ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

痛い思いをして大金を払わされることについて

2023年03月07日 | 日本とわたし
先週の金曜日の歯の治療は、これまでで一番きつかった。

以前にも何回も話したことがあることだけど、今から30年以上も前の離婚間近だった頃に、かなり貧乏になることが確定していたので、事前に虫歯治療を済ませておこうと思ったわたしは、巷で好評だった歯科医院に行った。
虫歯はまだ始まったばかりだったけれども前歯のど真ん中だったので、早期治療で簡単に終えられると思っていた。
すると歯科医は、
「これから先、ずっと心配しなくてもいいようにしておいた方がいいですよ」と言って、気がついたら上の前歯4本を、全て差し歯にされてしまった。
気がついたら、なんて信じてもらえないだろうけど本当のことで、治療が始まってからずっと頭の中は真っ白で、目の前にいる歯科医のマスクに自分の血肉が飛び散っていくのをぼんやりと見つめていた。
時間にして4時間以上もかかり、頭が朦朧としていた時に、健康だった歯も含む4本の前歯が全て消えてしまった口を手鏡で見せられて気を失いそうになった。
その費用、当時にして一本7万円、合計28万円にもなってしまい、離婚の話を進めている際に何度も夫から「ギリギリのギリギリまで僕の金を使う魂胆だったのだな」と責められた。
そんなつもりなど毛頭無かったのに。

今回の治療は、その前歯の差し歯の根っこにずっとつきまとっていた膿の除去と、その差し歯の抜歯。


抜いてみたら、案の定、骨にも随分と悪さをしていたので、ガリガリと削り取る作業が延々と続いた。
途中で麻酔が切れてきて痛んだので、追加で麻酔を打ってもらったのだけど、体が辛かったんだろう、泣こうと思っていなかったのに涙が耳の中に入ってきてびっくりした。
ああ、こんなことならケチらずに、笑気麻酔か全身麻酔を頼むんだったと、かなり時間が経ってからだったけど後悔した。
今回の治療は合計3000ドル(日本円で41万円)、現金で支払うと10%引いてくれるので現金払いにした。
わたしの口の中には、大掛かりな治療が必要そうな歯が、まだまだ何本も控えている。
なんてこったと思うしかないのだけど、今回の術後の痛みと腫れは、3日目の今日でもまだけっこう辛いので、なかなか気が晴れない。
でもまあ、夫の鍼と漢方薬で、これでも随分と助けてもらっているのでありがたい。

ただ、ほうれい線がすっかり消えた右頬を見るのは楽しい。
なるほど、こんなに簡単にシワは姿を消すのだ。
なんだ、膨れればいいのか。
この子みたいに。

と、右側だけリス顔のわたしは、ひひひと左頬だけでニヤついている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争と原発をやめたら電気料金は安くなります

2023年02月19日 | 日本とわたし
『戦争』と『原発』をやめたら電気料金は安くなります。
この方の言うとおりだと思います。

『戦争』と『原発』にいつまでも固執する自民党が廃れたら日本の社会は良くなります。
これはわたしの個人的な意見です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒豆おかきとちょこっとオーケストラ、そして歯のおはなし

2023年02月19日 | 日本とわたし
気がついたら、というか気がつくのを避けていたのかもしれないけど、コンサートまでもう1週間しかない。
まじ?
明日のリハーサルと、追加された水曜日の夜のリハーサル、そして当日のドレスリハーサルで本番になる。
自分の胸の内で大きなうねりとなって流れているメロディや、それを包み込んだり支えたりするハーモニーを、現実の音にしたい欲望がドクンドクンと波打っている。
欲が深すぎてもいけないし、欲を捨てるのもいけない。
現実と折り合いをつけることも指揮者の能力である。
あと3回、みんなと一緒に、最後の最後まで諦めずに音を紡ぎ上げていって、あの教会に足を運んでくださるみなさんに、すてきな時間を過ごしていただけるよう頑張りたいと思う。

そのためにも健康であることが大切だ。
音楽家も体力がなければやっていけない。
趣味として演奏活動に携わっている者は、音楽以外のことで生計を立てているので、時間のやりくりに苦労する。
わたしは音楽関連の仕事をしているが、演奏活動のための時間を捻出するのはやはり簡単ではない。
でもまあ、子育て中の大変さに比べたら大したことでは無いのだけど。

わたしの健康上の不安といえば歯、である。
他に、顔はもちろんのこと身体中のあちこちに散らばっているいろんな種類のできもの、それと長年痛みが続いている左腕上部の故障。
歯以外は夫に治してもらえばいいものを、言うと色々うるさく言われるし、いつでも頼めるという贅沢な環境が逆に災いして、ゴニョゴニョと誤魔化したまま時間が過ぎている。

さて、とうとうのとうとう、シニア用健康保険(日本の国保に近い)も手に入ったので、5年以上も前に通うのをやめた医者に診てもらうことにした。
その医者は超がつく人気者なので、新患はもちろん出戻りも拒否される。
なのでもちろんわたしも断られた。
わたしは以前、彼の娘たちにピアノを教えていて、その教え方をいたく気に入ってくれていたこともあって、それを言うと入れてくれるかな、などと邪な考えが浮かんだが、厚かましいと思ってやめた。
すると、ずっと連絡してなかったその医者の奥さん(元生徒たちの母親であり、良き友人でもある女性)から、急にあなたのことを思い出したの、元気?というメッセージが届いて、うむむ、これは虫の知らせか?と思って病院のことを話した。
「ああまうみ、ばからしい遠慮なんかしてないでさっさと夫に連絡しなさい!わたしからも言っておくから!」
と言われてありがたいと思ったのだけど、やっぱりそれでもなんか気が進まなくて放っておいたら、向こうから連絡が来た。
でも予約が取れたのは5月…それまでは何も起こらないようにしないと。

