わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸2(万国博覧会)

2011-12-29 22:01:20 | 現代陶芸と工芸家達
第一回の万国博覧会は、1851年(嘉永4)に英国のロンドンで行われました。

1) 日本政府がは初めて公式に参加、出品した博覧会は、明治六年(1873年)のオーストリアの

   ウイーン万国博覧会です。そこで日本の工芸品は大好評を博します。

   皇帝フランツ・ヨゼフ一世の治世25年を記念して、ウィーンのドナウ河に沿ったプラーター公園で

   開催されました。主会場の産業館の他に、機械、農業、美術などそれぞれに、個別の展示館が

   建設されていた様です。敷地内に設けた日本庭園は、開園式を兼ねた橋の渡り初めに、皇帝と

   皇后の来場もあり、日本の初参加を歓迎してくれたとの事でした。

2) それ以降、我が国の参加が続きます。尚、幕末~明治にかけての万国博覧会は以下の通りです。

  1851年(嘉永4): 第1回ロンドン万博(英国)

  1853年(嘉永6): ニューヨーク万博(米国)

  1855年(安政2): 第1回パリ万博(仏)

  1862年(文久2): 第2回ロンドン万博

  1867年(慶応3): 第2回パリ万博

  1873年(明治6): ウィーン万博 (オーストリア)(日本政府初参加)

  1876年(明治9): フィラデルフィア万博(米国)

  1878年(明治11): 第3回パリ万博

  1879年(明治12): シドニー万博(オーストラリア)

  1880年(明治13): メルボルン万博(オーストラリア)

  1888年(明治21): バルセロナ万博(スペイン)

  1889年(明治22): 第4回パリ万博

  1893年(明治26): シカゴ万博(カナダ)

  1897年(明治30): ブリュッセル万博(ベルギー)

  1900年(明治33): 第5回パリ万博

  1904年(明治37): セントルイス万博(米国)

3)万博の反響と改革

 ① 万博の参加は、明治政府の国策として、国威発揚、殖産興業、輸出の振興を目的に、奨励、援助を

  受けて出品したものです。

 ② 矢継ぎ早の万博への出品は、日本工芸品の名声を高めます。

 ③ 一部の工芸家を除いて、明治の中頃には、日本の工芸品は、次第に飽きられていきます。

   その原因は、陶磁器に施される図案(絵)が、狩野家に伝わる伝統的絵画を基にしていた為で、

   斬新な図案が求められて行きます。同時に、工芸家と言うより、職人として製作に当たっていた為、

   身分も低く、自覚が不足していたとも、言われています。

 ④ 帝室技芸制度の制定。

  明治二十三年(1890年)工芸家の地位と工芸技術の向上、及び新たなデザイン(図案)を

  作る事を目的に、政府は技芸制度を設けます。

  工芸家の加納夏夫、柴田是真、清風与平、宮川香山らが、推挙されています。

  ) 二十九年には、東京美術学校に「図案科」が新設され、横山大観らが指導に当たっています。

  ) その後、京都高等工芸学校、東京蔵前高等工芸学校にも、「図案科」ができます。

     この頃より、美術工芸と産業工芸が区別される様に成ります。

4) 1900年(明治33年)の第5回パリ万博では、政府も力を入れ、予め工人を集め、充実した製造所を

   設け指導します。更に、意匠の陳腐化や図案の貧困からの脱却や、用と美との峻別など、

   十分吟味した作品を出品する様にして、我が国の工芸品は再び好評を博す様になります。

以下次回に続きます。
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