ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

音にたくす

2013年05月13日 | 音楽とわたし
今年はオーディションを受けることにした。
ACMA (The Amateur Classical Musicians Association)、通称アクマ (⇒会員のみんなは、日本語で悪魔と言うっちゅうのを知って大ウケ!) の定期コンサートのオーディション。

ある日の役員会議の場で突然、会長のアルベルトが、「定期コンサートはカーネギーでしようやないか!」と明るく宣言してからの5年間、
その言葉通りに、カーネギーの小ホールで2回、その実績が認められ使用許可が下りた中ホールで2回、そして去年は出演希望が殺到し、その希望に添うべく小ホールで2回と、
今や、カーネギーホールの常連となったACMAのコンサート。

一昨年の演奏会までは毎回欠かさず、オーディションを通過して、演奏させてもろてきた。
けれども、長い間ごまかしてきた左手の小指の関節の痛みが、そのコンサートのための練習と当日の演奏で頂点に達し、もうこれはいったん休まなあかんとあきらめた。
そやから、もう一年以上、レッスンの時に生徒のために弾く以外は、まともに演奏をせんままに過ごしてる。
そのことでかなり落ち込んだ時もあったけど、長い人生、焦ってもしゃあないと、自分をなだめなだめ時間が経った。
なだめついでに、ピアノ以外でできる音楽について、いろいろと考えてみた。
若かった時代に、何度も遭遇したピアノとの別れ。
それは、落下事故であったり、親の借金であったり、後遺症であったりした。
そのたんびに、それならばクラリネット、それも無理なら歌と、必死で勉強して身につけてったやん、あんた!と。
で、始めてみた。
けど、なんでかわからんのやけど、気持ちが続かん。
よけいに苦しくなる。

2011年の3月11日に、わたしの一日の過ごし方が一変した。
心の置き所も変わってしもた。
戸惑いと怒りと悔いと悲しみ、そして願いと祈り。
毎日毎日、パソコンの前に座る時間が増えて、家人を心配させ、淋しい思いをさせた。
もうそれが2年と2ヵ月も続いてる。
こんなとこから、あんたひとりが、なにを言うたかて、なにをしたかて、いったいそれがどうなるんや?と聞かれたら、わたしにはなんも答えられへん。
どうなって欲しいか、というビジョンは鮮明に持ってるけど、そしてそのために、毎日なんらかのメッセージを送り続けてるのやけど、
わたしひとりの伝える力など、おっきなクソ権力にとったら、握りつぶす必要すらないチビたるもんやもんね。
けどやめへん。
この世から卒業するそのちょっと前まで、気づいたこと、伝えたいことを、書いたり言うたりすること。
わたしというこの体と心は、今たまたまこの世界に生かせてもろてる。
また、自然という元々の姿に戻るまでの間に、生かせてもろてることへの感謝と仕事をちゃんとせなね。


ヤマハ音楽教室に3才から入って、幼児クラスからセコンダリークラス(当時はそう呼ばれてた)に移り、そこの先生に「相愛の子ども音楽教室の試験を受けてみたら?」と勧められた頃のある日、
アップライトピアノの楽譜立てに置かれた、音符が書き込まれてない五線譜ノートを見て、ああ、わたしも曲を創りたい!といきなりこみ上げてきた強烈な願望。
7才やった。
今からもう50年も前の、その時の景色、その時の心の熱さを、今でも覚えてる。
けれどもその時以来、途切れ途切れではあってもピアノを弾き続けてきた生活の中に、作曲という作業は加わらんかった。
それが突如、わたしの目の前に現れたのは、ヤマハ講師時代の特訓合宿での授業やった。
当時わたしが担当してた生徒の中に、特別によくできる子が数人いて、その子たちに見合う力を持つべきと、核講師という名目で全国から選ばれた講師が、ヤマハが費用を全額負担する形の合宿に参加した。
講師陣には、チェロ奏者の故ロストロポービッチ氏をはじめとする、錚々たるメンバーが揃い、厳しいけれども、滅多に受けることができない充実した内容の講義を受けさせてもろた。
その講義の中に作曲があった。
講師は中田直弘氏で、ごつごつした肌の、早口でパチパチと話す、ちょっと短気っぽい作曲家が目の前で紹介された。
「じゃ、今から二晩過ぎるまでに、曲を一曲造りなさい。以上!」
「え?」
唖然として固まってると、「何してるんだ!もう1分も過ぎてしまってる!何も音符を書かないで!」と怒鳴られ、慌てて椅子から立ち上がり、空っぽの五線譜を脇にピアノの前に走ってった。