そして歯。
離婚直前だった30年前に、離婚後の困窮が必至だったので虫歯治療をしておこうと思って行った歯科医院で、いきなり4本もの前歯のインプラント治療を強行されて気絶しそうになったのだが、その4本のうちの1本の根っこに膿が発生していると言われたのが今から20年前のこと。
当時、わたしは家族と共にすでにこちらに引っ越していたのだけど、やはり貧しくて、無保険の歯の治療などよほどのことがない限り受けられない状態だった。
なので聞かなかったことにしてずるずると放置してきたこの22年と半年の間、歯科医が替わるごとにそのことを指摘された。
そして今、ここ数年担当してもらっている歯科医が、ちょっと怒ったような顔をして「あなた、これ、見えますか?」と、手鏡をわたしの手にグイッと持たせた。
前歯の右側の歯茎に、ぷっくりと膨れた部分があって、更にそこから白い膿を含んだ突起が出ているのが見えた。
もうこれ以上放っておいてはいけない。
この古いインプラントの歯を抜いて、歯茎を切開し、しっかりと治療しないと脳にまで至ってしまう可能性がある。
というわけで、またまた大掛かりな治療が始まることになった。
先日、その治療を始める前に、隣にある虫歯を治療しておくようにと言われてクリニックに行ったのだけど、主治医ではなく別の歯科医が担当してくれた。
治療が始まり、歯を削る嫌な音が耳に入ってきた。
案の定、いつものごとく、いつまで経っても削っている。
どうせこんなに深く蝕まれてるって思ってなかったんだろう。
治療が終わり、歯科医が言った。
「あなたの歯は、エナメル質の部分と根っこはとてもしっかりしているのだけど、中の部分がとても柔らかいので、一旦虫歯になると大変なことになるようですね」
だからずっと言ってたじゃないですか、わたしの場合X線写真は信用ならないって、とわたしは内緒で独りごちる。
なぜか今回はやけにその『柔らかい部分』というのが生々しく想像されて、急に恐ろしくなってしまった。
「なので甘い飲み物は極力避けないといけません。例えば砂糖を入れたコーヒーとか」
「コーヒーも紅茶も飲まないし、飲んでた時も砂糖は入れてませんでした」
「そうですか…まあとにかく甘い物を食べたり飲んだりした後は、しっかりとうがいとフロスをしてください」
しばし双方ともに沈黙…。
「あ、甘い飲み物といえば、ゆず茶が大好きでよく飲んでます」
「ああ、あれはハチミツや砂糖が大量に入っているし、しかも柑橘なので酸も含まれてるから、あなたのような歯の持ち主には最悪な飲み物ですよ」
がーん…終わった…。
家に戻ってからも飲む気にも食べる気にもなれず、かといって飲まず食わずでは働けないので口に入れるのだけど、例の『白くて柔らかい部分』がどんどん蝕まれていく図が頭の中に浮かんできてしまって、食べ終わったら即うがいして、徹底的にフロスしないと怖くてならない。
これっていわゆる強迫観念なのかな。
治療完了までにかかる日数は約半年、今回の支払い総額は3000ドルだ。
それでも他のところで治療してもらったら、7000ドルから9000ドルは取られるはずなので、ありがたいと思わなければならない、のか?
それに今回は抜く歯が前歯なので、次の治療を受ける2ヶ月後まで放っておくわけにもいかず、一本だけの入れ歯も作ることになった。
その歯と上顎にくっつける膜のようなものを作るためのスキャンが、これまたものすごく面倒だったのだけど、2ヶ月ほどお世話になるものなので我慢した。
4月から2週間、またまた日本に帰省するのだけど、この入れ歯が食事中にポロッと外れないようにしないと。
あ、でも、滅多に見ることができないすきっ歯な笑顔っていうのも記念になるかもしれない。

タイトル写真は7ドル(日本円にすると940円😩)も払って買うのに、たいていは湿って美味しくなくなってるおかき。
返品するのも面倒なので、いつもトースターで軽く焼いてから食べている。
でもそうするとやけに美味くなって、それがちょっと悔しかったりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日々続出する自民党関係者の愚か者たち

2023年02月01日 | 日本とわたし

2010年の参院厚労委で、民主党が『子ども手当支給に関する法律案の賛成』を求めた際に、自民党の丸川珠代参院議員が飛ばしたヤジがこれ↓
「愚か者めが。このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん」
この『子ども手当』、中学生以下の子どもを持つ世帯に1人あたり月額1万3000円を支給するというもので、当時野党の自民党は「所得制限がなく、ばらまきにつながる」などとして強く反発していました。
自民党のいわゆる看板女性議員は、「愚か者」って言うの好きですよね。
それも大声で。
きっと普段からそんなふうに会話しているんだろうと思います。
しかもさらに馬鹿げたことに、自民党はこの発言を記した『愚か者Tシャツ』を1500円で販売していたそうな…。
真正の愚か者集団としか…。



さて、こちらの愚か者は縁故ボケ丸出しの若者、しかも首相の家族。
もうどこやらの独裁国家みたいに、己のやりたい放題を見せつけられているように思えてなりません。

自民党政治家たち(愚か者)のことをブログに載っけるのはもうよそう、キリがないし疲れる。
そう思ってできるだけTwitterを覗かないようにしているのですが、ついつい…。
なんで与党に選ばれちゃうのかなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍首相のみっともなさの上を行く岸田首相のみっともなさよ

2023年01月16日 | 日本とわたし
男性が二人並んでいる時に、肩に手を置いた男は自分が年上か格上だと自認していて、肩に手を置かれた男はそのことを承知の上でバカ笑いするか、腹を立てて手を外すかのどちらかだという話を聞いたことがあります。
それくらい、肩に手を置くというのは、男同士の力関係を如実に現す行為であるのですが、岸田さんは承知していたのでしょうか。

