「憎めない馬鹿」
「可愛げのある馬鹿」
あえて「馬鹿」と表記してみましたが、
変な言動や行動を繰り返しても
人に嫌われない馬鹿っていますよね
「天然」とも呼ばれる人たちですよね
「僕、天然じゃなくて養殖です!」
と、笑顔で言い返す人がいれば、間違いなく
天然です
そしてその中には
「空気の読めない人」
と言うカテゴリーも存在します
空気が読めない発言
これほど、迷惑なものはありませんけど
時として、それは日常の中のワンクッションとなり
一服の清涼剤となりえるシーンも
ままあるのです
しかし、そこは、空気が読めない発言
周りの空気は重くなるというよりは、
固まってしまうと言った方が的確な場面が
圧倒的です
苦笑いでやり過ごすことしかできません
「また、あいつがさぁ!」
事後報告してもらった時にも苦笑いです
しかし
ふと思ったのです
時に、その発言を待っている自分がいることを!
そう、その報告を楽しみに待っている自分がいることを!
いわば役割分担です
数人の人が集まればグループが出来ます
その中にはリーダー格が居るし、
飲み会の幹事に最適な人材もいます
車の運転が上手い人もいれば、
なんでも知ってる物知りもいるでしょう
その役割から言えば
「空気の読めない人」
の役割を、きちっと果たしている!とは取れないか?と
いつもいつも、空気の読めない発言をしては
その場を固める能力を有した彼は、
その能力を呪いながらも、それを期待する僕たちに
あえて、空気の読めない発言をしているのでは?と
言い換えれば、自分が空気を読めない発言をすることを自覚し、
周りの期待を読み取って、
いわば、その場のその空気を読み取って、あえて
空気の読めない発言を・・・・
まぁ、考えすぎでしょうね
空気の読めない人が、
そこまで思慮深いとは思いませんので
もし仮に、その役割を知らず知らずに
果たしているとすれば、まさに
天然ですよね