アップライトの譜面台に置かれた五線譜を見た時、7才のわたしの、熱い願いが一気に戻ってきた。
書いて書いて、考えるよりも先に書いて、取り憑かれたみたいに書き続けているわたしのところに、中田氏が見回りに来た。
わたしの後ろに立って、しばらく譜読みをしていた彼が、「こりゃいい」と言うたかと思うといきなりわたしの右側に座り、「ピアノパートを弾きなさい」と言うて、バイオリンのパートを弾き出した。
びっくりして慌てて弾いたらつっかえた。
「自分の曲が弾けないのは何事か!」と怒鳴られた。
「1分あげるから練習しなさい」と言うて立ち上がり、せわしくたばこに火をつける中田氏。
まだ書きたてホヤホヤの、書いた音の確認もしてないままの楽譜を、焦りまくりながら練習した。
その後も、何回も怒鳴られ、呆れられしながらの短いレッスンが数回あって、三日後の晩の披露コンサートでの演奏曲として選ばれた。
パートナーを勤めてくれはったバイオリニストは、どっかのオーケストラから派遣された人で、あっという間にわたしの曲を見事に演奏してくれはった。
問題はピアノ。
中田氏のいらいらした姿が、今も目に浮かぶ。


その時の、初作の曲のテーマが、あの3.11以来、わたしの頭の中にたびたび浮かんでくるようになった。
それまでは、思い出したことすら思い出せへん。
日本への想い。日本への願い。日本への祈り。日本への怒り。日本への詫び。

この曲を、今のわたしがもういっぺん造り直そう。
そうして、今のわたしがもういっぺん演奏しよう。
そう決心した。

作曲は、作文と同じく、生みの苦しみを伴うけれども、積もり積もった想い、願い、祈り、怒り、悔いを、ひとつひとつの音にこめてみたい。
そしてそれを、もし、叶うことなら、カーネギーの舞台で表現してみたい。

オーディションは今月の25日。 
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12 コメント

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サワディ~カ~ (takoome)
2013-05-14 15:01:35
凄いな、7才の思い、成就させてください。

私の思いは全てを自分で作るです。
部分的に完了しています。
糸を紡いで染めて、織るなり編むなり、そして縫う。着る。
初めと終わりが未だなんです。材料と仕舞い方が未だです。
材料は出来る可能性大ですが、仕舞いがね、多分、自分の後始末と重なります。
これが私の夢なのです。

頑張ってな、応援してるしな、


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応援してます!! (Bあや)
2013-05-15 00:05:55
Bあやも丁度カービングが波に乗ってきた時期に突如ふれでぃを妊娠して、招待されていたヨーロッパの大会3つの参加取りやめ・・・悶々とした日々を送りました。
でも、チェンソーが持てなくてもできることってあるんですよね!あの時期も無駄じゃなかったと思う今日この頃。
で、今はガンガン彫れる環境ですが、いつまでも続く寒さと肘に鋭い痛みがあるのとでモチベーションが上がったり下がったり・・・。
まうみさんの想いと挑戦を読んで、Bあやも頑張らなくちゃー!!とまたちょっとモチベーションが上がってきましたw ありがとう!!
オーディション、うまくいきますように!!
返信する
takoomeさんへ (まうみ)
2013-05-15 00:09:13
いやいや、takoomeさんのなんでも作ってみる精神には、感動しまくってますねん。

糸ですが、田舎の嫁をしていた13年間、義母が蚕さんを飼うておりました。
桑畑があって、その葉っぱを蚕さんがムシャムシャと食べ、大きくなったら四角いマスの中に入れる。
ピーナッツのような形の繭と、独特の匂い、そして糸にする行程の惨たらしさ。
絹糸を見るたんびに思い出します。

初めと終わり。
これがどれだけ大変なことか、少しだけ学びました。

応援ありがとう。
無から有へ。
無い頭しぼってがんばります。
返信する
Bあやちゃんへ (まうみ)
2013-05-15 00:13:21
応援ありがとう!
そやったね~、いっぱいあきらめた時があったんよね~、Bあやちゃんにも。
うんうん、何時も、無駄になることはないと知りつつも、やっぱその場その時は辛いもんです、はい。

ほんで、いつまでも寒い!!なんじゃこれ?!
こっちもヒーター入れまくりです!!
今夜もまた一桁の下の方の数字気温……5月も半ばやというのに。
肘、大丈夫?痛いのはほんまにかなん。大事にしてください。

おっしゃ、そろそろパソコンから離れて作業作業!
返信する
........ (Manama)
2013-05-15 12:47:34
聴きたい。

返信する
カ~ネギ~!! (Mihoko)
2013-05-15 14:20:24
眞海さんいつもいつも情報をありがとうございます。

そんな中で、眞海さんのピアノと作曲のお話。
心和みながら、自分もピアノを毎日練習していたころのことを思い出しました。

音楽の道と思った時期もあったけど、遠い過去。
大学生の時に、私も作曲してみたいと1曲だけ、楽譜も書かずに作ったことがあります。
そして、社会人になってジャズピアノをすこしやった時期もありました。
私も何度もピアノと離れてますが、今は、月に一度教会のミサでオルガン当番やってるのと、時々、思い出したように、ドビッシーのアラベスクを弾いたりするくらいです。

最近はギターを時間があるとき触ってます。
音楽は、心を和ませてくれる私の友達みたいなものです。

そんなことはさておき、眞海さんのその曲をぜひとも聞いてみたいです。
眞海さんの気持ちのこもった曲。その音がどんな響きを伝えてくれるのか。
ぜひとも、その様子をこのブログに載せてほしい。
なんて、お願いしたりして。

小指の痛みが治まるよう祈ってますね。
眞海さんの思いが、カーネーギーの観客の皆さんの心に響き、拍手喝采が目に浮かんでいます。
返信する
Manamaさんへ (まうみ)
2013-05-15 22:29:12
え?えっと……manmaちゃん?
返信する
Mihokoさんへ (まうみ)
2013-05-15 22:36:14
あわわっ!
Mihokoさん、カーネギーの前にオーディション!です。
これに通らにゃ舞台に上がれません、はい。
会員が4000名を超え、マンハッタン近辺の強者が集まっているこの会のオーディション、
演奏時間はとても短くて(出演希望者が殺到するため)、その時間内にきちっとアピールできるかどうか……、
素人の自作だけに、かなり自信がありません……。
けど、落っこちても創り続けますね!
ほんでもって、ここでコソコソっと発表させてもらいます。

Mihokoさん、ミサのオルガン弾いてはるんですね♪すごいすごい!
わたしも社会人になってから、ジャズに挑戦しましたが……まったく身につかず頓挫してしまいました。
ギターは全く弾けません。ははは。
ほんとに、音楽は友だちですね。
わたしも心からそう思います。
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Unknown (Mihoko)
2013-05-16 11:17:13
私が聞いてみたいと思うのは、音に眞海さんの気持ち、魂を込めてるから。
私の目に浮かんだ眞海さん、笑顔でした。

プレッシャーになってもなんなので、カーネギーは横ちょにおいときますが、

眞海さんの音楽楽しみに待ってます。
返信する
ごめん・・・・ (manma)
2013-05-16 15:59:59
Manama・・誰や!わたしや~電車の中で書いた・・・
mamanma・・誰や!わたしや~これちゃうとこの・・・
mamama・・誰や!わたしや~これまたべつの・・・
manmaだす。ボケまくりです。ごめんなさい。

ただただ聴きたい。カーネギーがいいけど・・・自宅録画YouTubeにアップ~して~
ん?ただではいかんか~なんちゃって。
やっぱ遠いぞNY。コンサートに合わせて行くのは神業、また清水の舞台から・・・今度は死ぬ・・・100歳までがんばらにゃいかんで無理ができん。
曲なんて1曲しか作ったことない・・苦手なの。そのタイトルたしか幼児科の先生がつけてくれた。名前わすれちゃった(T_T) 背が高かったと思う。まうみさんとコンサート出てたような気がする~アルツじゃぁ
想いが曲になりますように♪


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