アメリカの政治家や軍人は、支配する時のやり方がとてもうまいのです。
戦争を仕掛け、町という町、生き物という生き物、そして社会も文化もぶっ壊しておいて、後始末や復興や統治を現地の責任者にやらせます。
容赦の無い攻撃によって弱りきった支配国の住民には、これは支配ではなく同盟しているのだと思い込ませ、お金や資源や知能をどんどん貢がせます。

外国の軍隊が居座っているのみならず、常識はずれのもてなしを続けている国。
相手の言いなりといっても過言ではなく、過剰な優遇措置がまかり通っている国。
その国の与党として、戦後77年半の間のほぼ全体に居座って統治してきた政党総裁のこのありさまは、実に今の自民党の実態を如実に現していると言えます。

それのみならず、こんなみっともないアピールも。

この500億円は一体、どこから出てきたのでしょう?
国民から吸い上げた税金ですか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウォシュレット5秒以内洗浄は守るべきかどうか?

2023年01月15日 | 日本とわたし
ウォシュレット…。
日本での普及率は世界一かもしれないと思えるほどに、今やありとあらゆる場所に設置されているウォシュレット。
こちらに移住してこの春で23年を迎えるのだが、我が家にも8年前からウォシュレットが登場した。
このウォシュレット、わざわざTOTOの物を注文し、業者さんが「こんなん見たことも付けたこともね〜よ」と、取扱説明書と睨めっこしながら取り付けてくれたのだけど、ものの1年もしないうちにぶっ壊れてしまった。
ビデを使うとノズルが登場してから退場するまでの間、ずっと水を噴射し続けるものだから、用事のないお尻までの間がびしょ濡れてしまう。
さらに、自動洗浄とやらがとち狂ってしまい、便器の外に水をジャアジャア撒き散らすので、そいつが出てくるまでにとっとと電源を切らねばならず、だから冬の温かい便座なんてものは望む術もない。
TOTOのくせにと頭にくるが、買い換える気も起こらず、今日も朝から電源をつけたり消したりしている。

去年の末に母の家にやって来たTOTOのウォシュレットくんは、非常に優秀で気遣いができて大人気である。
母は88歳にして、義父は76歳にして、出会った全自動ウォシュレットくんに惚れ込んでいる。
どのタイミングでふたが開くか、どのタイミングでふたが閉まるかを見極めるために、トイレのドアの外でこっそりと見張ったり、試しに手を出したり足を出したりしたらしい。
さらにはどのタイミングで水が流れるかを知りたいがために、パンツがまだ中途半端なまま立ち上がったり座ったりしていたらしい。
部屋に入ろうとするとパッとふたが開くトイレに慣れるにはしばらく時間がかかるわたしだが、あまりにも両親が興奮してるので、いつもより好意的に思えたのか、すぐに慣れてしまった。
確かに便利である。
特にろくに歩けなくなった母にとって、杖をついてようやく到着し、ドアを開けるや否やスウッとふたを上げてくれるトイレは、まるで「ようこそいらっしゃいました、お待ちしておりましたよ」と言われているような気になるのだろう。
さらには、彼女はちょっとした動作がきっかけになってバタンと倒れてしまう症状が出てきているので、ふたの上げ下げや水を流すノズルに手を伸ばさなくてもよくなったことは、大きな助けになっただろう。
とにかく二人の惚れようは横で見ていてもほっこりする。
名前をつけて呼びそうなほどの惚れっぷりである。

そんな二人と先日LINE電話で話していたのだが、突如こんなことを言い出した。
「あんた、お尻は何秒洗てる?」
一体何の話なのだとしばし唖然としていると、
「あんた、5秒以上洗たらあかんのやで!」ときた。

さっそく「ウォシュレット」「5秒以上」で検索してみたら、出てくる出てくる、いろんな説がいろんな人によって語られていた。

・温水は5、6秒あてれば十分
・長くあてすぎると、肛門周辺の皮脂まで洗い流されてしまう
・皮脂は、皮膚を刺激から守るバリアのような働きをするものなので、洗い流してしまうとかゆみやかぶれなどトラブルのもとになる

と、ここまで読んで、ふむ、どこかで聞いたことがあるなと思った。
ああ、洗顔に同じようなことが書かれてあって、わたしはそれを読んで以来、朝は生ぬるいお湯だけで顔を洗っているわけで、まさかお尻にも共有されることだとは思いもしなかった。

・お尻の穴に直接あてない

別に狙ったわけでもないのに肛門に直接当たるのか、見事に水が入ってしまうことが少なからず、わたしにはある。
わたしは大腸検査の大ベテランで、一度など2本のぶっといチューブを同時に突っ込まれて、長い時間かけて検査されたこともあるので、肛門の締まりがあまりよろしくないからか余計に水が入りやすい。
やばいのではないか?

・水圧は弱めに設定する

これは困った…。しっかり洗えてる感じを得たいが為に、水圧を強くしがちなのだ。
確かに水圧が強い分、飛沫が周りに飛び散る可能性も高まることは知っていたが、皮膚を傷める原因になるということにまで考えが至らなかった。

・腸内、膣を洗浄するための使用は、ウォシュレットの不適切な使い方である

温水が出るノズルはトイレの内部に設置されているので、こまめに清掃していたとしても菌が付着している可能性は否めず、そのノズルから出る水を腸内や膣に流し込むのはとても不衛生、と書かれてあった。

そういや夫は、うちのウォシュレット以外は使う気にならないと言っている。
いや、うちのウォシュレットにだってきっと菌が付着しているはずで、それが夫菌であろうがまうみ菌であろうが、菌には違いないのだが…。

というわけで、赤裸々とまでは言えないが、かなりぶっちゃけた話になったのだけど、あれから5秒が気になって仕方がないトイレタイムなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましてこのやろうでございます。

