おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

こきふり

2012年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム
もし、名前が違っていたら・・・
 
ネーミングってのは大事です
 
いつだったか、生年月日や血液型で運命を占うよりも、
名前で占う姓名判断の方が、利に適っているって
言う意見を聞いたとき、確かにそうだなぁ!と
納得したことを覚えている
 
付けられた名前で、運命が決まるってのは
少々大袈裟にしても、まったく関連が無いわけじゃなく、
やっぱりある
 
幼い時から 
 
「ようちゃん!」とか「みーくん」って呼ばれている人間と

「ごんぞう!」とか「まんさくどん」って呼ばれて生活している
人間とでは、
やっぱり、性格形成上で違いが出てくることは
否めない感じがする
 
そこで、今日の本題だ
 
あれ、違う名前だったらどうだろう
 
あれとは、ずばり
 
ゴキブリ
 
なんともアブラギッシュですばしっこく動いて、
カブトムシやクワガタのように黒光りはしているものの、
その柔らかなそうな体躯を表す名前が
 
ゴキブリ
 
濁音がふたつも入っている
まさに、嫌われ者の響きだし、
嫌われ者だから、この良くない名前を付けられたように
思えてならない
 
もし、あの、歓迎し難い虫が
 
コキフリ
 
だったら、どうだろう
 
カタカナ表記だと、まだシルエットで
嫌な記憶が呼び起こされるなら、
 
こきふり
 
これでどうだ?
 
まったく見たことない人に「こきふり」って言ったら、
どんな虫を想像するだろう?
 
あと、個人的には「ヒル」ってのも嫌なネーミングだ
ヒルって、あの血を吸うヒルね
 
あれも、なんか、いかにも血を吸いますよぉ!って
響きに聞こえて、気持ちが悪い
 
ヒル
 
ヒッル
 
ピル
 
ピール
 
ビール 
 
ビル
 
ヒル
 
う~ん、ここから離れないことには、
いいネーミングは出てきそうにないですね
 
ちなみに、我が家では徐々にではありますが、
彼らのことを
 
こきふり
 
と、呼んでいます
 
 
 


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よく食べました

2012年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
120830_203415_m
 
風呂に入っていて思った
 
お湯だと我慢できるが、水に近づくと
我慢が出来なくなる
 
なんじゃそりゃ?
 
ええっと、シャワーです
 
トレンディドラマ(?)的に、
何かあったときに、頭からシャワーを浴びるシチュエーション
 
それが 
 
温かい場合は、しばらくそのまま浴び続けることが
出来るが、
水になったとたん、息苦しくなる
 
あれを拷問で使われると、気がおかしくなる前に
溺死するな!と、背筋が凍る
 
あれ、誰でもそうだろうか?
 
僕は水泳が苦手だ
いわゆる“カナヅチ”ではないと自負するが、
まぁ、泳げる人から見れば、それに近いと思われる
 
息継ぎが出来ない
 
これが水泳が苦手な最大の要因だ
溺れる
いや、僕の泳いでいる姿を見れば、
すでにそれは溺れていると思われるかも知れないが、
確かに、息継ぎがスムーズに出来ないおかげで、
いつも息も絶え絶えに、25メートルを泳ぎきった
夏の日が蘇る
 
そんな、ある意味、水に対するトラウマを持つ僕だから
シャワーを浴びせ続けられても息が苦しくなるのか、
それとも、万人がそうなのか?
 
そんな事を思っていると、
改めて、夏だから湧き上がった疑問だと感じた
 
だって、冬場なら、頭から冷水をかぶることはなく、
こんな疑問も浮かばなかったはずだ
 
明日は8月最後の日だ
 
すでに暦では秋になっているが、
残暑とは呼べない暑さがまだ少し残っている日々では
いつまで夏が続くのか?と思ってしまう 
 
ここに一枚の写真がある 
 
この夏に食べたアイスの残骸だ
 
たぶん、7月の頭から食べ始めたアイスの数々だ
ふと、テレビの上に、お菓子の空き箱があったから
食い終わったアイスの棒を、そこへと刺した
 
それから二ヶ月
 
よく食った
 
今年も、アイスはよく食った
数は数えてないが、どうみても
60本は越えているように見える
と言うことは・・・・
 
そのほとんどが“ガリガリ君”だが、
今年の夏は“あずきアイス”にもはまっていたんで、
数本はその残骸
 
これ、何かに使えないか?
 
今月のはじめ、徐々に増え始めたこの棒を見て、
そんな事を考えたが、まだ結論は出ていない
 
さて、何に使えるか?
 
 
 


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これも自分

2012年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム
いや~、弱い!
 
とにかく弱い!
 
ため息がでる
 
ほんと、弱い、弱すぎる・・・・
 
え?
 
あぁ、阪神のことではありませんよ
 
確かに阪神も、近年稀に見る弱さを見せてますけど、
そんなことで、嘆いたり反省したりはしません
 
僕の弱さです
 
自分の弱さを嘆いているのです
 
弱いと言っても、アレではありませんよぉ!
アレは、結構強いですからね
 
僕が弱いと嘆くのは、精神面での自分です
 
ここ数日、仕事でパニックになってました
納期がヤバ目の仕事を知ったのは
先週の土曜日
 
「がぁ?時間ないやん!」
 
社長である親父の大らかさと対比してみても、
自分の小ささがわかりますが、
それにしても、それ大丈夫なんか?
 
さだまさしさんの歌“関白宣言”の中でも
 
「ひとりで繕うものではないはず!」
 
と、少し今回の引用には強引な持ち出しだったが、
いつもそう思う
 
納期に間に合うかどうかの瀬戸際に、
どうも僕だけの焦って仕事をしているような
気がする
 
(俺が無理してるから、間に合ってるんやで!)
 
常に、自分の手柄にして
それに対しての賛辞を欲してる自分に
周りの評価がついてこない!と憤慨してみるのが、
いつもの、自分
 
今回もそんな憤りを感じながら
仕事をしてた
 
でも、振り返ってみて
自分の度量の小ささに、改めて
失望した
 
きっかけはない
 
“急がば回れ”
 
の言葉通り、今日は残業せずに、
すぱっと定時で終わり帰ることにした
帰ってきて、熱い風呂に入り
じっくり考えてみると、自分ひとりの力で
何かを成し遂げたことはほとんどなく、
もちろん仕事の上でも、
社長が、周りの段取りをしてくれるからこそ、
不満を言いながらでも、納期に間に合わすことが
出来てるんじゃないか?と・・・
 
と、思おうとしたけど、やっぱり
自分の無理が、結果的にはいい面に
転んでるんじゃないか?と結論に至る始末
 
弱い
 
そんな結末で自分を守ろうとする、
その性根が弱い
 
でも、これが自分
 
これも自分
 
 
 
 


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夏の終わりに

2012年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム
痩せない
 
なぜか!
 
答えは簡単
 
思ってるだけだから
 
何もしないで痩せるか?
 
何もしなかったら、痩せるだろう
運動も食事もまったくしなかったら、
痩身になるはず
 
でも、それはヤツレタ状態で、
健康的とは言えない
 
そう
 
この健康的にってのが厄介でもあり、
また、言い訳の隠れ蓑としては、
便利なことなのである
 
カロリー計算はメンドウクサイ
 
運動も、一日10分だけで!とか
継続的にやることを前提に、たったこれだけの
時間で!と言われるが
そもそも、そんな運動が
定期的に続けられる性格なら、
太ることは、なかったのかも知れないと思うほど、
メンドウクサイ
 
とにかく
 
カロリー計算も運動も、メンドウクサイ
 
単純に考えれば、
摂取カロリーより消費カロリーが多ければ痩せて、
少なければ、脂肪と変わり蓄積されるだけの
話であって
運動をしない、動かないのなら、
食わないのが、一番シンプルなダイエットだ
 
しかし、自分の意志と違う、もう一つの人格が
警鐘を鳴らす
 
“それでは健康を害するぞぉ!” 
 
そうですね!そうですよねぇ!
 
すぐ賛成です
 
自分のライバルは自分!とは
よく言ったものです
 
どんな事でも、楽な道を選ぶのは
かんたんな選択で、ついつい選びがちです
 
思っているだけで痩せるのなら、
たぶん、この世にダイエットって言葉は
ないはずです
 
そんなことで悩む女性も居なくなるでしょう
 
本題がそれましたね
 
今日の本題は、痩せたい!ってことです
 
まずは食事制限が手っ取り早い方法で、
少し動けるようになれば、
徐々に運動に移行!して行こう!ってのが
今の計画です
 
祭りが終わってから、散発に行ったりする僕ですから
痩身へ取り組むのも、この夏がそろそろ終わりそうな
タイミングがベストです
 
夏が終わるといえば、明日は高校野球の
決勝戦ですね
春と同じカードは史上初とか
 
あぁ、今年も夏も終わりますね
 
 
 


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10年一昔

2012年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
10年前に戻れるか?
 
もちろん、タイムマシンの話ではない
 
生活レベルを10年前に戻せるか?の話
 
10年一昔!と、1単位のように言われるが
たかが10年と思う時間は、されど10年と
その長さを思わざるを得ない
 
例えば、携帯電話だ
 
今から思えば、高校時代はおろか、
大阪で会社員をしていた頃には、ケータイは無かった
 
独身寮には一台の電話しかなかったから、
誰かに連絡を取るには、公衆電話に
走るしかなかった
 
梅田で落ち合う約束をして出掛けても、
途中で起こったハプニングは、
出逢うまで伝えることが出来ず、
もどかしい思いをしたのは、1度や2度じゃないはず
 
「ケータイが無い頃は、どうやって連絡とってたんですか?」
 
20代の人に、真顔で聞かれた事がある
彼らにしてみれば、想像が出来ないことだろうが、
実際、そう言われて
 
(どうやって連絡してた?)
 
自問自答してみても、記憶がおぼろげで
はてさて?と思ってしまう
 
一度、便利な物を手に入れたり、
快適な環境を経験すれば、それを手放すことは
出来ないし、また、考えも及ばない
 
この夏、お盆休みの真っ最中にトレイが壊れた
 
詳しく書けば、お尻を洗ってくれる“アレ”が
壊れた
 
アレとはお尻洗浄機のことだ
 
特に痔主と言うことでもないのだが、
一度使ってからは、一日も欠かさず
使い続けてきた
 
それが使えないとなると・・・・
 
と、思ってみたが
改めて振り返ってみると、
アレがうちのトイレに取り付けられる前までは
当然、そんな物は無かったわけで、
無い時には、不便に感じなかったものも、
経験してしまえば、突然不便な思いをするものに
変わってしまう 
 
設置してくれた近くの店に修理を頼んだが
部品がないらしく、またこのメーカーは
直接、修理に来ることが多いらしい
 
この一週間、洗浄機を使わずに過ごした
 
作業場のトレイにも取り付けられてるんで、
朝のトイレは、作業場に行って済ますことが
続いていた
 
明日からは快適なトレイが復活する
 
さて、10年前の生活に戻ることは
可能だろうか?
 
10年前だと、ギリ、携帯は保持していたと思う
 
その他で言えば・・・・
 
いや、思いつかないだろうね
だって、もうそれは、
生活の中では普通のことになってるんだから
 
 
 


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