3日前は20℃を超えてたのに、昨日は雪とみぞれが降った。
草も花も木も、そして野生の動物たちも、この寒暖の差に混乱しているだろう。
暖かな日には散歩に行く。
玄関ポーチではワンちゃんがくつろいでいた。
つい最近、人文科学研究とやらのクラスで学んでいる高校生からインタビューを受けた。
そのクラスの最新のプロジェクトが、興味深い人生を歩んだ人にインタビューをするというもので、わたしのことをよく知っている彼女の父親の勧めでこの企画が決まった。
英語で答えるので年齢相応の言葉が使えなかったけれど、まあとりあえず大事な部分は伝わっただろうと思う。
彼女はインタビューの中で何度も、人があまり経験しないことをたくさん経験したことで、日本という国や政府に対して何か思ったことや言いたかったことがありますか?と聞いてきた。
それであらためて当時のことを思い出しながら考えてみたのだけど、何も言葉が浮かんでこなかった。
その日その日をただただ生きて、次の日に目覚めても何も変わらない1日が始まることにため息をつきながら、それでも生きることをやめなかった高校生のわたしが、画面の向こうにいる若々しい高校生に何が言えるのだろう。
しばらく黙って、ちょっぴり苦笑いして、自分のことだけで精一杯だったと答えた。
だからその当時の日本や政府がどうだったのかは、まるで記憶喪失にかかったみたいにまるで覚えていない。
自分が何をしていたかすらほとんど覚えてなくて、周りに居た友だちや知人の記憶に頼らなければならない。
脳っていうのは本当にすごい。
影と飛行機雲
女性のための活動をするクラブ
春を呼ぶ鳥ロビンがあちこちに。胸のオレンジがいい感じ。
わたしが乗ったら一発で枝が折れるだろうけど、乗ってみた〜い!
ここでよく生徒のピアノ発表会をしたなあ…。
石フェチなのでつい…。
樹氷が溶ける時って雨降りの音がする。でも空は曇ってなくて大抵晴れるから、そのしずくは光のつぶみたいにキラキラ輝いている。
夫の父が肺炎に罹り、病院で治療を受けたかったのだけど病室が空いておらず、救急病棟で6時間もの間待たされた。
ペンシルバニアの病院はまだ平常の状態に戻っていない。
抗生物質を投与してもらっても肺の状態が良くならず、尿も出にくくなってきた頃、夫が突如、朝起きてくるなり泣いた。
車で3時間弱にある両親の家は、頻繁に通うには少し遠い。
母親からは毎日のように相談や経過報告の電話がかかってきて、そのたびにお灸や置き針のツボを伝えたり、症状に合う漢方を処方したりしていたが、さすがに今回は仕事を全てキャンセルして実家に駆けつけた。
病院での治療が始まって、尿も少しずつ出るようになり、そうなるとやはり病院は追い出しにかかる。
たった数日の入院で、まだ完治したのかどうかもわからないまま家に戻ってきた父は、夫からかかってきた電話の向こうで激しく咳き込んでいた。
わたしが行ってもさほど役に立てないし、空と海の世話もしなければならなかったので家に残っていたのだけど、やっぱり決心して日帰りでお見舞いに行った。
義父はベッドで眠りたいのを我慢して、わたしが到着するまで椅子に座って待っていてくれた。
身体はひとまわり小さくなり、目もとろんとしていたが、手のひらは温かく柔らかかった。
そこでふと気がついた。
義父のパジャマ姿を見たのは初めてだってことに。
彼の義娘になって30年が経つのだけれど、彼はいつだってネクタイにスーツ、ワイシャツにセーター、いつでもすぐに会議に出られるような格好をしていて、パジャマや部屋着はもちろん、ショートパンツ姿でさえ見たことがない。
というか、多分そういう類の物は持っていない。
そのことを話したら、はじめはちょっとキョトンとして、それから少し寂しそうな顔をした。
あ、またやっちゃったか?
笑わせようとして、その場を和まそうとして、べらべらしゃべって失敗するっていうやつ…。
でももう外に出てしまったものは取り戻せない。
まだまだ修行が足りないのだなあと反省しながら、ひたすら義父の手のひらをマッサージした。
4時間ほど居てまた帰路につく。
ペンシルバニアの夕暮れ