2023年01月13日 | 日本とわたし
しんぶん赤旗のスクープです。
政治資金規正法違反の疑いで、高市早苗氏らが昨年末、刑事告発されていた、という記事です。

政治家(特に自民党)の悪行、醜態にはキリがありません。
もう癖のように、当たり前の如く、悪いことをしているという意識も無くなって、こういったことを日常に繰り返しているのだろうと思えるほどです。
国会では席に座っているだけで、居眠りをしたり本を読んだり携帯電話遊びをしたり、それで世界で最も高額な収入を得ている国会議員たち(政党交付金については、交付拒否をしている日本共産党など、野党それぞれに差がありますが)。



これで国の政治が腐らなかったらおかしいです。

政治資金規正法違反の疑いで、高市早苗氏らを告発した神戸学院大学の上脇博之教授は指摘します。 
「領収書は支出側と受領側が取り交わした証明書だ。告発後に違法の“証拠”となる領収書を差し替えるなど聞いたことがない。違法性を否定するために、虚偽の領収書を発行したとすればこれ自体が重大問題だ」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イチオシの素晴らしきプロフェッショナルたち

2023年01月08日 | 日本とわたし
今回の日本行きで出会って心底素晴らしいと思った方々のことを書きます。

まずは瀧本一先生、鍼灸と整体の先生です。

ウェブサイトの自己紹介より:
「医者より養生 薬より手当」
これは私が学ばせて頂いた仲野整體に代々伝わる治療哲学です。
どんな良い医者にかかるより自分が行う日々の養生(生活に留意して健康の増進を図ること)が大切であり、どんな高価で速効性のある薬を飲むより心のこもった手当がカラダにとっては有効である。

もうここだけでわたしの心のツボにハマったのですが、実際に治療を受けてみるともう、もしもできるならこの治療院の近くに引っ越したい!と思うほどに。

ウェブサイトはこちら。
facebookはこちら

とにかくユニークですごい腕の持ち主です。
自分でどんどん改装し、いろんなアイデアを形にして治療に取り入れていくそのエネルギーがすごい。

冒頭で紹介した先生の自己紹介の続きです。
「この言葉に出会った当時の私は、2年間過ごしたオーストラリアから帰国したばかりの時でした。
オーストラリアで私は、競走馬の調教の仕事に携わり、毎日馬に乗り、お世話をする日々を過ごしていました。
競走馬は、走る為に人工的に作られた動物でとても貧弱です。
毎日獣医の診察があり、飲み薬や注射が処方されう彼らの汗からは、薬の臭いがする程でした。
そんな中で時々変わったドクターが、厩舎(馬を飼う施設)にやってきて、馬の背骨や足の関節を動かしたり鍼をしたりしています。
それがカイロプラクターであり、鍼灸であると気がつき、自分も薬や注射でなく、自然な形でカラダの調子を整える彼らの様な仕事がしたいと思うようになりました。
帰国して…
そして帰国後、すぐに医療機器の専門商社に入社し、全国の医療機関や治療院を飛び回りながら鍼灸学校で学ぶ日々が始まったのです。
そんな矢先に2年前から交通事故で足を病んでいた弟の症状が悪化していきます。
左足の複雑骨折から感染を起こし、何度も手術を繰り返してきた弟ですが、繰り返される手術と長期のステロイドの投与でカラダはぼろぼろになり、本人だけでなく家族も疲弊し、重い空気が流れていました。
もう少しこの治療を続けるか?
それともいっそのこと義足にするか?
そして悩んだ末私達家族が出した答えは、「医者より養生 薬より手当」の仲野整體でのセカンドオピニオンでした。
驚くことに、わずか半年弱の治療で状態はどんどん良くなり、川に入って遊べるようになり、好きだったサッカーができるまでに回復したのです。
これを目の当たりにした私は卒業後、迷うことなく仲野整體の門をたたき、修業生活に入っていきました。
仲野整體での5年間の日々は、素晴らしい環境に恵まれ、非常に充実した期間となりました。
日々の臨床で様々な患者さんと出会い、仲野先生の「人間学」を学び、様々な学会に参加して自分の知識を深めていきました。
そして、「あっ」というまの5年間がすぎ去り、私の学んできたことが少しでも世のお役にたてればとの想いで開院を決意しました。
「医療者である前に人間であれ」
の言葉を胸に、毎日の臨床に取り組んでいます。
ご縁のある方のカラダの悩みの解決と、より豊かな人生のサポートをいたします。
1人でも多くの方と出会える事を楽しみにしています」

もしお近くにお住まいでしたら、いや、車や電車を使ってなら行けなくも無いというところにお住まいでしたら是非是非!

院内はほぼはじめ先生の手作り。
まずは手前の部屋の緑色の電動式ベッドにうつ伏せになり、整体をしてもらいつつ体全体の様子を診てもらいます。
わたしの場合、首や背骨に外れていた部分があったからか、ボキボキと整体を施してくださいました。
いつもなら苦手で言われても断ることが多かったのですが、はじめ先生の整体は気持ちよく受けることができました。
腕がいいことはもちろんだけど、大丈夫、安心していいんだっていう気持ちにさせてくれる力があるんだと思います。
それが済んだら奥の部屋に移動して、いよいよ鍼治療が始まります。
鍼治療のベッドから天井を見ると、何本もの細い鉄パイプが取り付けられていて、そこからクライミングなどに使うロープが何本もぶら下がっていました。
一体これは…と眺めていると、「ちょっと横向きに寝て、ここに腕を通してください」と言われて、痛む方の左腕を通したのですが、無防備に開いた脇下をツンツン突いて「じゃあここら辺に一本刺しますね」と、脇から10センチほど下がったところに的を絞ったはじめ先生。
見学していた夫が慌てて、「彼女は大の鍼嫌いで、一番細い日本製の鍼しか受け付けないのです」と言ったところ、「うーん、多分大丈夫ですよ、ぶっとくてもズンと刺しちゃうとかえって痛みを感じなかったりするので」と先生。
「いや〜そりゃないですよ、絶対にわたしに限ってそんなことは」と口答えしようと思う間もなく、結構ぶっとい鍼が入っていました。
全く痛くなかったし…。


これは最近完成したパワーラック、もちろんはじめ先生の手作りです。
だから世界でたった一台!
体幹作りや筋肉増強、そして患者さんのリハビリにも使われます。

この枕ももちろん手作り。

一鍼灸院のはじめ先生、めっちゃオススメです!

