1週間、家を空けます。
空と海は、もう何やらイヤ~な予感がしているのか、ずいぶんと落ち着きがありません。
毎年のように行っては、かたつむり時間を過ごす、カナダの湖畔です。
同じ場所の同じ風景なので、代わり映えのしないものになること必至ですが、また懲りずに写真をカシャカシャ撮ってこようと思っています。
なにしろ、インターネットはもちろん、電話もテレビも一切使えない、フランス語のラジオ放送ぐらい、というところなので…。
蚊帳の中から世界を見ると、


今年の夏も大活躍!

台所の、10年以上も前にガレージセールで買ったテーブルが、夏の湿気でネトネトするのがとても気になっていました。
先日の夏の大掃除中に、いつ買ったのかも覚えていない、多分これもガレージセールで手に入れたテーブルクロスがひょっこり現れたので、ちょっと試しに使ってみることにしました。

白い生地が、みんなの気持ちを引き締めるのか、食べ汚しがいつもよりう~んと減りました。
めでたしめでたし。
湖畔には、今回は夫の弟も西海岸からやって来ることになっていて、カナダ人の友人夫婦と一緒ににぎやかに過ごせそうです。
友人夫婦は、つい先日、12年一緒に暮らした愛犬バートを喪うという、とても辛いことがあったので、
その悲しみが少しでも癒せるよう、彼らの話をたくさん聞こうと思っています。
バートはとてもでっかくて、優しくて、たくさん走って、泳ぎも上手で、ひょうきんで、甘えん坊で、それはそれは愛しい犬でした。
去年の夏はわたしたちが、15年と半年、日本から一緒に来て生きてくれたショーティを亡くしました。
彼女のお墓の紫陽花が、ひっそりと咲いています。
夏は、『死』を特によく思います。
死は常に、わたしのすぐ隣にいるけれども、それでもやはり夏は、その存在を強く感じます。
今日は広島に、そして明々後日の9日は長崎に、空から世にも恐ろしい爆弾が投下されました。
わたしたちは、その行為に対する謝罪を求め、罪を問わなければなりません。
決しておざなりにしてはなりません。
何年かかろうと、何十年かかろうと、戦争という行為が地球から無くなるまで、
戦争を起こそうとする者たちを許すこと、放置すること、無視することをせず、
暮らしの中で、自分のできることを模索し、どういうことなら、どういうふうなら続けていけるかを考え、実行に移さなければなりません。
不買でもいい、解約でもいい、投書でも電話でもファックスでもいい。
プラカードのデザインでも、作曲でも、朗読でも、詩や物語を作るのでもいい。
いや、そんなたいそうなことではなくても、日常のそこここにあるものでもいい。
わたしなどには思いつかない、もっともっといろんなことがあることを確信しています。
そのアイディアの豊富さは、日本人なればこそのものだと思います。
戦争はなにも、軍隊だけがやっているのではありません。
戦争にどんなものがまとわりついているのか、それを考えると、実に様々な、複雑なつながりが見えてきます。
すました顔で、とても良い物を生産し売っている企業や、ボランティアやチャリティなどで、困った人たちを助けている銀行なども、強いつながりを持っています。
原発も然り。
根っこは同じです。
戦争を無くす。
そう決めたら、この世から姿を消さなければならないものが続々と出てきます。
戦争が消えた世界を見ることはできないかもしれないけれど、そんな世界がきっとやってくることを信じて、バトンを渡せる大人でこの世を去りたい。
そんなことを、8月は考えます。
空と海は、もう何やらイヤ~な予感がしているのか、ずいぶんと落ち着きがありません。
毎年のように行っては、かたつむり時間を過ごす、カナダの湖畔です。
同じ場所の同じ風景なので、代わり映えのしないものになること必至ですが、また懲りずに写真をカシャカシャ撮ってこようと思っています。
なにしろ、インターネットはもちろん、電話もテレビも一切使えない、フランス語のラジオ放送ぐらい、というところなので…。
蚊帳の中から世界を見ると、


今年の夏も大活躍!

台所の、10年以上も前にガレージセールで買ったテーブルが、夏の湿気でネトネトするのがとても気になっていました。
先日の夏の大掃除中に、いつ買ったのかも覚えていない、多分これもガレージセールで手に入れたテーブルクロスがひょっこり現れたので、ちょっと試しに使ってみることにしました。

白い生地が、みんなの気持ちを引き締めるのか、食べ汚しがいつもよりう~んと減りました。
めでたしめでたし。
湖畔には、今回は夫の弟も西海岸からやって来ることになっていて、カナダ人の友人夫婦と一緒ににぎやかに過ごせそうです。
友人夫婦は、つい先日、12年一緒に暮らした愛犬バートを喪うという、とても辛いことがあったので、
その悲しみが少しでも癒せるよう、彼らの話をたくさん聞こうと思っています。
バートはとてもでっかくて、優しくて、たくさん走って、泳ぎも上手で、ひょうきんで、甘えん坊で、それはそれは愛しい犬でした。
去年の夏はわたしたちが、15年と半年、日本から一緒に来て生きてくれたショーティを亡くしました。
彼女のお墓の紫陽花が、ひっそりと咲いています。
夏は、『死』を特によく思います。
死は常に、わたしのすぐ隣にいるけれども、それでもやはり夏は、その存在を強く感じます。
今日は広島に、そして明々後日の9日は長崎に、空から世にも恐ろしい爆弾が投下されました。
わたしたちは、その行為に対する謝罪を求め、罪を問わなければなりません。
決しておざなりにしてはなりません。
何年かかろうと、何十年かかろうと、戦争という行為が地球から無くなるまで、
戦争を起こそうとする者たちを許すこと、放置すること、無視することをせず、
暮らしの中で、自分のできることを模索し、どういうことなら、どういうふうなら続けていけるかを考え、実行に移さなければなりません。
不買でもいい、解約でもいい、投書でも電話でもファックスでもいい。
プラカードのデザインでも、作曲でも、朗読でも、詩や物語を作るのでもいい。
いや、そんなたいそうなことではなくても、日常のそこここにあるものでもいい。
わたしなどには思いつかない、もっともっといろんなことがあることを確信しています。
そのアイディアの豊富さは、日本人なればこそのものだと思います。
戦争はなにも、軍隊だけがやっているのではありません。
戦争にどんなものがまとわりついているのか、それを考えると、実に様々な、複雑なつながりが見えてきます。
すました顔で、とても良い物を生産し売っている企業や、ボランティアやチャリティなどで、困った人たちを助けている銀行なども、強いつながりを持っています。
原発も然り。
根っこは同じです。
戦争を無くす。
そう決めたら、この世から姿を消さなければならないものが続々と出てきます。
戦争が消えた世界を見ることはできないかもしれないけれど、そんな世界がきっとやってくることを信じて、バトンを渡せる大人でこの世を去りたい。
そんなことを、8月は考えます。