団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

人の生き方は、様々ですね。

2025-04-03 02:29:36 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「健康を第一に生涯現役」というタイトルで68歳の男性が投稿されていました。

 私は68歳で年金受給者です。

 年金だけでは現役時代の生活水準を維持するのはとても無理と考え、現在は派遣社員として2社を掛け持ちして働いています。

 働くのは合わせて月の半数ほどです。

 人からは「大変だね」と言われますが、デメリットはないです。

 忙しい合間につくる趣味の時間や夫婦の時間はより充実したものになっています。

 そして何より心身の健康のメリットが大きいです。

 規則正しい生活をするので、体調は良好です。

 いつ仕事をするのはやめるかは自分の体力次第ですが、仕事をえり好みしなければ高齢者の働き口は多くあります。

 健康第一でずっと生涯現役を目指すつもりです。

 以上です。

 
>健康第一でずっと生涯現役を目指すつもりです。

 人の生き方は、様々ですね。

 私が定年後半年経った時、かみさんが「自分は働いて家事もやっているのに」と冷たい目で私を見ていましたので、職安と新聞でバイト先を探しました。

 新聞広告でマックが新しい店をオープンするという記事が出てましたので、そこの試験を受けました。

 それと同時にシルバー人材センターにも登録しました。

 マックから採用の電話がありましたので、説明会に出席しました。

 4人が採用されたようです。

 私を除くと女性ばかりでした。

 夜中から働いて朝で終了という条件でした。

 かみさんが「あなたに深夜働ける訳がない、自転車でマックへ行くのも大変なのに」と言いましたので、シルバー人材センターの紹介の特養で働くことにしました。

 4日に一度働けば良かったですが、夕方の5時から朝の8時まで働く守衛の仕事でした。
 自転車で施設まで片道40分ぐらいかかりました。

 雨や雪の日は大変でした。

 こちらも深夜作業でした。😅

 それにシルバー人材センターの仕事は安い!

 時間あたりにすると、230円ぐらいでした。

 お金を考えたらやってられない金額でした。

 それでも仕事はきつかったです。

 年寄りには楽な仕事はないなと思いました。

 息子がやってきて「いつまで働くの」と、深夜作業を心配してくれました。

 7年間働いて特養の仕事をやめたら、今度は近くの自転車の駐輪場の仕事が来ました。

 その仕事に入る前にディズニーランドへ、かみさんと娘を連れて2泊3日の旅行に行きました。

 夜 今度働く予定の駐輪場のリーダーの方から電話が来て「今度親睦会をやるので、参加してくれ」と横柄な態度の電話でした。

 こちらはディズニーで遊んでいるのに、ここまでそんなことで電話するかと思い腹が立ちました。

 旅行から帰って、こんな奴と一緒に働きたくないと思ってシルバー人材センターへ行って駐輪場の仕事を断りました。

 それからは働いていません。

 「毎日が日曜日」雨や嵐でも出かけなくても済むなんて素晴らしい!

 お金は十分とはいえないですが、なんとか暮らしていけます。

 でも最近体調が悪くなり、旅行には行けなくなりました。

 まあ50代から70代前半まで、毎年泊まりの旅行に行っていたので後悔はありません。

 かみさんはまだまだ元気なので、旅行に行きたいらしい。

 私は姉さんか、学生時代の友人と旅行に行けばと勧めていますが、どうも私との方が気を使わなくてもよいようで、はっきりしないです。




[和訳] Top Of The World - Carpenters
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は植木等さんが「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」と歌われていたので、サラリーマンと記入しました。

2025-04-02 00:23:08 | 日記
 私は21歳の時の10月に、まだ出来て2年ぐらいの名古屋営業所に入社しました。

 営業所の所長さんが書類を持って来られて「この書類に記入するよう」指示されました。

 職業欄がありました。

 私は植木等さんが「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」と歌われていたので、サラリーマンと記入しました。