場所:
三重県名張市丸之内29-1
電話番号:
予約:
info@hajime-karada.com


次はG-KENEYES(ジーケネイズ)、メガネ屋さんのマネジャー、小川都志朗さんです。
ジーケネイズ、変わった名前でしょう?
彼のことはピアノの師匠から教えてもらいました。
2年前に、こちらで作ってもらったレンズがまるでトンチンカンだったにもかかわらず、5万円以上も払わされて大いに困っていたわたしに、ちゃんとしたメガネを作ってもらいたかったらここがいいと教えてくれたのです。
まず検眼に対する姿勢と情熱がすごい。
だから信頼して何年も通っている。
三重県から大阪まで、メガネを作ってもらいに通い続けたくなる人ってどんな人なんだろう。
行く気満々になった頃は、すでに日本はコロナ禍で鎖国状態。
だから楽譜はそのクソったれレンズを通してほぼ予想読みしなければならず、ストレスの連続でした。
なので今回小川さんにメガネを作ってもらうのは、今回の日本行きの大きな目的の一つでもあったのでした。
久々の大阪の地下鉄を乗り継いで行ったのは土佐堀通り。
相愛の子供音楽教室に通っていた頃のことを思い出しながらの、妙に懐かしい道中でした。
約束の時間ギリギリに到着し、簡単な自己紹介をして、早速検眼が始まりました。



ウェブサイトの紹介文より:
ジーケネイズでは、日本国内はもとより、ヨーロッパなどへ私どもの眼鏡にかなうフレーム探しに出向き、相思相愛、良い出会いがあれば買い付け、それをお色直しをして、ショップ内のチェストに大切に仕舞っております。
そんな思い入れがある大切なメガネ、大切なお客様にご覧いただければと願っております。

ジーケネイズのメガネは、視力や視機能を矯正する道具だけでなく、お洒落(演出)のアイテムでもあります。
どう自分を作るかは、選ぶポイントで変わります。
思い込みや偏見で選ぶ人が多い中、隠れた魅力を引き出すステージ作りをしています。

フレームが決まれば、視力・屈折・視機能検査になります。
良いメガネを作るためには、良い視力は当然ながら、両眼視に於いても正しく見えることが必要となってきます。
そのため、年齢にかかわらず、眼位や調節の検査をし、時には内・外(融像幅)の検査(米国式21項目検査から)も追加し、お客様との共同作業により、快適なメガネをお作りしております。

当ショップは、20数年前に日本眼鏡技術研究会が発足した当初からお世話になり、メガネ店に於ける両眼開放屈折検査や、両眼視機能検査を勉強させていただき実践してまいりました。
両眼開放屈折検査とは、片眼遮閉屈折検査で得た値を、両眼を開けたままで各眼の屈折度をチェックし、時には日常視力の屈折度に修正し、快適な眼鏡度数を得る検査をいいます。

つまり、左右の眼が同じ視標を両眼で同時に見る両眼視力ではなく、左右の眼がそれぞれ違った視標を両眼を開けた状態で、左右それぞれの眼を測定する方法です。


実に2時間半もの時間をかけて、測定してくださった小川さん。
裸眼で1.2まで見えることがわかりびっくり!
けれどもそこに老眼だの乱視だのが混ざり込んで、なんとも複雑怪奇な目の持ち主のわたしに、それはそれは辛抱強く応対してくださったのでした。
測定のための仕法の細かさ、はっきりとした結果が出るまでの粘り強さ、そしてその過程において選ぶレンズの適切さは本当に見事で、これぞ真のプロフェッショナル!と唸りたくなるほどの仕事っぷり。
感動の測定が終わり、いよいよフレームの選定です。

海外在住のお客さんに人気のフレームを紹介してもらいました。


弾力性がありながら頑丈で、ちょっとやそっとでは壊れないのが心強い。
偶然にもこのフレームは、クソったれレンズをはめたメガネのフレームと同じく、福井の鯖江で作られた物なんだそうです。
レンズはまるで役立たずですが、フレームはある著名人が使用してから値段が急激に上がり、今では手に入れるのが難しくなったんだそうな。
値上がりしたと噂のフレームはこちら。


どちらのフレームもとても軽くて、長い時間かけていても負担になりません。
特に新しい方のフレームは、耳にかけるというより頭がやんわり掴まれている感じ。
レンズはピアノの楽譜立てに置いた楽譜を、左右上下、どこを見ても焦点が合うという特別仕様です。
家に戻ってからすぐに、ピアノの蓋を開け、楽譜を置いてみました。
お〜見える見える♪♪
音符はもちろん指番号までくっきり見えます♪♪
幸せだなあ〜…。

住所:
大阪市西区江戸堀1-24-16  
TEL:
営業時間:
月~金曜日 10:00~20:00
土・日・祝日 10:00~17:00
休業日・不定休
URL:
http://www.g-keneyes.com/


