これは、シリアの子どもが描いた絵です。

そしてこれは、今一番、強く思っていることです。

今、わたしたちにできることは何なのか、わたしたちがしなければならないことは何なのか…。
一方的な情報でしかなく、だから本当の本当にはわからないことだらけの、辛い知らせを聞いてから、ずっと考え込んでいました。
守田さんが送ってくださるメールを読みながら、気持ちを整理して、少しだけここに書き記しておこうと思います。
メールの中で守田さんは、伊藤弁護士が発表された考察を紹介しておられました。
わたしもこの文章を読んでおり、ぜひ皆さんにもと思いつつ、要約をして紹介するという気力を失ってしまっていました。
今、守田さんに背中をちょいと押していただいたので、以下に抜粋引用したものを紹介させていただきます。
この伊藤弁護士は、2004年4月に発生した、イラク日本人人質事件での、釈放後の人質の方々や家族の代理人弁護士を務め、解放までのほぼすべてのプロセスに立ち会った方です。
イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
2015年1月31日
伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/
■ 2004年イラク日本人人質事件
・この時の武装勢力は、純朴な地元の青年たちがにわかに結成したもの。
「2003年のイラク戦争後に、イラクの人々が置かれた苦境を世界の人に知ってほしい、この不正義を正してほしい」
この彼らの訴えに対し、この約10年近くの間、結局、超大国や国連を含む世界のほぼすべての人々が、無視を決め込んできた。
・イラクの人々の蓄積された怒りと増悪、そして大地に流されてきた幾多の血が、残虐行為を顧みないISを生んだ。
・2004年のイラク法人人質事件のさい、人質であった高遠さんは、自らの人間性をかけて武装勢力を説得した。
・支援に関わった友人や支援者は、人質となった人たちの思いや存在性を知らせる映像をアルジャジーラに送り、アルジャジーラがそれらを放映してくれた。
・他にも、様々な発信や行動が起こされた。
・高遠さんがつながっていたNGOの現地スタッフは、多大な危険を冒して宗教指導者に会いにいき、説得に尽力し、結果地元の宗教指導者から解放指令が出た。
・人質となった人々が犯人集団と対話を続け、日本の市民社会が後押しし、その声が犯人グループの元まで届いた。
■ IS誕生の土壌~この瞬間も続くアラブの人々への人権侵害
・『IS掃討』『テロとの戦い』という名のもとに、イラク治安部隊とシーア派住民が、無抵抗のスンニ派住民を殺害している。
ISによる人権侵害の被害も、あまりにも凄惨で残虐である。
・なぜISなるグループが生まれ、勢力を拡大しているのか、その背景にどんなフラストレーションがあるのか。
・これほど重大な人権侵害が、国際社会から黙殺された国(=イラク)は珍しい。
・イラク国内の地元の人々の悲鳴や救いを求める声が徹底的に黙殺され、
そうした中、ISの前身(ダイシュ)が、マリキ政権の弾圧に絶望した人々の信頼を得る流れをつくり、勢力を拡大し、6月のイスラム国建国宣言につながった。
・イラク戦争からのこの10年余、もっと人々が、国際社会が、イラクの人権侵害に心を寄せていれば、効果的に介入ができていれば、ISのようなモンスターが登場することはなかっただろう。
・イスラムの人々にとっての不正義の象徴であるパレスチナにおいても、
イスラエルの戦争犯罪を問おうとする動きが起きるたびに、日頃『人権』を声高に叫ぶ西側諸国がこぞって、イスラエルを擁護する。
・米国主導の『対テロ戦争』において、『テロ容疑者』として捕獲したイスラム教徒に対し、拷問の限りを尽くした。
・その際、米軍がイスラム教徒に着用させたのは、今回の人質の方々に着せられたと同様のオレンジ色の囚人服だった。
■ 軍事的な勝利はない
・イラクのスンニ派に対する不当な取り扱いに、直ちに終止符を打つこと。
・イスラム教徒に対する殺人、拷問、尊厳の破壊などの重大な人権侵害について、西側が真摯に謝罪をし、責任者の責任を明確にし、補償をすることなくして、説得は得られない。
・根本的には、イスラムの人々を、尊厳をもった人間として対話を積み重ねていく必要がある。
・イラクで、イスラム国ではない平和な共存を求めている市民社会に対し、国際社会の支援が少なすぎる。
イスラムの未来世代・子どもたちの教育への投資・支援も少なすぎる。
↑以上の、伊藤さんの言葉の中にもありましたが、2004年の人質事件の際に支援に関わった友人や支援者のひとりが、守田さんなのでした。
↓以下は、当時、守田さんがどういうことをしたか、具体的な話をしてくださっています。
転載はじめ
2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。
拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙は、ヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して、
「誤爆だと言いいながら、俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」
「それに比べれば誘拐なんて、もっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言いまう。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。
そうすると、ドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。
このことは、ずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、
手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や、彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方で、とても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは、自衛隊撤退を求めていました。
僕たちは、
「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に、
「私たちも、日本軍(自衛隊)を引かせるために最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも、最大限の努力をします。
どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際に、そのために行動しました。
何度も平和を訴えて、デモをしました。
でも、イラクの人々への攻撃は、ちっとも止められなかった。
アメリカ軍も自衛隊も、長い間引き戻せなかった。
努力したとはいえ、無念ながら、約束は果たせませんでした。
今でも、そのことがとても辛いです。
小泉元首相をはじめ、誤った戦争を全面支持した首謀者が、何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに、憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。
2004年4月のものです。
*******
「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」
アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
(あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)
あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りは、とてもよく伝わりました。
日本でも、軍隊を戻せという運動が起こっています。
あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に、反対していた人々です。
彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
そしてそれは、軍隊を撤退させようという、日本の世論の高まりにつながります。
ですから、3名を解放してください。
私たちも、日本軍を引かせるために、最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも、最大限の努力をします。
どうか、3名の日本人を解放してください。
イラクの人々に、神様の祝福がありますように。
平和を愛する私たちの願いです。
*******
あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、
今、大変な形で世界に、日本に、私たちに、跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのは、そのことです。
彼ら、彼女らが行っていることは、「報復」なのだろうと思います。
残虐な暴力に対する、残虐な暴力による仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後に、もっと辛い思いで振り返りたくはない。
いや、10年後などと、悠長なことは言っていられません。
今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が、無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。
そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、
同時に、3人に、「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに、僕が発信した詩をご紹介します。
集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。
もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。
ここに紹介した伊藤さんの文章のような、真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で、平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と、連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに、前に進みましょう。
*******
血の通った言葉を
言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」
思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた
卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ
これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる
そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」
全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ
―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう
誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに
2004年4月18日
守田敏也
------------------------
守田敏也 MORITA Toshiya
[blog] http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

そしてこれは、今一番、強く思っていることです。

今、わたしたちにできることは何なのか、わたしたちがしなければならないことは何なのか…。
一方的な情報でしかなく、だから本当の本当にはわからないことだらけの、辛い知らせを聞いてから、ずっと考え込んでいました。
守田さんが送ってくださるメールを読みながら、気持ちを整理して、少しだけここに書き記しておこうと思います。
メールの中で守田さんは、伊藤弁護士が発表された考察を紹介しておられました。
わたしもこの文章を読んでおり、ぜひ皆さんにもと思いつつ、要約をして紹介するという気力を失ってしまっていました。
今、守田さんに背中をちょいと押していただいたので、以下に抜粋引用したものを紹介させていただきます。
この伊藤弁護士は、2004年4月に発生した、イラク日本人人質事件での、釈放後の人質の方々や家族の代理人弁護士を務め、解放までのほぼすべてのプロセスに立ち会った方です。
イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
2015年1月31日
伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/
■ 2004年イラク日本人人質事件
・この時の武装勢力は、純朴な地元の青年たちがにわかに結成したもの。
「2003年のイラク戦争後に、イラクの人々が置かれた苦境を世界の人に知ってほしい、この不正義を正してほしい」
この彼らの訴えに対し、この約10年近くの間、結局、超大国や国連を含む世界のほぼすべての人々が、無視を決め込んできた。
・イラクの人々の蓄積された怒りと増悪、そして大地に流されてきた幾多の血が、残虐行為を顧みないISを生んだ。
・2004年のイラク法人人質事件のさい、人質であった高遠さんは、自らの人間性をかけて武装勢力を説得した。
・支援に関わった友人や支援者は、人質となった人たちの思いや存在性を知らせる映像をアルジャジーラに送り、アルジャジーラがそれらを放映してくれた。
・他にも、様々な発信や行動が起こされた。
・高遠さんがつながっていたNGOの現地スタッフは、多大な危険を冒して宗教指導者に会いにいき、説得に尽力し、結果地元の宗教指導者から解放指令が出た。
・人質となった人々が犯人集団と対話を続け、日本の市民社会が後押しし、その声が犯人グループの元まで届いた。
■ IS誕生の土壌~この瞬間も続くアラブの人々への人権侵害
・『IS掃討』『テロとの戦い』という名のもとに、イラク治安部隊とシーア派住民が、無抵抗のスンニ派住民を殺害している。
ISによる人権侵害の被害も、あまりにも凄惨で残虐である。
・なぜISなるグループが生まれ、勢力を拡大しているのか、その背景にどんなフラストレーションがあるのか。
・これほど重大な人権侵害が、国際社会から黙殺された国(=イラク)は珍しい。
・イラク国内の地元の人々の悲鳴や救いを求める声が徹底的に黙殺され、
そうした中、ISの前身(ダイシュ)が、マリキ政権の弾圧に絶望した人々の信頼を得る流れをつくり、勢力を拡大し、6月のイスラム国建国宣言につながった。
・イラク戦争からのこの10年余、もっと人々が、国際社会が、イラクの人権侵害に心を寄せていれば、効果的に介入ができていれば、ISのようなモンスターが登場することはなかっただろう。
・イスラムの人々にとっての不正義の象徴であるパレスチナにおいても、
イスラエルの戦争犯罪を問おうとする動きが起きるたびに、日頃『人権』を声高に叫ぶ西側諸国がこぞって、イスラエルを擁護する。
・米国主導の『対テロ戦争』において、『テロ容疑者』として捕獲したイスラム教徒に対し、拷問の限りを尽くした。
・その際、米軍がイスラム教徒に着用させたのは、今回の人質の方々に着せられたと同様のオレンジ色の囚人服だった。
■ 軍事的な勝利はない
・イラクのスンニ派に対する不当な取り扱いに、直ちに終止符を打つこと。
・イスラム教徒に対する殺人、拷問、尊厳の破壊などの重大な人権侵害について、西側が真摯に謝罪をし、責任者の責任を明確にし、補償をすることなくして、説得は得られない。
