未曾有の地震に見舞われ、特に東日本の太平洋沿岸は甚大な被害が刻々と明らかになっています。
被害に遭った方々にお見舞い申し上げるとともに、救助活動を続けている方々、現状把握に努めている行政の方々に激励のメッセージを届けたいと思います。
がんばって下さい。
時間が経つとともに被害の大きさに目を覆うばかりで声もありません。
でも、必ず立ち直ると信じましょう。
日本人は目標が絞られれば何事にも歯を食いしばってやり遂げる国民です。
与野党が国民をそっちのけで政争を繰り返すことにナマズが動いたのでしょうか?。
ここはしっかりと政治をしてもらいたいものです。
● 3月11日のメモ
比較的被害の少なかった鎌倉の身のまわりについて報告します。
まず、地震の時は草むしりをしていたのでそれほど大きな地震とは思いませんでした。
家人が家から飛び出してきて、その後立ち上がったら、ゆっくりとした周期の長い地震に気がつきました。振幅は大きく、時間も長いものでした。
庭木につかまってしばらくしていると、門の前の私道から水が噴き出してきました。
2時57~8分頃だったでしょうか。
結構な水量が側溝を伝わって流れました。
家に戻ってデジカメで写真を撮りましたが迫力がありません。
(私道の水道管破裂)
しばらくは、近所の人と雑談していると、家人が、近くに住んでいて小学校に通っている孫のことを心配し、小学校に向かいました。
私道の水道管破裂は治まらず、相変わらず結構な水量でした。
自宅の水道が出るか出ないかを調べました。水は出ます。水道メーターより下流の漏水はありません。
停電であることを確認し、都市ガスが着火するかどうかを調べました。着きます。
電気だけ停電です。
ただ、従って光電話も通じません。
家人が孫をつれて戻ってきました。
コートはなく、ランドセルも持って居らず、上履きの白い運動靴のままです。
小学校では、地震直後は机の下に入るよう先生から指示され、揺れが治まった時点で何も持たずに校庭に出たそうです。
余震もあるようなので、保護者が来た家族からそのままの服装で帰るよう云われ、帰宅したわけです。
孫が来てからも大きな余震がありました。
しばらくして治まってきたのですが、1時間位の間はしょっちゅう大きな余震で家が揺れました。
都市ガスが着く間に、風呂をわかし孫を風呂に入るように言いました。
同じく、炊事も都市ガスが通っている間に済ませ、次に自分で風呂に入りました。
その後、炊事を終えた家人が風呂に入りました。
この時点で、風呂場にローソクを灯しました。
懐中電灯は3つあり、電池を取り替えました。
ラジオは2つあり、これも電池を入れました。
水道は、私道での破裂にかかわらず良く出ます。
物置のミネラルウオーター一箱は賞味期限が2009年でした。
ローソクは4本ほどあり、2日ぐらいは持ちそうです。
買い置きの電池が全て無くなったので、孫と近所のコンビニに出かけました。
ローソンとセブンイレブンは営業をしていましたが、ミニストップは営業していません。
ローソンは真っ暗な中、電卓をレジ代わりに計算して、お金を回収していました。
セブンイレブンは、予備の電源が2~3時間保つのでその間は営業するとのことでした。会社の方針とのこと。
(セブンイレブン店内)
どちらも30人以上の人が並んでいて、パンやおにぎり、飲み物、電池は売り切れ状態とのことなので家に戻りました。
星空が美しく、オリオンや他の星がよく見えました。
その後、一人で自転車で外出。
信号機がつかないので道路は大渋滞ですが自転車はスイスイと通れます。
イトーヨーカドーと西友は閉店、ライフも閉店。
ライフの前の公衆電話に多くの人が並んでいるので、自宅方向に戻り、3等郵便局前の公衆電話で娘(孫の母親)の横浜の会社に電話を入れました。
これが通じました。
コインの数が少なかったので、必要事項のみ話している内に切れました。
1.孫は善人宅に泊まる。
2.ライフラインは電気のみ停電。
3.町は、信号機が消えていて車は大渋滞。
4.家の被害はない。
などです。
電話とメールを善人の処に入れたが通じないので、かなり心配していたらしいのですが、上記情報で安心したらしい雰囲気でした。
東海道線も横須賀線も京浜東北線も不通なので、会社に泊まり明日帰るとのこと、会社が東京にある孫の父親(娘のつれあい)もそのような行動を取るとのことでした。
ところで我が家のリビングの暖房はエアコンと都市ガスのクリーンヒーターです。
昔流行ったFF暖房機というのでしょうか?。
ところがガスは通じているものの、電気が停電のため着火せず、止むを得ず灯油ストーブを引っ張り出しました。
40年ほど前のパーフェクションという会社のストーブで、耐熱ガラスがほのぼのとした雰囲気を持っています。
(昔の我が家の暖房・パーフェクション)
孫はアンティークストーブに大喜びでした。
さて、夕食です。
午後7時をまわったところだったでしょうか。
ガスが使えるので通常と変わりない食事でした。
(ローソクで夕食)
一家が無事だった幸せをかみしめました。
食事を終え、食事の後始末をし、9時前に寝ようとしたその時電気が突然復旧しました。
明るい世界が戻りました。
電話で娘の横浜の会社に電話しました。
パソコンに娘からのメールも入っていました。
後は水道局です。
鎌倉営業所に電話しましたが長い間話し中で通じたのは午後9時45分頃でした。
水道管の破裂を伝え、床につきました。
夜中の午前1時半頃、玄関のチャイムが鳴り、水道局から派遣された工事の人が、これから復旧工事を始める旨を伝えてくれました。
工事は明け方まで掛かったらしく、静かになったら直ぐに夜が白み始めました。
(夜中に復旧)
以上が東日本大地震の際の、鎌倉の身辺の顛末です。
大地震発生後2日も経ちました。
まだまだ多くの方が行方不明だと云うことに心が痛みます。
時間が経つにつれ、被害の大きさがテレビでビジュアルに流れてきます。
被災した方の無事を祈っています。
亡くなられた方のご冥福をおいのりします。
救援の方のご苦労を察しています。
日本を何とか立て直しましょう!!!。
きっと立ち直れるよ。
きっと、きっと、きっと。