最後に『まんまる』さんという、介護に必要な用具の販売、組み立てや設置を請け負ってくださっているお店の代表、田中勇仁さんを紹介させていただきます。

母がこれまで張り続けてきた意地を捨て、米寿を迎え、やっと介護保険を使わせてもらう決心をして、ケアマネさんが家に来てくださったのが昨年の冬のことでした。
そのケアマネさんが教えてくださったのが『まんまる』さんなのでした。
パンフレットを持ち帰ったら良かったのですが、うっかり母の家に置いてきてしまいました。
日本の介護制度はここに比べたら月とスッポン、本当に素晴らしいと、間近に見させていただいてさらに実感しました。
歩くことが困難になり、わけもなくバタンと倒れるようになった母を心配して、手すりの棒を何種類か買って用意していた弟が、わたしを大阪から送りがてらそれらを置いて帰ったのですが、そのことを知った『まんまる』さんが、その優しい息子さんの気持ちを大事にしたいと、予定外なのに急遽取り付けてくださったのがこのトイレの手すりです。

一度付けて使ってみると、指が入りにくいことがわかり、手すり棒に同封されていた板をはめて再度取り付けてくださいました。


取り付けをしてくださっているのが田中さんです。
介護ショップ『まんまる』の代表で、福祉用具専門相談員・福祉用具選定技能士さんです。
アメリカでは絶対にあり得ないことなので、もう胸の中は熱くなりっ放し。
もうほんと、大袈裟ではなく、神さまのように見えました。

彼のおかげで、母の家のお風呂場、廊下、そして玄関から道路までの階段に、とてもしっかりした手すりが付いて、母は「有ると無いとでは大違い。恐々と動かなくてもよくなった」と大喜びです。
だ〜か〜ら〜、もう10年近くも言ってたでしょうが〜と、深いため息と一緒に言いたいのをグッと堪えて、良かったね〜と言う今日この頃です。

介護ショップ「まんまる」
住所:
〒519-0111 三重県亀山市栄町1488-205
電話:
0595-84-0202 / FAX 0595-84-0203
営業時間:
月曜日~土曜日 8:30~17:00
定休日 日曜日・祝日・12/30~1/3
Eメール:
info★manmarukaigo.co.jp (★を@に変えてください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年、遅ればせながら明けましておめでとうございます!

2023年01月08日 | 日本とわたし
と、明けてもう7日も経った今日、やっとそう言える気になった。
ちょっと大袈裟に言うと、茫然自失状態で半月を過ごし、時差ボケも重なって、おせちも掃除も何もする気が起こらなかったのだけど、とりあえず習慣的に体が動き出し、なんとか間に合わせた正月だった。

昨年末のクリスマスもそうだった。


例年のごとく、夫の姉(といっても6歳も下)におんぶに抱っこで、わたしはただほうれん草の胡麻和えを作って持ってっただけで、集まってきた人たちとなんとなく楽しそうに話して時間を過ごした。
二人の息子たちはそれぞれに事情があってどちらも来られなかったのだけど、長男くんの奥さんのTちゃんが一緒にいてくれて、話がいっぱいできてよかった。


去年の11月中旬から12月中旬にかけて、約3年ぶりに日本に行った。

随分時間が経ったと思って確かめたら、まだ国から出てもいないことを知って呆然としたが、こうやって見ると行程の約半分がアメリカ大陸なのだと思い知る。


コロナ禍が勃発する直前に、頚椎の手術を受けた母が、感染を恐れて家の中から一歩も出ない毎日を2年近くも続けているうちに、みるみる弱って歩けなくなり、食べられなくなった。


LINE電話やビデオ通話でどんなに励ましても、状態は一進一退を繰り返すだけで、一向に前向きな気持ちにならない。
寂しいのだろう。
母は寂しいだの悲しいだの、人に心配をかけるような言葉は一切使わないと心に決めているのだが、全身でそう訴えていることに気づいていない。


成田空港の入管手続きでばかばかしいほどに時間がかかり、わざわざ事前に2時間ほどもかけて手に入れなければならなかったQRコードはまるで役立たずで、外国人旅行者はほぼ全員怒っていた。
その意味不明のノロノロ手続きのせいで、乗り継ぎの飛行機に乗れない人もいた。
疲れ切った心身を奮い立たせて東京から新幹線とJR線を乗り継いで母が住む町まで行き、予約しておいたオンボロなビジネスホテルに泊まり、翌朝母の家に行った。
ようやく会えたというのに、彼女は足のマッサージ機の前に座って新聞を読んでいて、こちらに顔を向けようともしない。
不機嫌マックスである。


実に母は人をがっかりさせる天才である。
けれどもそんなことには慣れっこなので、とっとと無視して近くの温泉行きの準備をする。
そして見てしまった。
母は本当に自力では歩きづらいほどに弱っていて、そんな姿を誰にも見られたくないのに自分ではどうしようもなくて、だから怒っているのだった。
でも、出かける先は母のお気に入りの、とても良いお湯が出る温泉である。
料理も美味しいし、おまけにパークゴルフができる。
前にも何度か歩きにくくなった時、ここに行ったら突如歩き出して、元気に18ホールを2回も回ったことがあるので、きっと今回もなんとかなるはずだと思っていた。
1泊目、温泉に入ることを拒否して部屋風呂に入った母が、同行している従姉とわたしが両側から抱えてあげるからと言うと、やはり部屋風呂は物足りなかったのか、2泊目の夜は温泉のお湯に浸かった。
温泉での2日半の間に、腕を貸してあげれば結構歩けるようになり、食欲も増して姿勢も良くなったが、家に戻ると空気が抜けた風船のように萎んでしまった。
わたしは普段の仏頂面を棚に上げ、ぎこちない笑みを顔の皮膚に貼り付けて、ありとあらゆる前向きな言葉や態度を押し付けがましくならないように注意しながら、朝から晩まで母の近くから離れなかった。
母に、人に助けてもらうことは恥ずかしいことでも屈辱的なことでもないのだということをわかってもらいたかった。
でもわたしはただの娘で、セラピストでもなければ医者でもないので、空回りする言葉や行動が悲しくて、孤立無縁の虚しさに押しつぶされそうになった。


