おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

本当の事は知らなくてもいいじゃないの!

2022年01月31日 | 食・レシピ
育ってきた環境は大事である

永谷園のお茶漬けのもと

小腹が空いた真夜中に、
一人食べる至福の時の話は次回の事として、
そのお茶漬けのもとを振りかけて作るお茶漬けは、
「お茶」か「白湯」か論争

我が家では、お茶漬けと言う音の響きと、
普段から食卓にヤカンが幅を聞かせてたから、
必然的に「お茶」をかけて食べていた

時は令和

いや、昭和の時代からあっただろう電気ポットのおかげで、
わざわざお湯を沸かす事なくお湯が常備される時代

永谷園のかの有名なお茶漬けのもとには、
緑色の粉末が入っている

「これ、お茶じゃねぇ?」

と、疑問に思うようになったのは、
恥ずかしながら極最近

これがお茶なら、それにお茶をかける事になる
チゲ鍋の「チゲ」は「鍋」って意味だから、
日本人の多くは

「今夜は鍋鍋を食べよう!」

と、韓国の人が聞けば笑うようなことになる

以前までは、あの緑の粒は「わさび」だと思っていた
居酒屋での締めはお茶漬けが定番で、
そこにはわさびがセット

色的にも、わさびが入っている方が
食欲を唆る

そして結論

最近の私は、永谷園のお茶漬けのもとを
あったかいご飯に振りかけたあと、
「水」をかけてサッと食べる

冬でもこの食べ方

ご飯があったかいんで、水でもちょうどいい

ご飯に水をかけて食べるなんて!と
自分でも思うが、お茶漬けのもとがあれば、
絶品の逸品にかわる

会話とはそういう物

2022年01月11日 | 日記
焚き火を囲んでの会話

私を入れて四人

ソーラー発電の話になった

「いまでも儲けは出るのか?」

って話になり、
A氏が語り、それにかぶせるように
B氏が説明し、それを受けて
C氏が現状を報告した

私はそんな情報には疎く、
三人の会話を聞きながら
世間の人は色んな世情に精通し、
それに比べて私の無知は・・・と嘆いた

しかし

後から思えば、ソーラー発電の話の中で、
A〜C氏は、それぞれの断片を語り合い、
知らない部分に関してはお互いが補っただけだ

すべての事を知らなかった私と対比する事は
失礼だとは思うが、
それでも私以外の三人が「すべて」を知っていた
訳でもなく、
うろ覚えも含めて、会話として成立しただけ

一人ですべての情報を把握している人ってのも
少ないと思われる

自分は何も知らない

と、卑下する必要はないが、
いろんなアンテナは張っていてもいいかもね

自分探しは日常にもあります

2022年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
他人の振り見て、我が振り直せ

これは、ダンスのうまい人を手本にすれば、
我流で踊るよりは少しはマシになりますよ!って
事ではない

ないはず

他人の行動を見て、自分はどうか?と、
再確認しろよ!って意味だと解釈している

近親の行動にイライラすることもあるが、
俯瞰で自分を見直してみれば、
同じ行動をしている事に気づく

自分が不快になるのだから、
同じように周りの人も私にそんな感情を
抱いているはずだ

自分で自分の行動を客観的に判断できないからこそ、
他人を自分に当てはめて考えなさいってことなんだと思う

自分の姿は鏡に写せば見えるが
後ろ姿は肉眼はもちろん、鏡でも見る事ができない

だから、冒頭の言葉を簡潔に

「自分の後ろ姿は見えないから」

と、思わせぶりに呟いた投稿に対して、
私の妻がコメント欄に私のバックショット写メを
貼り付けてくれた

『いや、そういう意味じゃ・・・』

と思ったが、これはこれで
意味深いものだと感じた

一休さんのとんちではないが、
見えないと思っている後ろ姿も、工夫することで
見る事が出来る

後ろ姿ってところにも意味合いを感じる

たぶんだが、妻はそこまで考えていないはずだけど