おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

言葉の行き違い

2016年01月29日 | 日記
携帯をスマホに変えて3年
それと同じ期間、LINEも使ってきた

いや、LINEを使うためにスマホに機種変した

当時付き合っていた嫁さんとの電話代が
結構掛かっていたので、
無料通話を選択したわけだ

これ、結構便利だ

無料通話はもちろんのこと、
チャットで会話が出来て
既読もチェック出来るのは、画期的だと思った

チャットはグループでもその威力を発揮する

一度の発信で、
すべての人間に伝える事が出来るからだ

ただ

最近も改めてその危うさを思い知ったが、
言葉、それも文字だけだとやっぱり
受け取る印象が違う

その気はなくても
スタンプはもちろん、絵文字も使わないで返信されると

「怒ってるの?」

と思ってしまうし、
意見をする、訂正する、修正する、にしても
ひとつ取り方を間違えば、
ケンカ腰になりかねない

言葉のニュアンスの取り違いでもケンカになるが、
そもそも、相手にいちゃもんつけるために
書き込んでいると、
それはかなり険悪な場に変わってしまう

タイムラグ

打ち込んでいるうちに会話が進んでいくことは
チャットでもあることだが、
LINEの場合は、それが顕著だ

いちいちフォローするのも面倒だから
スルーしていると、
イザコザが勝手に暴走して、
言葉の揚げ足を取り、
最後には暴発しかねない

実際、最近
LINEでのやり取り暴発した人もいた

なんとかとなんとかは使いようと言ったもので、
LINEも使い方を間違うと
リアルと同じような、人間関係を損ねかねない
ツールだということを、確認しておく必要がある



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自分が歳を重ねたってこともあるけれど

2016年01月22日 | 日記
体育会系の気質が残っているのか、
元来の生真面目さが幼い時の記憶を残しているのか、
どうも「長」と呼ばれる人が苦手だ

いや

苦手だったと言う方がいいだろうか

長のつく人

社長はもちろん、町長や組合長、
教育長に、課長、次長、係長

まぁ、係長あたりなら少しは気が楽だが、
それでもアポを取り会いに行くとなれば
それなりに緊張はする

学校時代の教えだろうか

校長先生と言うのは、
低学年の時には親しみやすいおじさんだったが、
歳を重ねるにつれ、
その権力構造がわかり、
あぁ、あの人は偉い人なんだ!と
尊敬の念にも似た、近寄りがたい雰囲気を
勝手に思っていた

その思いが強すぎるのだろう

緊張する

いや、今までは緊張していた

それが数年前から改善された

きっかけはご近所さん

昔から知っている、歳にして一回り上の人がいる
日常的に頻繁に会うこともなく、
また出会ったとしても、特に会話をする中でもなかったが、
村の中で同じ役割を担当することになり、
一緒に行動する機会が何度かあった

その時に、勤め先が農協だと言うことは
知っていたが
今や支店長になっていらっしゃる!と言うことを知った

え?この人が支店長!

早い話がそれで気が楽になった

「長」がつく人は、もっと偉い人だと思っていたが
その組織に上に立つ人!と言う程度でもなく、
その中では一番年上、一番勤続年数が長い人、
その程度の位置付けなのか!と
妙に納得した

別にその人が大した人ではないと
言っているわけではない

偉そうにしているのが「長」だと思っていたが、
もっと親しみやすい、
もっと自然に声をかけてもいい人なんだろう!ってことが
わかったってこと

今日も違う組織の用事で
ご近所にある信用組合の支店長にアポをとって
会うことになった

以前なら、電話での会話ももちろん
しどろもどろになっていただろうが、
今日は落ち着いた対応ができたし、
実際出会っても、軽快なトークをすることが
できたと思う

他にも自分で勝手に決めつけて
「苦手だな」と思っていることも
やってみると大したことがない、
考え方一つで、今まで何を悩んでいたんだろう?って
こともあるんで、
徐々に改めて行きたいと思う今日この頃である




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計算通り!

2016年01月21日 | 日記
以前にも書いたかも知れないが

昔、お気に入りの眼鏡があった
伊達眼鏡だったが、気にいっていた

それを貸して、と弟に言われた

断る理由がなかったんで、素直に渡した

数日して、それを友達に股貸ししたとの報告を受けた
 
特に思うことはなかった



その眼鏡が無くなった!というのだ
貸した友達が紛失してしまった!と

やり場のない怒り
どちらにこの怒りを向ければいいの?と思ったが
それほどの怒りはない

怒りはないが、無くなったことへの謝罪と
弁償は、してほしいかな?と言う思いは残る

時は過ぎて、弟が面白い話を持って帰ってきた

ビデオデッキが安く手に入るという話だった

すでに一台は持っていたが、
安く、それも最新のデッキが手に入るのだから
興味が湧き、その話の続きを真剣に聞き入った

値段は忘れたが弟も半分出すと言う

これは買いだな!と決心した時、
弟が意外なことを言いだした

「あの眼鏡のことやけど・・・・」

眼鏡を無くした当の友人が気にしているらしく
弁償したいと言うのだ

僕としては半分諦めていたし、
弟の友人と言うこともあって、満額を返して欲しいとの
気持ちもさらさらなく、
それじゃ気持ちで、と言ったが
それでは気持ちが収まらないので、半額を弁償してくれる
話で折衝してもらった

当然眼鏡はもう返ってこないが、
半額の金が帰ってくるのなら・・・・と
わだかまりは全くなかった

すべての商談が決まりかけたときに
ビデオデッキの金が早速欲しいとの連絡

手持ちの金がなかった僕が渋っていると

「眼鏡の弁償代をとりあえず回したら?」

渡りに船!
その時はそう思った

偶然、眼鏡の弁償代とデッキの割り勘代が同じ金額

じゃ、それ払っといて!