小休止に伯母と弟夫婦に会いに行った。
ずっと会いたかった97歳の伯母は元気にしてくれていたし、昨年から闘病中の義妹も、辛い治療が続いているにも関わらず元気な姿を見せてくれた。
その二人の元気さが、きっとそれぞれに大変な思いを抱えているだろうに、それを隠して見せてくれた元気さが、わたしにとってどれほどの励みになったかわからない。

弟夫婦とわたしたちで、コリアンタウンに繰り出した。










母の家までは弟が車で送ってくれた。
3年ぶりなので、少しでも長く一緒に時間を過ごしたかったから、忙しい最中に申し訳なかったのだけど、お言葉に甘えさせてもらった。

日本は外国人旅行者を受け入れたけど、街を歩く人たちはほぼ全員マスクをつけていたし、一人で車に乗っている人もマスクをつけていた。

夜は母と同じ部屋に布団を敷き、彼女のベッドのすぐ隣で寝た。
わたしと弟がまだ子どもだった頃、母は洋楽と洋画にかぶれていて、だから和式のものは一切受け付けなかったのに、スナックバーを経営してから突如演歌にハマったらしい。
数年も経たないうちに母とは別れ別れになったので、その後の経過は知らないのだけど、ずっと贔屓にしている歌手は森進一で、眠り薬に彼の歌を3曲聴いて寝るのだった。
とんでもなく古いカセットテープデッキに、何百何千回と回されて擦り切れたカセットテープに吹き込まれた森進一の歌は、途中で切れたり飛んだりする。
それが気になって仕方がないわたしは、律儀にデッキのスイッチを切ってから1分も経たないうちに聞こえてくる母の寝息を聴きながら、離れるまでに絶対に吹き込み直してやろう決心した。
宅配のおかずの配達を中止して、いろいろと料理をしたのだけど、あまり喜んではもらえなかった。
母の好みやルールは日どころか時間で変わる。
数時間前なら喜んだであろうものが、いきなり気に入らなくなることなどざらにある。
けれども確かに口から入れる量を増やすことはできた。
ろくに食べずに栄養失調になり、それを補いたいからとインターネット販売のなんちゃって漢方やサプリメントを手に入れて、それが原因で体調を崩したりする母に、何度やめろと言っても聞く耳を持たない、というか忘れてしまう。
米寿の直前に料理はもうしないと決めた彼女には、健康的なおかずだの料理だのは意味の無い物事で、どんなものを目の前に置いてもぼんやりと眺めるだけで、美味しそう、なんて絶対に言わない。
けれどもとりあえず口に入れてくれただけでもありがたいと思う。

やけに水前寺清子の「365歩のマーチ」が思い出される毎日だった。
3歩進んで2歩下がる。
時には2歩進んで3歩下がることだってある。
けれどもとりあえず前を向いて前進したり後退したりしているうちに、気づいたら前に進んでいるはずだ。
母の家を出る日が近づくと、急に前向きなことを言い始める彼女が可愛らしかった。
何かを取ろうとする指が小刻みに震えていたり、靴を履こうとしても痺れたままの足が言うことを聞かず、結局は幼い子どものように履かせてもらったりする母、歩くとすぐによろけて、前や横に倒れていく母。
この3年の間にこんなに弱ってしまったのは、家にこもってどこにも行かなくなったからだ。
頚椎の手術を急に受けることにしたのは、長男くんの結婚式に欠席したかった母の言い訳作りのためだった。
そこまでして欠席したかった理由は、もちろん外科医の勧めもあったのだけど、老いてみすぼらしくなった姿を晒したくないという、彼女独特のプライドの高さだった。
そして手術を受け、コロナ禍が始まり、その後のリハビリや運動をほとんどしないまま家に篭り、身体中の筋肉や骨や腱がじわじわと弱っていった。
養子をとって子育てしていた50代から70代の間は、年齢を偽っていたので友だちもできず、せっせと内職に励んでいた母が、やっと人生で初めての友だち付き合いをするようになったのに、それも一切やめてしまった。
得意だった車の運転も、免許証を返納してできなくなった。
連れ合いの義父は一回り年下で、ものすごく親切なのだけど耳が遠くて気が回らないので、母からいつも怒鳴り散らされているのだが、流石にここ数年は頼りにせざるを得なくなったからか、少しは感謝されている。

家を出る日の朝、よろよろしながら母が靴を履き、玄関の戸の外に姿を現した。
じゃあ行ってくるね、と言って彼女を抱きしめて、手を振りながら階段を降りたのだけど、縮んで小さくなった体を心許なそうに揺らせている姿を見て、たまらなくなってもう一度階段を駆け上り抱きしめた。
また3月に来るから、それまで待っててね。
そうだ、3月に来よう。
また3月に来るならアメリカに戻っても良いと、なぜだか急に言い出したのは母だった。
どうして3月なのかはわからないけど、これまでに絶対にそんなことは言わなかった彼女が、アメリカに帰って欲しくないという気持ちをぶつけてきたのだ。
88年目に初めて見せてくれた正直さに胸を打たれた。

東京に移る前にT先生の家にお邪魔した。
美味しいものをいっぱいご馳走になり、積もり積もった話もして、また元気が戻ってきた。




可愛すぎる雀ちゃんたち

東京では、大好きな人たちと会って話をした。



とにかく独りになりたかったので、予定を変えてホテルを予約したのだけど、それがまたとんでもなく狭い部屋で、畳敷だというのにベッドの周りに背びれや尾びれのようについているだけの酷いもので、6階だというのに底冷えがした。
9階のなんちゃってラウンジからの景色だけが良かった。


歩きまくった浅草の町









普段は縁遠いオシャレな銀座。

日本最後の夕飯は、テイクアウトのインド料理。
グルテンフリーなんてポリシーは最初の日からぶっ飛んじゃってたのだけど、〆にナンを食べたらお腹周りがボコボコ膨れた。

空港に着いても悲しい気持ちが一向に離れてくれない。
たまにアメリカに戻る自信が無くなることは今までにもあったけど、今回のは途方に暮れるサイズの揺れ方だ。
自分が一体どこで息をしているのか、どこに行こうとしているのか、ぼんやりしてるのにやたらと力が強い何ものかに押されて、涙がじわじわと出てくるのだった。

