人の営みとは別に、多少の差はあっても季節が進むと桜が咲きます。
東京電力の福島原子力発電所の地震と津波の被害と災害は今のところ先が見えない状況ですが、マスコミがこぞって東電を非難しても、問題が解決するわけではなく、庶民は、東電を信じて、災害のこれ以上の拡大を抑え、一刻も早く安定化、沈静化する事を願うばかりです。
東電を非難するマスコミは、非難のもっと以前に東電にアドバイスする事が望まれます。
マスコミは、解説員という専門家を社内で抱えており、また、専門家と称する大学の先生方なり研究者なり原子力関連の研究者OBなりに依頼して、安全策を提案すべきです。
東電の対応のまずさが、災害を拡大させたとしても、今はそれを非難するより、これ以上の拡大を防ぐ提言をすべきです。
幸い、神奈川県は放射能の値はほぼ正常値に近いそうで、原子力をコントロールする方法を東電が早く手にすることを望むばかりです。
原子力政策を云々するのはその後でも遅くありません。
ところで、鎌倉の桜の名所は、鎌倉山と鶴岡八幡宮前の段葛とされていますが、JR大船駅に近い岩瀬地区にも桜の古木が百本以上も残っており、そばを流れる砂押川というコンクリートに固められた川の畔に枝を張って春を謳歌しています。
この古木は旧松竹大船撮影所のゆかりの古木です。
(砂押川桜のプロムナード1)
(砂押川桜のプロムナード2)
(砂押川桜のプロムナード3)
(砂押川桜のプロムナード4)
松竹キネマは昭和初期にこの地の土地を入手し、昭和9年(1934年)に撮影所を着工し、昭和11年(1936年)完工、翌年に撮影所を開所しました。
この戦前から戦後にかけての同撮影所の最盛期に砂押川の両岸にかなり多くの桜の木を植えたと推定されます。
また、砂押川には、「松竹大通橋」とか「松竹第一号橋」、「松竹第三号橋」など松竹の名を残した数本の橋も現役で残っています。
松竹は、2000年にこの撮影所から撤退し、撮影所用地の多くは鎌倉女子大のキャンパスにかわり、わずかに寅さんやひばりチャンのパネルなどが残っているだけですが、桜の花は毎年花をつけ住民を楽しませてくれています。
さあ、
がんばれ東北!!! がんばれ東電!!!