青花(染付)の話を続けます。
2) 沈船の実例
④ その他の沈船: 沈没した船は、世界各地で見つかっています。
)サン・ディエゴの沈船
16世紀後半に成ると、中国が独占的に支配していた、インド洋の交易は、ヨーロッパ勢が、
主導権を握る様に成ります。即ち、大航海時代へと、発展して行きます。
その切っ掛けは、1517年ポルトガル人が、マカオに到着した事です。
a) 1600年12月14日、スペイン船籍のサン・ディエゴ号は、オランダ船隊との海戦に破れ、
マニラ沖で沈没します。総トン数7~800トンと言われ、長さも35~40mありました。
b) 1991~1993年にかけて、フランスとフィリピンの合同調査が行われます。
1994年パリ郊外のヴィレットの博物館で、「サン・ディエゴ沈船」の特別展が開けれました。
c) 積荷は、中国産の陶磁器を中心に、メキシコ産の土器もありました。
その他、ヨーロッパ産の、金銀製品、ガラス製品、日本刀の鍔、中国、イスラム、メキシコ等の
コインも確認されています。即ち、この船は、世界を航行する船で有った事が、証明されます。
d) 青花磁器では、芙蓉手の壷、鉢、瓶類、皿(45cmの大皿)、香炉などですが、これらは、
ヨーロッパ向けと。思われます。
e) 引き揚げられた、これらの陶磁器類は、現在、マニラ国立博物館に、展示されているそうです。
) ヴィッテ・レウ沈船とハッチャー沈船
a) ヴィッテ・レウ沈船は、1976年大西洋のセント・ヘレナ沖で発見されます。
オランダ東インド会社の船籍の、同船は1613年頃、沈没したと思われています。
積荷には、景徳鎮の青花磁器等があり、大皿(口径50cm)、中皿、水注、乳瓶、碗、
カップ(コヒー、紅茶用)が有りました。これに類する作品が、堺(日本)を始め、
世界各地の近代都市で、見つかっています。
b) マイケル・ハッチャー沈船
シガポール沖で、1980年代初頭に、大量の景徳鎮産の陶磁器を積んだ、船が発見されます。
焼き物の総数だけでも、二万点以上有ったそうです。
この船は1640年代に、沈没したと見られ、積荷の総数は、五万~六万と言われています。
) ブン・タオ沈没船
a) ホーチミン市(ベトナム)沖の、ブン・タオで、1990年に発見されます。
オランダ東インド会社の船籍で、ジャカルタのバダビアへ、向かっている途中でした。
約五万点の中国陶磁器が、引き揚げられます。積荷は、飲食器(ティーカップ、ティーポット、
ゴブレット、皿等)と、室内装飾品(花瓶、白磁人形、観音像、置物など)が、主なものです。
絵柄は、牡丹、山水、蓮、詩文などが、簡略に描かれています。
製作年代は、青花磁器の様式から、清朝初期(1662~1772年)と見られ、沈没は17世紀後半と
見られています。
)その他多くの沈没船が、発見されていましす。
a) 「碗礁(わんしょう)一号沈船」
2005年、福建省福州市沖で発見、清朝景徳鎮産磁器を、多数引き揚げる。
その数は、約一万七千点(引き上げ以前に二万点ほど、盗難にあったようです。)
東南アジア、中近東、ヨーロッパ向けの、日用磁器と見られます。
b) オースターランド号、ベネブローク号、ブレイドロード号
以上三隻は、南アフリカのケープターン沖で、発見されます。
各々、1697年、1713年、1785年頃沈没したと、見られています。
中国の陶磁器の他、わが国の伊万里の白磁や、染付けも含まれていました。
ヨーロッパへ向かう途中に、遭難したものと、思われます。
d) 以上の沈没船以外にも、近年多くの船が、世界各地から、発見されています。
更に、これからも、多くの沈船が発見され、多数の陶磁器が引き揚げられる事でしょうが、
話が長くなりますので、海揚がり品についての、話を終わります。
以下次回に続きます。
2) 沈船の実例
