ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

こんな時こそ小さくても確実な幸せを見つけよう

2020年05月06日 | ひとりごと
乾煎りしたパンプキンの種と完熟バナナとバターと塩少々 & チェリージャムとバター & 手作り餡子とバター。
パンは最近見つけたグルテンフリーの小さなパン屋さんから。
小さいけれど確実な幸せ(春樹さんのをちょいと拝借)。

タンポポにもいろんな種類があるんだな。




5月に入ったかと思ったらあっという間に5日が過ぎた。
4月に送ってくるはずの大人一人につき13万円の給付金はまだ届いていない。
3月はじめから今まで、ずっと休職している夫には、当然のことながら収入が無い。
もう丸々2ヶ月の間、見えないものに恐れ、見えない未来に思いを馳せ、それでもなんとかなるはずだからと言い聞かせてきた。
でも、そうなのかな。
なんとかなるのかな。

スミレがいっぱい咲いている。


息子たちは完全に独立していて、親よりはるかに稼ぎが良く、仕事も在宅勤務で普通に続けられている。
ありがたいことに二人とも元気なので、わたしは自分と夫の暮らしのことを考えるだけで良い。

前庭の日陰で咲くチューリップ。


と、雑草の可愛い花。

夫婦のどちらかがとりあえず完全では無いものの収入があって、雇い人もいなくて、仕入れなくてはならない物も無くても、臨時の給付金などの補助が全く届かないまま日が過ぎていくと、気持ちが日に日に重くなっていく。
だから商売をしていたり会社を経営している人たちの気持ちは、わたしなどとは比べものにならないほど辛く苦しいはずだ。
と日々自分に言い聞かせてるんだけど、正直言うとあまりよく眠れない。

せん孔褐斑(かっぱん)病にかかったまま送られてきた桜の苗を、どうしたものかと送り先に連絡すると、そのまま植えて様子を見てくれと言われたので植えた。

「さくらの苗が大きく育つ頃 ぼくらはみんな大人になるんだ」
4月の、桜が満開になる頃に生まれたわたしは、桜の木を見ると必ず、この歌が思い浮かぶ。
1954年に公開された、木下恵介監督の「二十四の瞳」の主題歌だ。
わたしはその3年後に生まれたので、なぜこの歌がこれほど深く心に刻まれたのかちょっと不思議なのだけど。
庭にショベルでせっせと穴を掘ってくれる夫と息子を眺めながら、ずっと口遊んでいた。
病気を克服して、大きく育ってくれるといいなあ。

そう思って空を見上げた。
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