・根本的には、イスラムの人々を、尊厳をもった人間として対話を積み重ねていく必要がある。
・イラクで、イスラム国ではない平和な共存を求めている市民社会に対し、国際社会の支援が少なすぎる。
イスラムの未来世代・子どもたちの教育への投資・支援も少なすぎる。
↑以上の、伊藤さんの言葉の中にもありましたが、2004年の人質事件の際に支援に関わった友人や支援者のひとりが、守田さんなのでした。
↓以下は、当時、守田さんがどういうことをしたか、具体的な話をしてくださっています。
転載はじめ
2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。
拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙は、ヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して、
「誤爆だと言いいながら、俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」
「それに比べれば誘拐なんて、もっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言いまう。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。
そうすると、ドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。
このことは、ずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、
手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や、彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方で、とても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは、自衛隊撤退を求めていました。
僕たちは、
「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に、
「私たちも、日本軍(自衛隊)を引かせるために最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも、最大限の努力をします。
どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際に、そのために行動しました。
何度も平和を訴えて、デモをしました。
でも、イラクの人々への攻撃は、ちっとも止められなかった。
アメリカ軍も自衛隊も、長い間引き戻せなかった。
努力したとはいえ、無念ながら、約束は果たせませんでした。
今でも、そのことがとても辛いです。
小泉元首相をはじめ、誤った戦争を全面支持した首謀者が、何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに、憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。
2004年4月のものです。
*******
「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」
アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
(あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)
あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りは、とてもよく伝わりました。
日本でも、軍隊を戻せという運動が起こっています。
あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に、反対していた人々です。
彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
そしてそれは、軍隊を撤退させようという、日本の世論の高まりにつながります。
ですから、3名を解放してください。
私たちも、日本軍を引かせるために、最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも、最大限の努力をします。
どうか、3名の日本人を解放してください。
イラクの人々に、神様の祝福がありますように。
平和を愛する私たちの願いです。
*******
あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、
今、大変な形で世界に、日本に、私たちに、跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのは、そのことです。
彼ら、彼女らが行っていることは、「報復」なのだろうと思います。
残虐な暴力に対する、残虐な暴力による仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後に、もっと辛い思いで振り返りたくはない。
いや、10年後などと、悠長なことは言っていられません。
今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が、無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。
そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、
同時に、3人に、「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに、僕が発信した詩をご紹介します。
集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。
もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。
ここに紹介した伊藤さんの文章のような、真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で、平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と、連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに、前に進みましょう。
*******
血の通った言葉を
言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」
思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた
卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ
これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる
そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」
全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ
―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう
誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに
2004年4月18日
守田敏也
------------------------
守田敏也 MORITA Toshiya
[blog] http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011