飛行機はわたしの体をアメリカに移動させることができるけど、わたしの心はどこに行くのだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国『クタクタな心と体に追い打ちをかける電車』事情

2022年11月08日 | 日本とわたし
発表会が終わった土曜日の夜に、クタクタの脳みそを叱咤激励しながら、翌日の日曜日の朝の選曲ミーティングに備えて、小サイズの、しかもうちのオケメンバーの条件(例えば木管楽器は充実してるけど金管楽器が手薄だとか、そういう細かい部分)に合いそうな曲を必死になって探した。
瞼は重く、耳は遠く、意識がほぼどこか別の所に行っちゃってるような中、とりあえず8曲見つけ出して寝た。
翌朝は予想以上にどんよりと重いままの頭に鞭打って、ズームミーティングに参加。
わたしが選んだ曲について細かい部分を聞かれても、正直言って内容が頭に入っていないので、えーっと…などと口ごもりながら誤魔化していると、パソコンで共有しているスプレッドシートにどんどんと書き込みが入っていく。
書き込んでいるのはもちろんわたしではない。
いやあ世の中進化したもんだわと、とうの昔から見慣れていることにさえ感心してしまうボケようだ。
結局最終的な結論には全く到達せず、昼からのリハーサル後にまた再度話し合うことになった。

マンハッタンへ車で行こうか電車で行こうか、はたまたバスで行こうか。
これがいつも悩ましい。
一番簡単で便利なのは車だけど、最寄りの駐車場で一番安い所を選んでも25ドルはかかる。
そこにニュージャージーとマンハッタン島を結ぶトンネル料金が年々上がり、今では割引でも12ドル50セントも取られる。
しかも割り引かれる時間帯が決まっていて一日中ではない。
その点電車が一番安くて(しかもわたしはシニア料金なので半額の3ドル!)渋滞も無いのだけど、平日でも1時間に1本しかない電車が週末はなんと2時間に1本になってしまうもんだから不便極まりない。
バスはその間をとって片道7ドルで、週末でも1時間に1本走るのだけど、そもそも運行時間がルーズな上に渋滞が重なったりしたら、約束の時間に遅れる可能性が高い。
特にこの日曜日はマラソン大会が行われたので、多分電車が一番無難だろうという結論に達した。

マラソン大会の余波なのか、人が異様に多い。
このお兄さん(もうおじさんと言った方がいいのか?)に久しぶりに会った。

タイムズスクエアから日本企業のコマーシャルがすっかり消えてからもう何年経っただろう。

黒人のお兄さんたちによるドタバタアクロバットショーが復活していた。

何やらブラジルの人たちが抗議集会をしていた。


10月30日に行われたブラジル大統領選の結果に抗議するデモのようだ。
集まったのは多分、僅差で敗れた現職のボルソナロ大統領の支持者なんだろう。
当のボルソナロ大統領は、11月2日時点では選挙の敗北宣言をしていない。
今回の選挙で採用された電子投票システムに疑念を示していて、自分の支持者にデモを後押しするような発言をした。
まるでブラジル版トランプだ。

オケのリハーサルが終わり、選曲ミーティングも終わり、ペンシルバニア駅に戻る途中、人混みがさらに増していてびっくり。
いよいよ全身クタクタで、もうほんとは歩きたくもないので、あちこちで立ち止まっては写真を撮った。

タイムズスクエア

スクエアから少し離れた道路脇でも大勢の人、人、人。

あ、タダで写真を撮っちゃダメ!と、スパイダーウーマンが止めに来た。

今日のランナーさんたち。

馬さんも忙しかっただろうに…お疲れさん!

と、疲れてはいたが、ここまでは良かったのだ。後にして思えば。

ペンシルバニア駅の構内に入った途端、そこにいる人たちの頭の上で、イライラくんが盛大にダンスしてるのが目に入ってきた。
これはまずい。

みんなが見上げているのはこれ。電車がどのトラックから発車するかを知らせる電光掲示板なのだけど、もう20年以上も経ってるのに、いまだにコレには馴染めない。
なにしろ、発車5分前にならないとトラック番号が掲示されない。


この日は6時11分の電車に乗って帰るつもりだったのだけど、8分になっても番号が提示されないのでおかしいなと思っていたら、発車時間が過ぎてから「今日は遅れます」というアナウンスが流れた。
いやあ、こんな人混みの中でずっと居たくないんだよなあ。
もちろんわたしはマスクをつけていたけど、それでもゴホゴホ咳き込んでいる人が何人かいたので、少しでも密度が低いところを求めて転々とした。

今日はそもそも人が多い日で、週末で、夕飯前でペコペコで、だから普通よりイライラしてる。
なのに電車が遅れた。
みんなもううんざりしているから、番号が分かった時のことを想像するとちょっと恐ろしい。
みんなが目指す入り口は、普通の家のドアに毛が生えたぐらい(ドアに本当に毛が生えたらどんなだろう、と一瞬妄想してしまった)しかない狭さなので、今日はもう嫌な予感しかない。

わかりますか?ずっと奥、左側にある10という数字が記されたドアが。


四方八方から集まってくるから当然こうなる。

結局電車は満員で、しかも週末は直行ではなくて途中下車して電車を乗り換えないといけなくて、案の定乗り換え電車はいつものようにすぐに来なくて、結局30分で帰れるところを2時間半もかかってしまった。

日本当たり前のように電車に乗っていらっしゃるそこのあなた。
日本の電車がどれだけ優秀で便利でありがたいか、そのことを痛感したくなったらアメリカにいらしてください。
泣けますよ、マジで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする