真田宝物館が休館でがっかりしましたが、宝物館の裏庭に出たら「恩木工民親の銅像」があり、民親の業績を顕彰した解説板がありました。
(真田宝物館)
(恩田木工民親の像)
だいたい、真田家の歴史も、松代に封じられる前まではかなり複雑で、武田側だったにも関わらず江戸時代に生き延びていたことがよく理解出来ていないので、真田家家臣についても全く知識がないのですが、恩田杢(木工)民親の顕彰の説明板にはおよそ下記のように書かれていました。
(業績顕彰の展示)
民親は家老職の子として生まれ、父の死により19歳で家督を継ぎ、家老の末席に名を連ねたのだそうですが、41歳の時、13歳で6代藩主真田幸弘に見出されて家老職勝手掛を命ぜられ、藩財政の回復と経世済民に取り組んだのだそうです。
自ら、私曲を慎み、信義を重んじ、公平慈愛の心で政治にあたり、財政立て直しには節約しかないとして、まず自分の家族と一門にこれを守らせました。
そして、役人から領民に至るまで、日常生活全般での節約の実行を求め、役人には租税の不法な取り立てや賄賂を禁じ、領民には租税の滞納を整理して納祖しやすい月割り納税とし、山野荒地の開墾や養蚕などの殖産興業に力を注いだのだそうです。
また、目安箱を設けて民衆の意見を聞くなどの善政に努めたとのことです。
彼の事跡を詳記した『日暮硯』は、二宮尊徳の『報徳紀』に並ぶ経世の書として現在も読み継がれているそうです。
詳細は下記のホームページからどうぞ
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