善人閑居

鎌倉の風物詩と全国の温泉の旅を写真で報告します。

鎌倉身辺雑記・2018年1月の大雪の顛末

2018年01月30日 | 鎌倉


2018年1月22日の雪は横浜で16センチとされ、4年ぶりと言われています。
鎌倉でも15センチの積雪があり、ここに引っ越して来て50年近くなりますが記憶に無い大雪でした。

雪は22日の午前中から降り始め、午後2時ではすでに4~5センチになっていました。

(大雪の降り始めは昼頃か?)

前の写真から3~4時間経った午後二時の様子です。

(午後二時頃の様子)

この頃から断続的に強弱をくり返して雪が降り、就寝する頃は粉雪になっていましたがやはり強く降っていました。

翌日(2018年2月23日)は良い天気でした。
雨戸を開けると、テラスのコンクリートの一部が雪に埋まり、コンクリートむき出しのところにシジュウカラがパン屑をついばんでいました。

(翌日の早朝のシジュウガラ)

外に出るのは朝食後と決めましたが、積雪は15センチ位でした。

(積雪の様子-およそ15センチぐらいか?)

朝食後は家の周辺の雪かきです。

先ず、北側から雪をどかし、特に埋設管が立ち上がっているあたりは広く雪をどかしました。

南西側は、エントランスの7~8メートルを人の通れるようにしました。

(ブロック塀の脇のエントランス)

その後、南側の雪かきをしたら、1時間以上が経っていて、一休みしました。

エントランスから私道に出て、家をカメラにおさめ、私道は雪かきをしないことにしました。
この道は数軒の共有私道で、鎌倉市道まで13~4メートルほどですが、80歳の年寄り一人で雪をかくのはしんどいと思ったからです。

(大雪-家の様子)

数本の庭木の雪をはたき落としました。あとはごろごろして午前中が過ぎました。

(大雪-キンカンの木)

そして午後、私道を幅2メートルほど雪をかきました。

この日は気温が高くなっていて、雪は水を含み重くなっていました。
細かい歩調で歩いて圧雪した後スコップでとりのぞきました。

暖かくなっていて、地面が見えました。

明日までに水が蒸発すれば朝に滑ることはないと祈りつつ、適当に雪をかきました。


そして、雪の後の寒さ対策を考えました。
屋外の水道の蛇口が凍らないように断熱の養生をしたいと思いましたが、薄い発砲スチロールしかないのでこれを使って養生テープで巻き、その外を古タオルで巻き、透明のポチポチで覆いました。

(水道の蛇口の養生)

積雪の当日はこの程度で蛇口は凍っていませんでしたが、その次の1月24日には完全に凍ってしまい、陽が差してからヤカンでお湯を注ぎました。

蛇口を3口に増やし自動灌水装置を取り付け可能にしたので、外気に触れる箇所が増えたからより凍りやすくなっていたのだと思われます。

早く暖かくなって欲しいものです



鎌倉身辺雑記・鎌倉市成人のつどい

2018年01月26日 | 鎌倉


鎌倉市成人のつどい(成人式)は例年大船にある鎌倉芸術館で開かれます。

鎌倉芸術館は1993年にオープンした施設です。
音楽を中心とした催し物や各種の展示に適した部屋などがある施設で、20年以上前のバブル期の建物です。
鎌倉市自身で運営できなくなり、指定管理者制度によって委託経営で成り立っています。ですから、鎌倉市自身で使う催し物は極く限られています。

1月8日、朝から爆弾低気圧の影響で不順な天候と言われていましたが陽の差す時間帯もありました。

(鎌倉芸術館)

雨の天気用が効いたのか、建物内に入る人が多いようです。

柱の「鎌倉市成人のつどい」の看板を背に記念撮影する人の姿が見られます。

(正面玄関)

玄関内のロビーでは立て看板があり記念撮影する人が多く見られました。

(正面ロビーの「成人のつどい」立て看板)


以下、屋外での新成人たちのスナップです。

(鎌倉市成人のつどい1)


(鎌倉市成人のつどい2)


(鎌倉市成人のつどいで3)


(鎌倉市成人のつどいで4)

みなさん、うれしそうな晴れやかな表情で、和服をうまく着こなし、お互いが成長したことを喜んでいるようでした。

横浜で起きた、着付け会社の不祥事は、鎌倉では見当たりませんでした。


鎌倉身辺雑記・大船ルミネウイングの福袋

2018年01月19日 | 鎌倉



例年1月2日は大船ルミネウイングの初売りで福袋を用意するお店も多いのですが、いつも通り午前9時40分ごろルミネウイングの2階通路に来て見ると、並んでいる列は既に入店を始めており最後尾も歩き始めていました。

(大船ルミネウイング入り口)

JR大船駅に面した入り口から入りモノレール口のカルディに向かう人の列に付いていくと、列の最後尾はエスカレーター下にありました。

「食品福袋は完売」というボードを持った店員が最後尾の列をさばいています。

(カルディの福袋の列最後尾)

はるか先にカルディの入り口が見えます。

(カルディ店頭)

お店の入り口は新春セールではなやかな飾りつけです。

(カルディコーヒー福袋)


(別のカルディ福袋)

カルディの福袋は年々進化してすっきりとしたデザインが人気です。
また、店内にはメーカーの福袋も散見されました。

(ハリボーファンバック)

カルディのレジが終わって店外に出るまで20分程度かかりました。

今年は、外で待たないですんだのでラッキーでした。

さて、他のお店の福袋を紹介すると・・・

(こくりこ庵福袋 )


(アールエフワン福袋)


(勝烈庵福袋)


(サンジェルマン福袋)


(日陰茶屋/ラ・マーレ・ド・チャヤ 福袋)


(小川軒福袋)


(銀座ブールミッシュ福袋)


(ニュージャーマン福袋)

ともかく、どこも趣向を凝らした福袋が売り出されていました。

でも、食品の福袋は、中身が想像できて、お得感があり、袋がきれいなので、他愛のない正月の庶民の行事でした。テレビで写るお金持ちの福袋とは若干違います。

列に並んでいる人は綺麗な服装の人も多かったのですが、普段着の買い物姿もありおだやかな年明けでした。

(行列が続く)

来年も参加したいなァ・・・


鎌倉身辺雑記・常楽寺初詣

2018年01月12日 | 鎌倉


ここ数年は、元旦の初詣は近所の常楽寺と決めています。

元日の朝、日の出前後に常楽寺にお参りし、明けゆく中での山門の様子や、仏殿、文殊堂などのたたずまいをカメラに収めます。

常楽寺は臨済宗建長寺派の古寺で、北条時頼の依頼で建長寺を開くとき蘭渓道隆がこもったお寺とされています。

山門は元旦には提灯がともされていて、明るくなると灯がきえます。それまでが撮影時間と決めてお参りしましす。

(常楽寺山門)

さして広くない境内には本堂と庫裏、仏殿、文殊堂などがあり、常楽寺の背面には北条泰時墓があります。

(常楽寺本堂)


(仏殿)


(水仙と仏殿)


(文殊堂)

住職は副住職を伴い、本堂での読経の後、仏殿、文殊堂でお経を唱え、境内に出て北条泰時の墓で読経します。毎日のお務めと元旦ではお経が違うのかどうかよくわかりません。

門前で写真を撮っていると住職が戻り、副住職を従えて本堂に消えました。

(住職と副住職が戻る)


これが、初詣の撮影の顛末でした。



鎌倉身辺雑記・龍隠庵の餅つき2017

2018年01月07日 | 鎌倉


北鎌倉にある円覚寺の塔頭「龍隠庵」で恒例の餅つきの会が催されました。
暮れも押しつまった12月29日のことです。

餅つき会の様子は Youtube にアップしたので以下をご覧下さい。
龍隠庵の餅つき会2017




さて、訪問したときの様子については、以下のブログを見て下さい。


円覚寺は北鎌倉駅の東側に接するように建つ臨済宗円覚寺派の大本山です。

駅裏の階段を上ると総門があり、暮れの29日ともなると北条家の紋を染め上げた幕が掲げられています。

(円覚寺の総門)

総門をくぐり三門をくぐって仏殿にお参りします。

(円覚寺仏殿)

仏殿から左側に進みます。

(道しるべ)

選仏場と居士林の間に「龍隠庵」と彫られた道標があって、この道標に従って石畳を進むと階段がありがあります。途中で折れ曲がって更に進むと龍隠庵の境内に入ります。つまり、円覚寺境内より10メートルほど高い場所に平地があって、ここが龍隠庵の境内です。

餅つき会の日なので受付がありますが、普段は受付はありません。
初めての人も住所氏名などを書くと餅つき会に参加できます。

(餅つきの会受付)

龍隠庵の本堂は石段をやや登ったところにあります。

(本堂)


さて、餅つき会場は客殿の前の広場で行っており、住職がにこやかに迎えてくれます。

(住職)

この会は10年以上前から続いており、住職のお人柄からか、なぜか皆さんが三々五々と集まってきます。

餅つきは既に始まっていて、二セットの餅つき臼のまわりには人だかりが出来ています。

(餅を搗く人)