④ その他の沈船: 沈没した船は、世界各地で見つかっています。
)サン・ディエゴの沈船
16世紀後半に成ると、中国が独占的に支配していた、インド洋の交易は、ヨーロッパ勢が、
主導権を握る様に成ります。即ち、大航海時代へと、発展して行きます。
その切っ掛けは、1517年ポルトガル人が、マカオに到着した事です。
a) 1600年12月14日、スペイン船籍のサン・ディエゴ号は、オランダ船隊との海戦に破れ、
マニラ沖で沈没します。総トン数7~800トンと言われ、長さも35~40mありました。
b) 1991~1993年にかけて、フランスとフィリピンの合同調査が行われます。
1994年パリ郊外のヴィレットの博物館で、「サン・ディエゴ沈船」の特別展が開けれました。
c) 積荷は、中国産の陶磁器を中心に、メキシコ産の土器もありました。
その他、ヨーロッパ産の、金銀製品、ガラス製品、日本刀の鍔、中国、イスラム、メキシコ等の
コインも確認されています。即ち、この船は、世界を航行する船で有った事が、証明されます。
d) 青花磁器では、芙蓉手の壷、鉢、瓶類、皿(45cmの大皿)、香炉などですが、これらは、
ヨーロッパ向けと。思われます。
e) 引き揚げられた、これらの陶磁器類は、現在、マニラ国立博物館に、展示されているそうです。
) ヴィッテ・レウ沈船とハッチャー沈船
a) ヴィッテ・レウ沈船は、1976年大西洋のセント・ヘレナ沖で発見されます。
オランダ東インド会社の船籍の、同船は1613年頃、沈没したと思われています。
積荷には、景徳鎮の青花磁器等があり、大皿(口径50cm)、中皿、水注、乳瓶、碗、
カップ(コヒー、紅茶用)が有りました。これに類する作品が、堺(日本)を始め、
世界各地の近代都市で、見つかっています。
b) マイケル・ハッチャー沈船
シガポール沖で、1980年代初頭に、大量の景徳鎮産の陶磁器を積んだ、船が発見されます。
焼き物の総数だけでも、二万点以上有ったそうです。
この船は1640年代に、沈没したと見られ、積荷の総数は、五万~六万と言われています。
) ブン・タオ沈没船
a) ホーチミン市(ベトナム)沖の、ブン・タオで、1990年に発見されます。
オランダ東インド会社の船籍で、ジャカルタのバダビアへ、向かっている途中でした。
約五万点の中国陶磁器が、引き揚げられます。積荷は、飲食器(ティーカップ、ティーポット、
ゴブレット、皿等)と、室内装飾品(花瓶、白磁人形、観音像、置物など)が、主なものです。
絵柄は、牡丹、山水、蓮、詩文などが、簡略に描かれています。
製作年代は、青花磁器の様式から、清朝初期(1662~1772年)と見られ、沈没は17世紀後半と
見られています。
)その他多くの沈没船が、発見されていましす。
a) 「碗礁(わんしょう)一号沈船」
2005年、福建省福州市沖で発見、清朝景徳鎮産磁器を、多数引き揚げる。
その数は、約一万七千点(引き上げ以前に二万点ほど、盗難にあったようです。)
東南アジア、中近東、ヨーロッパ向けの、日用磁器と見られます。
b) オースターランド号、ベネブローク号、ブレイドロード号
以上三隻は、南アフリカのケープターン沖で、発見されます。
各々、1697年、1713年、1785年頃沈没したと、見られています。
中国の陶磁器の他、わが国の伊万里の白磁や、染付けも含まれていました。
ヨーロッパへ向かう途中に、遭難したものと、思われます。
d) 以上の沈没船以外にも、近年多くの船が、世界各地から、発見されています。
更に、これからも、多くの沈船が発見され、多数の陶磁器が引き揚げられる事でしょうが、
話が長くなりますので、海揚がり品についての、話を終わります。
以下次回に続きます。
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