 所長さんがそれを見て「会社員と記入しなさい」と、言われました。

 私は大学を中退していましたので、就職活動をしていません。

 社会常識を知りませんでした。😅

 かみさんは、あらかじめ採用担当者から「職業欄には団体職員」と、記入して下さいとの指示があったようです。

 「団体職員」なんて言葉は、普通知りませんよね。


 下記に貼り付けた「ホンダラ行進曲」。

 中・高校時代の親友で、去年の2月に亡くなった友が高校生の時に私のおばあちゃんの家に遊びにきた時、面白おかしく歌いました。

 なんていう歌なんだと、思いました。

 歌詞を作られたのは、ギャグの天才 青島幸男さん。

 こんな歌詞は、青島幸男さんしか作れないと思いました。

 それにしても気楽な歌ですね、昭和の時代ののどかさを感じます。😄


ホンダラ行進曲
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学1年生で茶色のランドセルは、私ひとりだったと思います。

2025-04-01 01:06:01 | 日記
 昨日の中日新聞の「中日春秋」に、下記の事が書かれていました・

 中日春秋
 2025年3月31日

 桜が咲き、今度の火曜日はもう4月。入学シーズンとなる。知り合いのご長女がこの春、小学校に入るそうで、今から学校へ通うのを楽しみに待っていると教えてくれた。

 こちらもうれしくなる。

 それでも、ランドセルをめぐってちょっと問題があったそうだ。

 この娘さん、ランドセルはピンク色と決めていた。

 男の子は黒で女の子は赤という時代ではなく、最近は色の種類も豊富で、選択肢も多い。いいことだ。

 聞いたところではピンクと薄い紫色が女の子には人気らしい。

 娘さん、結局、ピンクはやめた。

 どうもピンクは似合わなかったようで、それをやんわりアドバイスすると娘さんもすんなりと聞き入れ、オレンジ色を選んだ。

 親にしてみれば、こんなところにも子どもの成長を感じるものらしい。

 新小学生やランドセルとはもはや縁のない身は、こういう話を聞くのが楽しい。

 それぞれの家族の中の小さな「物語」に、幸せな語らいや笑い声を分けてもらった気になる。

 ランドセルの値段を聞いて声を上げる。10万円近い。

 おじいちゃんとおばあちゃんの世話になったそうだが、そりゃたいへんな出費だ。

 進学や就職で子どもが家族の元を離れていくという方にはちょっと寂しい季節でもあろう。

 ランドセルを背負っていた子も大きくなり、旅立っていく。

 桜は今が盛り。門出の日までもう少しだけ咲き続けてはくれまいか。

 以上です。

 かみさんに「うちは孫達にランドセルを買ってやったの?」と訊いたら、かみさんが「お金を渡した。」と言ってました。

 昔 私が小学校に入学した時、茶色の革のランドセルでした。

 小学1年生で茶色のランドセルは、私ひとりだったと思います。

 親父は、私に期待していたでしょうね。

 鉛筆も2ダース名前入りでした。

 Z会の通信教育も入っていました。

 毎月送られて来ましたが、学校の宿題で手一杯でZ会のテキストを1回もやった事がなかったです。

 親父は「やったか?」と、1度も確認しなかったです。

 1年分、送って来たように思います。

 今から思うと、親父の期待に少しでも応えれば良かったと思います。

 テレビ好きで、勉強嫌いだったので、成績も良くなく申し訳なかったです。

 親父からは「勉強しろ」と、言われた事は一度もありませんでした。



【和訳】カーペンターズ - 青春の輝き / Carpenters - I Need To Be In Love
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 昼過ぎに次男の孫が、箱根の土産を持って来てくれました。

2025-03-31 02:09:49 | 日記



 昨日の朝のおやつの時間。

 朝のおやつの時間にコーヒーを淹れる際、コーヒーの粉を全部シンク近くの台にあけてしまいました。
 2度とその粉を使えませんので、代わりにネスカフェのインスタントコーヒーに切り替えました。

 かみさんの怒ること。
 「私がやるつもりだったのに、あなたが余分な事をするからコーヒーが飲めなくなってしまった」と。苦笑
 当分かみさんの怒りは収まらそうもないです。

 1昨日も怒らしたのに、更に怒らしてしまった。
 これじゃ、当分怒りが収まりそうもない!


