし、「猫弁全集」の活字は少々小さいので、中高年が気楽に読むなら、単行本もお勧めです。
おいらは、「猫弁全集」を開いて、初めて、高校時代の自分の目の能力(視力だけでない諸々・・・)を取り戻したいと本気で思いました。(爆)
(最近、活字離れしていたことを改めて痛感・・・取説とかは平気なのになぁ・・・)
なんか、最後は与太話になってしまってすんません。
「猫弁」が多くの人に読まれることを祈って、今日はおわります。
それでは!
まだ読んでいない人のために、ここで、具体的な感想は書きません。
それよりも。
読んでください。ぜひ、手にとって、この作品を味わってほしい。
子供から、大人まで。多くの人に読んでほしい作品です。
書店にもっと置いてほしい。夏の一冊「猫弁と魔女裁判です!(舞台は冬だけど(爆))
「猫弁」シリーズは、今までずっと読んできたけれど、今回が一番面白い。
大山先生、勉強して、取材もたくさんしたんだなぁ、とか、何人もの専門家が、猫弁の世界を生み出すために協力したんだなぁ、とか、下世話なことをつい考えてしまったおいらは、いわゆる俗物の典型という自覚がありますが、そんなおいらが、二時間、きっちり集中して、読むことができた。物語の世界を想像し、頭の中で場面を描きながら、夢中になって、でも、ちゃんと飛ばさずに、一字一句をゆっくりと味わった。
読み終わったら、深い満足とともに、猫弁がおわってしまった喪失感がひたひたと打ち寄せてきて、「もっと、何日もかけて読めば良かった」と少々後悔した。
読んでいて、楽しかった。悲しかった。寂しかった。はらはらした。衝撃を受けた。混乱した。
そして、じんわりと、心が揺さぶられた。
おいらは50年近くこの世に生きてきたので、それなりに小説読むときは色々あらすじを予測しちゃうわけですが、そんなことに、この作品のおもしろさが損なわれることはないのでした。
大事なのは、展開の中で「何」が描かれるか。
おいらの貧弱な想像力なんか軽く凌駕して、「猫弁ワールド」を実に魅力的に描き出してくれた、大山先生の筆致に、感動した。
人々の内面の描写、情景の描写。
大山先生の筆を通して描かれる世界が、とても好きです。
おおっ!!!と唸る予想外の展開も随所にあり、様々なことを考えながら読んだ今作でした。
「猫弁」は、ミステリーと呼ばれている。
そして、そのストーリーに荒唐無稽さはないが、おいらの印象としては「ファンタジー」と呼んでもよいと思う。
「ファンタジー」としての成分は、児童文学が持っているような、デリケートで上品な作風だ。
そして、たまに織り込まれている、不思議な出来事。それを自然と受け入れている、百瀬太郎の柔軟な感受性。
「猫弁」を読んでいると、あまんきみこさんを思い出す。
百瀬太郎は、運転手の松井さんみたいなんだ。
今回、百瀬太郎が、葛藤も苦しみも持つ一人の人間であることが、印象に残った。
そして、百瀬太郎は、あくまでも、彼らしく、全力で生きていた。
「猫弁と魔女裁判」・・・あああ、しかし、この作品の多面性がすごい。
のんきに描いているようで、ものすごく、現代の世相が透けて見える。
優しい語り口でありながら、「司法記者」に負けず劣らず、問題提起の視点は鋭い。
(これは、前作「猫弁と少女探偵」でも感じたことだ。)
すごいなー。これは、映像化難しいぞ(爆)でも、作品自体はすごく評価されると思うぞ。
柔らかな情景、描写の中、だまし絵のように「現実」が織り込まれている。
安心して読みながら、時々、ひやっとした。
大山先生は、読者が、現実から目を背けることを望んでいない。
百瀬太郎が、決して目の前の現実から、逃げないように。読者にもそうあってほしい、と思っているように感じる。
今、ぼくらが生きているこの世界。その先のどこかに、この町がある。
そう思わせてくれて、「ぼくらも頑張らなくちゃ」と思わせてくれた、大山先生と猫弁先生に感謝します。亜子ちゃんにも、その他全ての登場人物・登場動物たちにも。
「猫弁」をお読みになったことのない方がいらっしゃって、もし興味を持っているようでしたら、できれば、一作目の「猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち」から読まれることをお勧めします。
「猫弁全集」という、今までの作品が(今作も含めて)一冊にまとめられた本もあります。
なかなか洒落た装丁で、重量感も、書斎に似合うタイプの本です。一冊ずつ買いそろえるよりも割安なので、30代までなら、こちらが買いでしょう。
ただし、「猫弁全集」の活字は少々小さいので、中高年が気楽に読むなら、単行本もお勧めです。
おいらは、「猫弁全集」を開いて、初めて、高校時代の自分の目の能力(視力だけでない諸々・・・)を取り戻したいと本気で思いました。(爆)
(最近、活字離れしていたことを改めて痛感・・・取説とかは平気なのになぁ・・・)
なんか、最後は与太話になってしまってすんません。
「猫弁」が多くの人に読まれることを祈って、今日はおわります。
それでは!