「雪猫」を読んだ。「猫弁」を書いた大山淳子氏の新刊だ。
大きな書店で新刊コーナーにあり,手に取ると思ったより軽く,ふんわりとした手応えを感じた。
それは,何となく,シロを連れて帰るような気分に似ていたのだと思う。(いや,シロは○○ちゃんのものだから,連れて帰っちゃいかんけど(苦笑))おっとシロじゃなかったね。タマオでした。でも,「タマオ」のアイデンティティはまさに「シロ」だったんだなぁ,と訳のわからない感想を持って,読み進めたのでした。
実は,その書店で「雪猫」発見するまでには,その書店の新刊コーナーを何度となく徘徊しなければならず,図らずも,どれほど「猫」と名のつく新刊が日本文学コーナーにあるかを知り,その「理由」についてある種の考察と感慨を持つに至った。多くの「猫」の取り扱われ方は様々で,中でも有川浩氏の「旅猫リポート」は,なんだか劇団対決なら「四季」が出てきたような,英文学なら「シェイクスピア」の名がついていそうな箔をもって,目につく一区画を堂々と占めていた。
だって・・・「村上勉」画伯があんなすごい表紙書いちゃってるんだぜ。
「佐藤さとる」ファンならとにかく手に取るでしょう。
しかも,主人公の名前が「サトル」だ。
なんだか,ずるいよ。とさえ思った複雑な中年でした。
(もちろん,これは有川氏がずるいのではなく,そういう方向に販促した編集者さんの読みがよい,ということなのだろう。)
ちなみに,佐藤さとるさん,書評に引っ張り出されています。
「隠された謎をたどる1人と1匹の旅 『旅猫リポート』 (有川浩 著)佐藤 さとる|作家」(「本の話」WEB)
http://hon.bunshun.jp/articles/-/1220
いや,のっけから別の著者さんのことで引っかかってちゃすまんことです。
有川さんの「旅猫リポート」もよかったです。これもたくさんの人に読まれるといいなと思います。
でも,おいらは,「雪猫」を大々的におすすめします。特に,若い読者さん,10代の子に。
ファンタジーは,若い子に読んでもらいたい。そして,心の奥のきれいな泉を,枯らさずに守ってほしいんだ。
もちろん,中年の泉(あるのか?)も潤いました。読んでよかった。そう思いました。
BBC制作の「Sherlock」直前に映画「シャーロック・ホームズ」が公開され,Sherlockの成功直後にアメリカ版シャーロック・ホームズ「Elementary」が制作されたことでも話題になったことがありますが,とかく,極めて似通った(ように見える)企画・発想が,狙ったかのように(まるで出会い頭の事故のように)同じタイミングで発表されるということは,ままあることです。(世紀の発見しかり。)
それ自体は憂うことではなく,「やっぱ猫は人気あるなぁ」と受け止めるべきことだとは思うんですよね。
有川さんの「旅猫」とつい比較してしまったのは,「旅猫リポート」も「雪猫」もファンタジーで,少し,佐藤さとる氏の後継的世界観を感じたから。だから,一方に村上勉さん(佐藤さとるといえば村上勉が定番)が表紙描いちゃったら,お墨付きみたいじゃん,って感じたのでした。
むろん,後継かどうかは,本の内容によるものであって,村上さんに大きく左右されるファンの煩悩こそが困りものなのだと思います。村上さんにも佐藤さとるさんにも有川さんにも失礼です。反省。
だから,そんなことはしばし忘れて,「雪猫」また読み返したいな,と思うのです。
「旅猫リポート」は,ちょっと身につまされすぎて,今,続けて二度は読めない。(泣かんけど。)
温かい話なんだが,読後なんだか救いがあるようなないような感じで,寒さが身にしみ,悲しくなりました。
「雪猫」は,泣きましたが,もう一度落ち着いて読みたい。それは,ル・カレの「スクールボーイ閣下」をもう一度読みたいのと似ている。物語の展開と運命にざっくりと傷ついてつらいんだけど,その傷を忘れたくないんだ。みんな大好きだから。(これ以上書くとネタバレになるので自粛)
「雪猫」読んで,実はショック受けて数日呆けてましたけどね・・・んで,ジョン・ル・カレとかの(自分にしては)膨大な読書で心の穴を埋めようとしたのかもしれない。
BBCドラマのParade’s Endのクリストファー・ティージェンスみたいに,「時間があるときには百科事典の誤りを直すのが趣味」っていうのができたらいいのになぁ,と思いました。(今だったらWiki訂正かね(苦笑)博学的知識がない自分にはとても無理だが。)
文字に没頭すると,たいていのいやなことは先送りできる・・・先送りしちゃいかんこと満載な日常の中で,現実逃避の方法をあれやこれや考える,哀れなスクルージが崖の上で座り込んでいます。
