ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

青空の下で

2022年03月12日 | 家族とわたし
母は、自分が家を出た時は着の身着のままで追い出され、だからもちろん所持金も無く、近くの公民館の噴水の脇で長い間座っていたと言う。
わたしとはまるで違う話だ。
身動き一つできずに突っ立っていたわたしの脇を、スーツケースを持った彼女が通り過ぎた時に揺らいだ廊下の空気や、後ろを振り向きもせずに玄関に突進して行く彼女の背中の硬さを、わたしははっきりと覚えているというのに。
母は、靴に足を入れるのももどかしいほどに苛立ちながら玄関のドアを開け、そうしてそのまま出て行った。
「ママー!ママー!」と泣き叫びながら母を追おうとする弟を止め、そのまま廊下の隅にうずくまり、膝小僧におでこを乗せて息を整えていると、突然胸のあたりにぽっかりと、黒々とした穴が空き始めた。
それを見ながら、「ああ、胸に穴が空くというのは本当にあるんだな」と感心したことまで覚えている。
そしてその日は母の日だった。
でもそれは、もしかしたら、わたしの頭の中だけのことなのかもしれない。
母の日の翌日はもちろん月曜日で、だからわたしも弟も学校に行かなければならなかった。
弟は愚図ったが、こういう時こそお姉ちゃんなんだから弟を連れていつも通りに学校に行かなければならないと言う父の命を受けて、泣き腫らした目を瞬かせながら外に出た。
空は5月晴れで腹立たしいほどに輝いていた。
町も人も、どれもこれもがいつもと変わらず、どちらかというと活き活きと楽しげだった。
うなだれて歩く弟の手をひきながら、13歳のわたしは痛感した。
わたしたち姉弟の身の上に突然降りかかってきた不幸や悲しみや辛さは、誰にもわからないしわかってもらえない他人事なのだと。
カラカラに晴れた空の下で、そのことがくっきりと、まだ穴が空いたままのわたしの心に刻み込まれた。

その事件以降、追い討ちをかけるような事件が次々に起こって、わたしは何度も折れそうになったけど、それでも結局は生き延びて今に至っている。
そして生き延びられたのは、いつも誰かが手を差し伸べたり、陰で支えてくれたりしたからで、決して自分だけの力ではないことも知っている。

世の中で、大小関わらず事故や災害や戦争や家庭内の争いに巻き込まれた人たちのことを知るたびに、あの日の青空を思い出す。
そして見知らぬ人たちの心に思いを馳せる。
何も無かったかのように素知らぬ顔をしてやってくる日常に、憤ったり恨めしく思ったりした13歳のわたしを思い出しながら。

またあの日がやってきた。
時差があるから正確にはもう過ぎたのだけど、わたしの中の3.11への思いと祈りを今日一日持ち続けようと思う。
そして愚かな権力者たちの暴力で命を奪われる恐怖に苛まれている人たちが、1日も早く平安な毎日を取り戻せるよう祈り続けようと思う。
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