おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

確かに気にはなるけど

2017年03月16日 | 日記
昨日テレビで、
「嫌われるSNSへの投稿」なるものをやっていた

Twitterで写真ともに「ランチなう」ってのは
不快に感じる人もいるのだとか

確かに、

「今、俺、こんな昼飯食ってます!」

と報告されたところで、

「で?」

ってなることはあると思うけど、
それはそれで

「へぇ〜、美味そうなもん食ってやがんな!ちくしょ−!」

でもいいと思うんだど

Facebookにしてもそう
「いいね!」を押さないと怒る人や、
コメントに返信しないと

「なにやってんの?」

って、メッセージをもらうと
あぁ、こんなんやめようかな?と思ったことも
過去にはありました

けど、どのあたりからだったか、
少し考え方を自分なりに変えてみた

TwitterにしてもFacebookにしても、
そして、このblogにしても、
有名人でもない僕が情報を発信したところで、
それは独りよがりの、よく言われる
「日記」状態であるわけで

それならいっそ、日記にしてしまえばいいかな?と
思い始めたわけです

blogは日記帳

Twitterはメモ帳代わりに使う

そしてFacebookは自分が編集長となって
雑誌を作っている感覚で、楽しんでます

自分が取材に行ったように写真を撮りアップしたり、
思いついたことを記事として書き記したり、
時には、人の記事やお洒落な写真があれば
それをシェアしてタイムラインを充実させる

雑誌ってのは、手にとって読んでもらわないといけないので、
内容をそれなりに工夫する必要はあるけれど、
自分が気に入らないような物を売ったところで、
そこに喜びは少ないんじゃないかな

たとえ売れなかったとしても
自分が自分なりに作ったものなら、
それなりに、納得ができるというか

まぁ、僕の場合、有名人でも
大企業の社長でも、大富豪でもないので、
もっと気楽で気ままな投稿がほとんどだけど、
「いいね!」を気にすることなく
自分が集めたい記事をタイムラインに揃えることに
その行動の原動力を置いている

いまやってるのは
blogを二つとTwitterとFacebook
ラインは主に連絡用だから
自分の思いはないけどね

嫌われたくはないけど、
それを気にするあまり、
人の目を気にして自分の行動に制限がかかるのも嫌だ

SNSなんて自由にやりたいように
活用すればいいのさ

それが一番ストレスを感じない方法だと思うよ
 
 
 
 

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ドタキャンに気を使う派です

2017年03月15日 | 日記
日常の中で避けたい、
出来れば避けてほしいと思うのが
「ドタキャン」

予約を取ってるのに、メール、いや
最近だとLINEでいっちょ

「行けなくなった!」

簡単なキャンセルがまかりとおる

電話するのやだなぁ〜とか、
迷惑かかるよなぁ〜って思うと、
無理してでも予定を遂行しようかな?なんて
ひと昔前は躊躇したものだけど、
いまは、参加も断りも簡単な連絡でオッケー!

細かく言えば、オッケーではないけど、
それを否定できるほどの時代でもないしね

個人的にも、ドタキャンはしないように
心掛けている

とは言うものの、一寸先は闇

一ヶ月先の予定を今週中にくれ!って言われ、
仮抑え的に返事をして、まぁその場合は、
参加できるように予定を調整するものだけど、
後から重要な案件が不意に飛び込んで来ることも
世の常であって、かなり難しい判断が続く

逆に

何か予定が入っては迷惑がかかる!と
予め予想を立てて「今回は不参加!」と矢のような
返信をしたみたら、予定があれよあれよと
空いたり、順調に消化していったりと、
気がつけば参加できるようになったりする

「やっぱ参加で!」

と、言える場合なら、まだましで
自分が「欠席」の返事を出したばっかりに
参加人数が足りず、今回はお流れ!になったりしてると
すまなかった!と、謝る場面に早変わりすることも

一ヶ月の先の予定を聞かれた場合は、

「行けたら行くね!」

の返事が一番いいかな?とも思うが、
これはほぼほぼ「行かない」場合の返事であって
やっぱり参加意思があるなら、

「行く方向で!」

の返事が妥当かな?と

とりあえず、いまのところ
ドタキャンしそうな予定はないです

 
 
 
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我、どこにあり?

2017年03月01日 | 日記
誰が言い出したか「自分探しの旅」

今の生活を全て投げ打って、
世界を放浪し、いろんな出会いを経て、
自分が何者であるのかを探す旅

僕なりの解釈で言えば、こんな感じかな

サッカーのヒデ中田が、現役を引退したあとに
この旅に出たと記憶しているが、
彼は自分を見つけることが出来たのだろうか?

独特のファッションセンスと、
その語り口調は、もともと独特な
オンリーワンなものだと思うが、
それでも、あれだけの人物でも
自分を探さないといけないのだから、
一般人を持ってして、何を自分とするのか、
かなり難しい宿題だ

自分とはなにか?

この哲学はかなり難しい

なぜ生まれてきたのか?

それは、両親が・・・・と言うことではなく、
誕生したことに、意味を探すとなれば、
その使命を自分なりに納得したいものだ

我を失う

いや、我を忘れるといった方がいいのだろうか

漫然とした日常で、
自分の立ち位置を見失いそうになることがある

我を失う、我を忘れるってことは、
冷静な判断が出来ないってことであって、
自分の立ち位置なり、自分のやってきたことの
後悔であったり、つまり

「自分探しの自分」

を失ったり、忘れたりすることではないと思うが、
ここ数日、僕はまるで夢の中にいるような
日常を送っていた

睡眠と覚醒している境界線が解らない毎日を
僕は送っていたように思う

「あれ?あれは夢か、現実か?」

うたた寝をしていると、
さもそれが現実だったかのように感じるが
そうではない

昨日は奇妙な夢を見た

世界が真っ暗になり、そこから逃げ出す夢

螺旋階段を掛け上がっはずが下向きの階段に出くわし、
最後には階段がなくなって、右往左往した

夢の途中で

「これは、夢なのか?」

と思い立ち、超人的な振る舞いによって
その悪夢から生還することが出来た

あの夢は何を暗示しているのか

そして、僕は失った我を取り戻せるのか

自分探し

その言葉の響きが、なんとなく心の隙間に染みる
 
 
 
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