 昼過ぎに次男の孫が、箱根の土産を持って来てくれました。

 息子も嫁さんも一緒に来ました。

 喧嘩は一時休戦。

 高校時代の友人4人と、箱根に行ったようです。

 泊まりだけで1名2万円も取られたようです。

 それも食事なしで。

 温泉は部屋についていたようで、夜・朝の2回 ゆっくり入ったと言ってました。

 食事は、朝・昼・夕食とも外で食べたそうです。

 これじゃ〜、相当お金を使ったんだなと思いました。

 箱根に行くと、前回来た時に言ってました。

 かみさんが「餞別あげるは」と言ったところ、「土産を持って来た時でいい」と言いました。

 泊まりだけで2万円と聞くと、だいぶ出してやらないといけないなと私は思いました。

 かみさんが「5万円ぐらいあげたいけど、お金がないので2万円あげる」と言って、2万円を次男孫に渡しました。

 次男孫は恐縮しながら、嬉しそうにもらいました。

 やはり小遣いをだいぶ使ったんだと思いました。


Hotel California I Eagles farewell I Melbourne tour 2005 I
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なんて、自分勝手な女なんだ!」と、大声で怒って言いました。

2025-03-30 01:06:43 | 日記

 昨日の10時過ぎ 予約していた16茶3箱を取りにドラッグストアーへ車で向かいました。

 毎月16茶を、娘に送っています。

 現地で買って欲しいのですが、娘は「買っても運べる手段がない」と言います。

 お金は出してあげるから、「自転車を買えよ」と言っていますが、買おうとしません。

 もし私の方が生き残ったら、もう送りません。

 娘も父親には期待していないでしょう。

 ドラッグストアに寄る途中に、かみさんは「別のドラッグストアに行く」と言いました。

 ドラッグストアに着いて、かみさんはドラッグストアに向かいました。

 私は車内にいました。

 私は関係ないと思ったので。

 かみさんが、また車に戻って来ました。

「何しているの! あなたも来なくちゃ。ナロンエースを2箱買えないじゃないの」と、言いました。

 ああ、そうかと思い、車から出てドラッグストアに向かいました。

 かみさんは怒って車に戻っていくようです。

 「オイ、なんで戻るの!」と、大きな声で言いましたら、「あなたがさっさと来ないから」と言って、車に乗ろうとしました。

 「なんて、自分勝手な女なんだ!」と、大声で怒って言いました。

 それを聞いたかみさんは「あんたなんか来なくていい! 自分ひとりでかえりなさい!」と言って、車で16茶を予約していたドラッグストアに向かって行きました。

 残された私は、歩いて帰るしかありません。

 杖を持って来なかったので、休み休み歩いて帰りました。

 結構歩いたと思いましたが、後でスマホを見ると870メートルぐらいしか歩いていませんでした。

 かみさんが16茶とスーパーで買った食料品を持って帰りました。

 私は、16茶を私の部屋に3箱運びました。

 食料品は、冷蔵庫に入れました。

 ナロンエースは私がいなかったので、一箱しかなかったです。

 後でこのドラッグストアに寄ったみたいです。

 かみさんがこだわるのは、この店ではナロンエースを980円という安い価格で売っているからです。

 ただし、1名一箱という条件です。

 昼食にかみさんはチャーハンを作りました。

 食べながらかみさんが「なんであんなモラハラの言葉を言うの!」と、言いました。
 
「なんて、自分勝手な女なんだ!」なんて、いつもそう思っているから言うんだねと言いました。

 私は黙っていました。言い訳してもかみさんはどうせ受け入れないし。😅

 疲れて頭が痛かったので、4時過ぎから布団を出して眠りました。

 起きた時には6時半近くになっていました。

 うちの夕食は、だいたい6時頃です。

 案の定かみさんは食事を済ませ、使った茶碗などを洗っていました。

 私の分のギョウザ、鮭、かぼちゃの煮っ転がしがテーブルに置いてありました。

 ギョウザは多少冷たくなっていました。

 急須からお茶を湯呑みに入れて、まずはギョウザを食べました。

 食べ終わってから、残った物を捨て、茶碗などを洗って食器棚に戻しました。

 いつもなら私が食べる時、付き添ってくれるのに付き添ってくれませんでした。

 まだまだ怒っているなと思いました。

 いつになったら怒りが収まるのか、見当もつきません。😅



Bee Gees - Massachusetts (One For All Tour Live In Australia 1989)
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする