わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸1(幕末から明治へ)

2011-12-28 21:50:39 | 現代陶芸と工芸家達
現代陶芸とは何かという定義から入りたい処ですが、これが諸説あって決める事が出来ませんので、

ここでは、定義付けはしない事にします。

 現代陶芸に対するものは、伝統陶芸と成りますが、その区分けも色々の説があり、時代区分による

 もの、作品の種類によるもの、社会情勢による区分け等、色々な区分け方が存在する様です。

1) 幕末の焼き物を取り巻く情勢。

  有田、九谷、京都、瀬戸、鹿児島(薩摩)などの窯場では、染付けや色絵の陶磁器等が、各藩の

  産業殖産として、企業化に取り組み始めていました。

  その背景にあるものは、幕府の開港により、諸外国の人々の来日であり、東洋的異国趣味として、

  お土産品や輸出品(貿易品)として、販売される様になった事が挙げられます。

  ① 外国人の好む色や作品に対応する。

   外国人の好む色調や、食器類の厳しい規格に対応するには、従来の方法では対処出来なく

   なって行きます。その為、海外から新しい近代的な窯業技法が、取り入れる必要が出てきます。

  ② 清水卯三郎が西洋の進歩した窯業技術を持ち帰る。

   パリ万国博覧会(慶応三年、1867年)を見学した江戸の商人「瑞穂屋(みずほや)」の卯三郎は、

   明治元年(1868年)の帰国の際、石膏型による製作方法(主に鋳込み製法)や、染付けの

   天然呉須に替わる人工の酸化コバルトや、我が国に無かった各種の顔料を持ち帰ります。

   これらを竹本要齋や、服部杏圃(きょうほ)に与え研究を行います。

  ③ この事を聞きつけた、佐賀藩ではドイツの化学者、「ワグネス博士」を招聘します。

    明治元年に来日していた、「ゴットフリー・ワグネス博士」を招き、化学顔料や、石膏型の

    使用方法、石炭窯の構築や焼成方法を学びます。更に、彼は石灰釉や、色釉の研究を指導し、

    必要な材料を、輸入する方法も伝授します。

    尚「ワグネス博士」は、その後、京都に設置された「舎密局」で、陶磁器や染織などの

    材料や化学的研究の為、招かれています。

  ④ この様な技術も、廃藩置県(明治四年、1871年)により、秘密であった藩窯の技術が、各地の

    窯場に広く拡散して行きます。瀬戸でもこれまで中国から輸入していた天然呉須から、

    ドイツから輸入された酸化コバルトを使う様に成ります。(明治六年頃の話です。)

2) オーストリア・ウイーン万国博覧会(明治六年、1873年)

  大熊重信参議を総裁として、「ウイーン万国博覧会」に参画します。(当時の予算で60万円)

  ①  明治政府が、国威発揚、殖産興業、輸出振興を奨励する為、積極的に参加したものと思われます。

  ②  この博覧会で、日本の工芸品は好評を得ます。

     特に、初代宮川香山、三代清風与平の作品は名声を得ます。宮川香山は名誉金碑を受賞します。

     この功績により二人は帝室技芸員に、推挙されます。

     尚、この二人については、後日詳細をお話する予定です。

以下次回に続きます。
  
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