さて、この会はいろいろの人の協力で成り立っているので、そういった人たちを中心の写真を掲げます。

まず、餅米を蒸すせいろです。
5~6人のおじさんたちが火をたき、蒸気で餅米を蒸かしています。
聞くと、前日80キロのもち搗きをして、お供えを造ったそうです。

(客殿の裏側のせいろ)

そして、今日搗き上がったお餅はからみ餅として昼食用に供されます。

(からみ餅1)


(からみ餅2)


(からみ餅3)

けんちん汁は鎌倉の名物ですが、前夜から下ごしらえや煮込みをはじめて、大鍋で何杯もつくられています。

(けんちん汁の大鍋)

さて、客殿内では、大先生による呈茶の会です。

(客殿内の呈茶)

昨年はお見えにならなかった大先生は今年94歳で、お願いすると達者な手さばきでお茶を点ててくれました。

こんな訳で、良い年越しの行事に参加できました。
今年も無事に年が越せそうです。



鎌倉身辺雑記・NTTモデムの返却

2018年01月02日 | 鎌倉


2017年の暮も押し詰まって、NTT フレッツ光からJ:COM PHONE に切り替えました。
工事は12月の半ば頃だったのですが、J:COM PHONEの開通は12月27日になり、NTTに解約通知をしたり、J:COM 側の確認をとったりしていることに手間取って、NTTのルーター(モデム)の取り外し方法がわからず、時間を喰ってしまいました。

その顛末は以下のようです。

(NTTのルーター(モデム))

そもそもなぜ切り替える気持ちになったのか?

もともと、地デジが始まる前から鎌倉市はテレビ放映は難視聴地域でした。
かなり早い時期にケーブルテレビ局(鎌倉ケーブルテレビ)が生まれ、ケーブルテレビが欠かせない地域でした。
で、ケーブルテレビのお世話になり、その結果、ケーブルテレビの番組になじみ、通常の地デジなどより頼れる番組に成長していったという訳です。
ケーブルテレビがあったおかげで、アナログ放送が地デジに変換された際も、衛星放送のアンテナ工事やチューナーの設置もせずに乗り切りました。そのときは薄型テレビの購入だけで済み、たとえば、TBSニュースバードやスーパードラマTV、映画番組、Jsports1などのスポーツ番組、日経CNBCやCNN,衛星放送の「クールジャパン」や「こころ旅」など、主に見る番組がケーブルに依存している日常だったのです。

そんな折、昔のケーブル会社から幾多の統合や合併の結果出来たJ:COM が、ケーブルを双方向にして、テレビのチューナーを替えた方が良くはないか?と提案してきたのです。
鎌倉ケーブルテレビ時代のチューナーの老朽化と反応の速度のアップ、双方向化など良いことと、料金が倍近くなるという悪いことの兼ね合いが難しかったのですが切り替えに決め工事したわけです。

さて、ケーブルを変えたら、インターネットの環境も100M から1Gに変わり、NTTの光電話から J:COM PHONEに変わったという言うわけです。

さて、NTTのルーター(モデム)を取り外す前に、電話線を外しても電話が通じるか?、電源を切っても電話が通じるか?などを心配して、J:COM にさんざん確かめました。というのは、J:COM の書類に、あまり早期に電源を切ると工事をしても開通しない恐れがある等との文言が書いてあったからです。

(NTTのルーター(モデム)側面)

どうやら完全に開通したらしいと確信し、モデムを撤去することにしました。

(NTTのルーター(モデム)背面)


(NTTのルーター(モデム)の室内取り入れ口)

しかし、壁にある室内取り入れ口でコンセントを外すのか?、モデムの光ファイバー導入口から外すのかが分かりません。

(NTTのルーター(モデム)の背面注意書き)

さんざん苦労して、壁の取り入れ口の下向きコンセントから外すことが分かって、ようやく切り離しに成功したわけです。

この間、NTT は御用納めで電話は年明けまで開通しないとのことで、困り果ててJ:COM に電話を入れても「他社のレンタル品には一切関われません・・・」とのご返事で往生しました。

その際、手際よく、NTT からゆうパックの紙製の入れ物が送られてきましたが、指定の郵便局も年末で電話が通じないので、わざわざ見に行って、ゆうパックは扱ってくれるとのことで持参すると20人近くの人が待っていてかなり時間を喰いました。

(NTTのルーター(モデム)のゆうパック)


でも、レンタルのモデムを送り終えた爽快感は何者にも代え難い気持ちでした。