程度の差はあれ、経験したことはないだろうか?
友人の助手席に乗せてもらってドライブ。
ポップな音楽とウィットな会話で盛り上がっていると、
前方の交差点は赤信号。
サイケな会話を続けながらも、一向に落ちないスピード。
で、ぎりぎりになって急ブレーキ。
気がつけば、自分も思いっきり右足を伸ばしてた!って事。
やっぱ、車の運転は人それぞれの癖が出て、
ブレーキひとつとっても踏むタイミングは違う。
違うからこそ、自分が運転しているタイミングと違うと
恐いと感じてしまう。
思い返してみれば、
中学生の頃ぐらいまでは、オヤジやおじさん達の
車に乗っても、怖い思いをする事はほとんどなかった。
ヤンキーや輩の類が親戚に居なかったのが
幸いしているのかも知れないが、
自分が運転をしたことがない!ってのも、
恐いと感じない要因のひとつじゃないだろうか。
目出度く本日で、自転車通勤三ヶ月を迎えた。
最初の頃、後ろからやってきて僕の横をぎりぎりに
すり抜けていく車が恐かったし、
声を出した時もあった。
(こぉらぁー!怖いやんけぇ!)
で、自分が車に乗って走っていると、
颯爽と自転車に跨り悠々と走っている女子高生を見つける。
何台後ろに並んでいても平気。そんな事、平気。
後ろに並んだ車たちは、
対向車の僕を睨みつけ“早く行け!”光線を放っている。
(何故、彼女はあんなにも堂々としていられるのか?)
簡単だ。
車の運転をしたことがないからだ。
ゆっくりと蛇行しながら走る自転車の後ろを
車で付いて走ってイライラしたことがないからなのだ。
そして彼女は、
『自動車が避けてくれる』
と信じているから、怖さがないのだ。
その点、僕は知っている。
自転車が邪魔になることも知っているし、
ドライバーが
『歩行者や自転車がよけるだろう』
と思っていることも。
スピードが違うから、すり抜けられるし、
危険な場面も回避できる!と思っている事も。
この三ヶ月で、
他車の挙動を注意深く見るようになったし、
自転車や歩行者にも優しい運転が出来るようになったと
自負できる。
“相手の立場になって考えなさい”
昔よくそういって叱られたが、
その意味が少しだけ分かった。
友人の助手席に乗せてもらってドライブ。
ポップな音楽とウィットな会話で盛り上がっていると、
前方の交差点は赤信号。
サイケな会話を続けながらも、一向に落ちないスピード。
で、ぎりぎりになって急ブレーキ。
気がつけば、自分も思いっきり右足を伸ばしてた!って事。
やっぱ、車の運転は人それぞれの癖が出て、
ブレーキひとつとっても踏むタイミングは違う。
違うからこそ、自分が運転しているタイミングと違うと
恐いと感じてしまう。
思い返してみれば、
中学生の頃ぐらいまでは、オヤジやおじさん達の
車に乗っても、怖い思いをする事はほとんどなかった。
ヤンキーや輩の類が親戚に居なかったのが
幸いしているのかも知れないが、
自分が運転をしたことがない!ってのも、
恐いと感じない要因のひとつじゃないだろうか。
目出度く本日で、自転車通勤三ヶ月を迎えた。
最初の頃、後ろからやってきて僕の横をぎりぎりに
すり抜けていく車が恐かったし、
声を出した時もあった。
(こぉらぁー!怖いやんけぇ!)
で、自分が車に乗って走っていると、
颯爽と自転車に跨り悠々と走っている女子高生を見つける。
何台後ろに並んでいても平気。そんな事、平気。
後ろに並んだ車たちは、
対向車の僕を睨みつけ“早く行け!”光線を放っている。
(何故、彼女はあんなにも堂々としていられるのか?)
簡単だ。
車の運転をしたことがないからだ。
ゆっくりと蛇行しながら走る自転車の後ろを
車で付いて走ってイライラしたことがないからなのだ。
そして彼女は、
『自動車が避けてくれる』
と信じているから、怖さがないのだ。
その点、僕は知っている。
自転車が邪魔になることも知っているし、
ドライバーが
『歩行者や自転車がよけるだろう』
と思っていることも。
スピードが違うから、すり抜けられるし、
危険な場面も回避できる!と思っている事も。
この三ヶ月で、
他車の挙動を注意深く見るようになったし、
自転車や歩行者にも優しい運転が出来るようになったと
自負できる。
“相手の立場になって考えなさい”
昔よくそういって叱られたが、
その意味が少しだけ分かった。