わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸4(三代清風与平)

2011-12-31 17:06:38 | 現代陶芸と工芸家達
三代清風与平は、明治を代表する陶芸家でした。陶芸家として最初の帝室技芸員に選ばれ、最初の

緑綬褒章を授与されています。彼は、明治中頃から衰退していく京焼きに、新風をもたらし、京焼きの

芸術性を高める働きを示します。又、京都市陶磁器試験場の開設にも尽力しています。

1) 三代清風与平(せいふうよへい): 1851~1914年

 ① 播磨国印南郡に生まれた与平は、京都五条坂の名門の陶芸家の、青風家の養子に成ります。

  1878年(明治十一年)に義兄の二代目清風が没し、三代目与平を襲名します。

 ② 京焼きは桃山時代から、長い歴史のある、色絵を中心とした焼き物 です。

   しかしながら、明治維新後の急速な社会情勢の変化で、これまでの国内向けの伝統技法や生産

   方式では、対応し難く、西洋文化の影響を受け変化せざるを得なくなります。

   この間、各地の近代陶磁器製造も試行錯誤を余儀なくされます。

   明治の中頃までは、窯や窯焚き技法、新たな釉の研究が行われ、技術的にも、格段の進歩を

   遂げます。

 ③ 造形や意匠(図案)などでは、従来の精緻な技巧的な方法が取られ、金銀赤絵などが、豊富に

   使われ、装飾第一の風潮が蔓延し、これらの作品が高級陶磁器と思われていました。

   明治の初め頃までは、欧米の諸外国の人々には、好奇心を満足し貿易も伸長して行きます。

   しかし、明治の中、後期に成ると貿易も不振に成ってきます。原因は、粗製乱造と、表面技法が

   形骸化し、模倣が多く成った為と気が付きます。

   この事の反省から、新しい陶芸技法や意匠に対する関心が起こります。

 ④ 与平の陶芸

  ) 初期の与平は、当時の京の陶芸がそうであった様に、中国の宋や明の古陶磁器の写しを造って

    います。例えば、青磁や青華(染付)は「唐物」として高価に販売されていたからです。

  ) 写し物(模倣)からの脱却

    生来の画才を発揮し、日本的な意匠に基ずく独自の作風を築き上げていきます。

    京都の郊外の山林を歩き回り、草花をスケッチしたり、原料である土や石を探索し、素地土と

    したり、釉の原料としても利用します。

  ) 与平の創案した新技術も多数あります。

   a) 与平の代表的な陶芸技法は、カン白磁と天目釉瀧条斑(ろうじょうはん)と言われています。

    ・ カン(喚の偏が王)白磁とは、純白の白磁に柞(いす)灰釉を僅かに掛け、酸化焼成して

      白磁にほのかなローズ色に発色させた物です。

    ・ 天目釉瀧条斑とは、天目釉の釉肌に瀑布又は、雨滴の様な斑紋を呈したものです。

   b) 与平の文様の特徴に、浮盛の彫刻文様があります。

     白磁の器肌の上に、同じ磁土を泥状にしたものを、筆で盛り上がる様に塗って文様を

     表現する方法です。

   c) その他、色絵彩釉(百花錦)の製法、白磁大氷裂の焼成方法、辰砂釉の焼成、白磁や青磁

     黄磁の焼成方法など、新しい試みを多く取り入れています。

  ⑤ 与平の主な受賞や万博などの出品は、以下の通りです。

    ・ 明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会において、陶磁器部門最高の、妙技一等賞を受賞。

    ・ 1878年パリ万博、1893年シカゴ・コロンブス、1889年パリ万博などに作品を出品します。

以下次回に続きます。

 
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