スムーズな金のやりとりに、我ながら満足したものだ

と、ここまでは良かったのだが、
この話には後日談があり、僕はそのビデオデッキを一度も
見たことがない
もちろん、弟が持ち帰ってもこなかった

幻のビデオデッキ

この流れを、誰かがシナリオとして書いていたら、
かなりの切れ者だ

連日繰り返されるSmapの解散報道を見てて思い出した

あの騒動がシナリオだとしたら、
やっぱり企画したのは、敏腕マネージャーなのだろうか
 
 
 
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近所のおっさん

2016年01月18日 | 日記
「昔は口うるさいおっさんが近所に居たもんだ!」

そう話すのは、昔のおっさんほどの年齢になった
今のおっさん達

早い話、自分たちが昔のおっさんの立場で
ガミガミと問題のある若い人に注意をすれば
いいだけのことだが

「今は、時代が違うから」

と、結局は逃げの一手で昔を美化して終わり

確かに、個人情報やら、各種ハラスメントなどもあって
個人が尊重される時代

その中にあって、昔のように
アカの他人が襟を正すように注意してみても
嫌なことに巻き込まれるだけで
それなら、黙っておこう!となるのも致し方のないことかも

かくいう自分も、他人には干渉しない

やっかいな問題に巻き込まれるのが嫌なこともあるし、
そもそも、他人に時間を割けるほど、
自分に余裕がない

だからと言って、
人付き合いに無頓着ではないし、
たくさんの人との付き合いは、刺激になるし楽しい

でもね

時にはビミョーな距離感で接するグループにも
顔を出すことがあって、
その距離感は実に適度な距離だなぁ〜と
関心するほど

他人に注意しないのは、
自分に余裕がないってことや、
個人尊重の風潮に、闇雲に助言できない
風潮がある

そしてもうひとつ

嫌われたくない

余計な注意をして、

「うるさいおっさん!」

と嫌われることを避けているのではないか

少なくとも、僕自身
好きになってもらえないよりも
嫌いになられるほうが、怖い

誰もが嫌われたくない

そんな感情で人付き合いもしてないだろうか?

適度な距離を持ったグループでの会話も
本音はどこにも見えない

ありがとう!

そんな言葉がLINEでも飛び交っているが
それが本心なのか、それとも

「私はあなたの敵ではありませんよ!」

と、綺麗な言葉を並べているだけなのか

昔の嫌われ役のおっさんは、
どんな思いで、悪ガキを叱ったのだろうか



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新しい常識

2016年01月16日 | 日記
いい国つくろう鎌倉幕府!

スローガンとしてはそんなに特別な響きはないけど、
これを源頼朝が演説したわけではないので、
よしとする

と、冒頭のボケはこれぐらいにしといて
これ、僕たちの時代にはこう習った

1192年の鎌倉幕府創立?の年号だと教わったが
のちの世の研究で、そうでもないよ!と
新解釈が主流になりつつある!と
バラエティー番組でやっていたことを朧げに記憶している

なんでもあの有名な頼朝の肖像画も
別人の可能性があるとか!

他にも、足利尊氏の肖像画も!みたいな話も

歴史ってのは、いろいろ残されている資料をもとに
現在の人間が推測しているに過ぎないので、
新たな資料が発見されれば、史実は書きかわるものだとは
理解できる

他にも時間と共に変化していく物はある

横断歩道の白線も水たまりを避けるために
シマシマ部分だけにして、
渡る方向の二本線は消したと聞くし、実際そうなっている

あと何があるかは、いちいち列挙することは避けるが
何事も、経験が積み重なれば、
それまで常識だと思っていた事が覆る事は多々有る

そして

だから戸惑う時もある

最近思う

トンネルで点灯しない車がいかに多いか

確かに最近作られるトンネルはあのオレンジ色の灯りではなくて、
白く明るい!

ヘッドライトをつけずとも、
視界が確保されているように思う

とは言うものの、お天道様の下を走るよりは暗く、
そして何よりも

「トンネルの中」

と言う状況は、自然と僕に点灯を促すシチュエーションだ

そんな個人的常識で走っている僕の周りの車は
どんなに走ろうとも、点灯しない

『もしや、点けてはいけない?』

そんな思いが脳裏をよぎる

「つけなくてもよい」

なら、僕の行動は許容されるが

「つけないほうがいい」

と言うのが、最近のポピュラーなら、
僕の行動がイレギュラーになる

ウィンカーを作動させない問題とは少し違う感じの
この問題

さて、トンネル無点灯は新しい常識なのか?
 
 
 
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