やれやれ。
皆さん,よい1日を。
大きな書店で新刊コーナーにあり,手に取ると思ったより軽く,ふんわりとした手応えを感じた。
それは,何となく,シロを連れて帰るような気分に似ていたのだと思う。(いや,シロは○○ちゃんのものだから,連れて帰っちゃいかんけど(苦笑))おっとシロじゃなかったね。タマオでした。でも,「タマオ」のアイデンティティはまさに「シロ」だったんだなぁ,と訳のわからない感想を持って,読み進めたのでした。
実は,その書店で「雪猫」発見するまでには,その書店の新刊コーナーを何度となく徘徊しなければならず,図らずも,どれほど「猫」と名のつく新刊が日本文学コーナーにあるかを知り,その「理由」についてある種の考察と感慨を持つに至った。多くの「猫」の取り扱われ方は様々で,中でも有川浩氏の「旅猫リポート」は,なんだか劇団対決なら「四季」が出てきたような,英文学なら「シェイクスピア」の名がついていそうな箔をもって,目につく一区画を堂々と占めていた。
だって・・・「村上勉」画伯があんなすごい表紙書いちゃってるんだぜ。
「佐藤さとる」ファンならとにかく手に取るでしょう。
しかも,主人公の名前が「サトル」だ。
なんだか,ずるいよ。とさえ思った複雑な中年でした。
(もちろん,これは有川氏がずるいのではなく,そういう方向に販促した編集者さんの読みがよい,ということなのだろう。)
ちなみに,佐藤さとるさん,書評に引っ張り出されています。
「隠された謎をたどる1人と1匹の旅 『旅猫リポート』 (有川浩 著)佐藤 さとる|作家」(「本の話」WEB)
http://hon.bunshun.jp/articles/-/1220
いや,のっけから別の著者さんのことで引っかかってちゃすまんことです。
有川さんの「旅猫リポート」もよかったです。これもたくさんの人に読まれるといいなと思います。
でも,おいらは,「雪猫」を大々的におすすめします。特に,若い読者さん,10代の子に。
ファンタジーは,若い子に読んでもらいたい。そして,心の奥のきれいな泉を,枯らさずに守ってほしいんだ。
もちろん,中年の泉(あるのか?)も潤いました。読んでよかった。そう思いました。
BBC制作の「Sherlock」直前に映画「シャーロック・ホームズ」が公開され,Sherlockの成功直後にアメリカ版シャーロック・ホームズ「Elementary」が制作されたことでも話題になったことがありますが,とかく,極めて似通った(ように見える)企画・発想が,狙ったかのように(まるで出会い頭の事故のように)同じタイミングで発表されるということは,ままあることです。(世紀の発見しかり。)
それ自体は憂うことではなく,「やっぱ猫は人気あるなぁ」と受け止めるべきことだとは思うんですよね。
有川さんの「旅猫」とつい比較してしまったのは,「旅猫リポート」も「雪猫」もファンタジーで,少し,佐藤さとる氏の後継的世界観を感じたから。だから,一方に村上勉さん(佐藤さとるといえば村上勉が定番)が表紙描いちゃったら,お墨付きみたいじゃん,って感じたのでした。
むろん,後継かどうかは,本の内容によるものであって,村上さんに大きく左右されるファンの煩悩こそが困りものなのだと思います。村上さんにも佐藤さとるさんにも有川さんにも失礼です。反省。
だから,そんなことはしばし忘れて,「雪猫」また読み返したいな,と思うのです。
「旅猫リポート」は,ちょっと身につまされすぎて,今,続けて二度は読めない。(泣かんけど。)
温かい話なんだが,読後なんだか救いがあるようなないような感じで,寒さが身にしみ,悲しくなりました。
「雪猫」は,泣きましたが,もう一度落ち着いて読みたい。それは,ル・カレの「スクールボーイ閣下」をもう一度読みたいのと似ている。物語の展開と運命にざっくりと傷ついてつらいんだけど,その傷を忘れたくないんだ。みんな大好きだから。(これ以上書くとネタバレになるので自粛)
「雪猫」読んで,実はショック受けて数日呆けてましたけどね・・・んで,ジョン・ル・カレとかの(自分にしては)膨大な読書で心の穴を埋めようとしたのかもしれない。
BBCドラマのParade’s Endのクリストファー・ティージェンスみたいに,「時間があるときには百科事典の誤りを直すのが趣味」っていうのができたらいいのになぁ,と思いました。(今だったらWiki訂正かね(苦笑)博学的知識がない自分にはとても無理だが。)
文字に没頭すると,たいていのいやなことは先送りできる・・・先送りしちゃいかんこと満載な日常の中で,現実逃避の方法をあれやこれや考える,哀れなスクルージが崖の上で座り込んでいます。
やれやれ。
皆さん,よい1日を。