ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

春、いのちを想う

2022年03月25日 | ひとりごと
この頃の両親は紳士服の仕立て屋をやっていて、その仕事っぷりが優良だったことから、大阪の有名百貨店への仕入れを許されていた。
わたしと3歳下の弟のよそ行きの服は、たいていが母の手作りで、母も含めて3人がお揃いの洋服を着て、訪れた町の通りをウキウキ気分で歩いたものだ。

金回りも良く、贅沢に暮らしていた10年あまりだったが、家の中には小さなウソや秘密がそこかしこに隠れていて、見て見ぬふりをするのが面倒だったし、いつもモヤモヤとした不安が心の中で漂っていた。

わたしたちがまだ小さい頃、父は8ミリカメラなどで盛んに撮っていたから、家族写真は何冊ものアルバムに保管されていたのだけれど、借金の取り立てや差し押さえの際に、家具と一緒にほとんどが持ち去られてしまった。
火事にでも遭ったと思えばいいやとその頃は思っていたけど、今頃になってあの頃の投げやりになっていた自分を残念に思う。

夫は今日もまた、週末の看護にペンシルバニアに向かう。
その日その時間の義父の体調や症状に合わせて調合できるよう、ありとあらゆる種類の漢方薬の粉末を持参する。

82歳の義父は数週間前まで、なんとかして生き続けたいと思っていた。
どんな治療でも可能な限り受けて、肺炎に罹る前の状態に戻りたいと言っていた。
20年来にわたって苦しんできた不眠症に前立腺癌の辛い治療が加わり、そこに今回の肺炎だ。
抗生物質の効果もあまり芳しくなく、介護を一手に引き受けている義母も同い年の82歳。
これでは共倒れになってしまう。
夫が毎週通うようになってから、少しはその大変さが軽減されたとはいえ、それぞれに違う思いが交差してして、どうするのか、どうしたいのかの決定がなかなか定まらなかった。
試行錯誤してやっと、病院には入りたくない父の在宅ホスピスが決まった。
わたしはこれまでホスピスというと、終末医療を施してくれる病院だと思っていたが、夫が言うにはそうではなくて、自宅であれどこであれ、その人が希望する場所でその人らしく生き、死を迎えられるよう支え見守っていくことを言うのだそうだ。
義父の場合はその場所が自宅だった。
義母は複数のエージェントに連絡を取り、1週間全ての夜から翌日の朝にかけて介護してくれる人を手配した。
この暮らしがいつまで続くかはわからないけれど、義父が1日も長く穏やかに、彼を案じて訪れてくる人たちとの再会を楽しみ、質の良い眠りを得られることを祈る。

政府から各家庭に送られてきた4回分の簡易テストセット。
マスク着用義務が解除されてから、感染者数がまた増えてきたので、まだまだ油断はできない。

わたしはいつも単独で日帰り見舞いをするのだけど、先週は長男くんと奥さんのTちゃん、今週はカリフォルニアから駆けつけてきた次男くんと一緒に行く。
この年になると片道3時間弱の日帰り運転を一人でするのはかなりしんどいので、分担できる人がいるととても助かる。
今回もおにぎりとおやつを食べながら行こうと思う。

最近ハマっている相撲みかん。売り場では本当に「Sumo Citrus」と書かれている。

久しぶりに、近所の友人Sちゃんと一緒にガールズランチに出かけた。
ミドルイースタンのレストランでは、グルテンフリーの人間はなかなか楽しめないのだけど、このお店はほとんどがグルテンフリー😵


猫柳を背負って立つ山ちゃん。

5月からレジ袋(プラスチックも紙も)が無くなるので、各自で買い物袋を持参しなければならない。

前庭の春






先代の家猫ショーティの墓守り夫婦