おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

早速遊びました

2012年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
1万円を崩すとしたら、その方法は?
 
破く
 
物理的ではなくて、もちろん合理的に
 
タバコは吸わない
 
ダイエット強化週間中
 
脳裏に浮かぶのは、ペットボトルのお茶を
買うことだが、
仕事場には、お茶もあり、
その選択肢も、少し違うような気がした
 
先日、集金人が作業場にやってこられた
会社の会計から出そうとすると、
一切金が無い!
 
おぉ!
 
声が出た
 
人前で、感嘆の声を恥ずかしげも無く出した 
 
どうする?
 
小切手を切ろうかとも思ったが、
財布の中から立替られない金額でもなかったから、
身銭を切って支払った
 
社長である親父が外回りから帰ってきた折、
その旨報告し、
その金が今日返ってきたわけだ
 
しかし、それは万札として
 
困った
 
「いつでもええぞぉ!」
 
差額は気にすることはない!と言われたが、
正直者の僕としては、気持ちが悪い
かと言って、すぐに崩そうと思うと
何を買っていいのか迷う
 
これが僕の身銭だけなら
少し待ってもらうことも考えてもよかったが、
その内の千円は、エンゲル係数代として
預かっている金からも出金しているので、
崩すために使える金額は
100円から400円の間
 
タバコを吸っているときなら、
大きな金を崩すことに苦労はなかった
その点だけは、喫煙していた時代のほうが
よかったと、遠い目をしそうになるが、
現実、それが出来ない今となっては
どうすることも出来ない
 
しばらくこのままにするか
 
1万円札は、出来るなら崩したくはない
いちど崩れたあと、特に千円札9枚になってからの
減り方は、気づいた頃には遅いぐらいに
加速がつく
 
さてどうしたものか?
 
とりあえず、近くのコンビニ風の店に出掛けた
一周するつもりで店内に足を踏み入れたが、
すぐに買うべきモノを見つけた
 
シャボン玉セット
 
フェイスブックで、風呂場でのシャボン玉の事が
アップされていたことを思いだし、
それをやってみようと思いだしたのだ
 
もちろん、遊ぶのは俺
 
当然、フェイスブックの記事では
3歳児が遊んでいたのだが
それはこの際、関係ない話なのだ
 
かくして、万札は無事に細かくなった
 
 
 



生レバは嫌いなんですが・・・

2012年06月28日 | 食・レシピ
レバ刺し特需もあとわずか・・・・
 
来月から、牛の生レバが食べられなくなる!
 
そのために、発表があってからは
どこの焼肉屋でもレバ刺しを求めて
来るわ来るわのお客の波が途切れないとか?
 
個人的には、「だから食べに行こう」とは思わない
 
そもそも、レバが好きではないということある
焼肉を食べに行って、レバ刺しを食ったことも
ほとんどない
 
それならユッケが食べられなくなるほうが
僕としては大打撃だ
 
しかし、食べられなくなることは
好きな人と興味のある人に任せるとして、
いつもこういった
 
“無くなる症候群”
 
と言うか、あるときには
それほど興味がわかなかったモノでも
無くなるとなれば、 
 
一応、食っておこう
 
一応、乗っておこう
 
一応、行っておこう
 
一応、撮っておこう
 
と、喪失感が迫ってきて
また、周りの騒動に流されて
ついつい興味のないことでも
一大イベントとして、参加してしまう
 
僕の家からは国鉄が走るのが見えていた
ディーゼル汽車が走っていた
中学時代は、隣市までのプチショッピングで
大人気分を味わった
 
その国鉄が民営化され、JRになって数年後
赤字路線として、廃線となった
 
最後の日
 
超満員となった様子が、新聞紙面を飾っていた
 
最後だから乗ることはわかっていたけど、
その光景を見て、
 
「いつも乗ってれば、こんな憂き目に会わなかったのに・・・」
 
まぁ、今回のレバの件は
この赤字路線とはまったく違うことで、
僕は食べない生レバだけど、
焼肉屋のメニューとして定着しているわけで、
やっぱりそれが食べられなくなるということは
特需に結びつくんですね
 
来月から食べられなくなるということは、
あと猶予は二日
明日と明後日のみ
 
今のところ、焼肉に行く予定はない
 
予定があったところで、生レバを食べる気もない
 
でも最後だから、食べてみるのも
いいかも知れない
 
三日もすれば、レバ刺しのない世界が始まる 
 
今で言えば、鯨料理みたいな感じになるのか?
あれ、美味かったなぁ~って遠い目をして
記憶のなかで、どんどん美化されていくのかなぁ~?
 
あかん 
 
食べたくなってきた
 
 
 
 


 



本物です

2012年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
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昭和60年
 
高校を卒業して大阪の会社へ就職した年
 
自動販売機で、お茶が売られているのを見て
びっくりしたことを覚えている
 
今では、ミネラルウォーターがコンビニでも売られ、
飲料として、なんの不思議もないが
当時は、それはそれはびっくりした
 
(さすが大阪!)
 
地元で確認がしようがなかったし、
当時は、目にするものすべてが新鮮で
それのすべてに“都会の風”を感じたものだ
 
恐る恐る買ったウーロン茶が
これまた初めて口にする味で、
売っていること以上に衝撃を受けた
 
その昔
 
松茸はそんなに高級食材でもなかったと
聞いた覚えがある
 
写生の題材に、学校へ野菜を
持って行くようになった時も
 
「裏山に行って、松茸でもとって来い」
 
と、一山なんぼ!の
どこにもであるようなモノだった
実際、松茸しか入ってないようなすき焼を
頬張る人たちの宴会写真を見た事があるが、
今でいう“豪勢”なモノではなく、
どこにでもある食材の
平凡な鍋だったようだ!と解説していたのを
覚えている
 
 
僕が小さなころ、夏休みになれば
みんなで昆虫採集に走りまわった
お目当ては、苦手な蝉には目もくれず、
圧倒的人気を誇る、カブトムシとクワガタムシの
二大巨頭だ
 
当時、仕掛けを作って捕獲した者も
居たのかも知れないが、正統派(?)を自負する
僕としては、
網を片手に、一本一本丁寧に確認して歩いた
 
それが時代を経て、
今は昆虫を“買う”時代になった 
 
幼虫時から育てているマニアもいるが、
その幼虫やら飼育セットに至るまで
購入できるらしい
 
今でもそうなのかは、時代の流れに疎い僕なので、
ここで明言して失笑を食らうのは本位ではないが、
売っていることは確かだと思う 
 
しかしここは田舎
 
日々の暮らしの中で、
田舎の不便さを嘆くことはあっても
その恩恵に感謝することは少ない
 
そんなことを、晩飯を食おうとした視線の先で動いた
クワガタムシが教えてくれた
 
ただ
 
いくら自然が満載だっていっても
ここは家の中ですぞ
 
あなた、どこから入ってきたの?
 
 
 



ミルメーク

2012年06月22日 | 食・レシピ
オヤジの幼馴染でもあり、
我が社のお得意様でもあるパン工場の社長さんから、
パンをいただいた
 
このパン
 
町内の学校給食に出されるパンで、
香ばしいニオイと温かさの残るそれを齧ると、
懐かしい味がした
 
(これだ!)
 
日々、ブログとFacebook の話題を探している
特派員としては、
これは絶好の記事だ!と天性の勘が教えてくれる
 
早速アップ!
 
どれどれ?どんな反応があるやら・・・と
その爆発的レスポンスに期待していたが、
徐々に“いいね!”をいただくのみ
 
まぁ、昼間にフェイスブックを覗いているのは
デスクワークの人か、休憩中の主婦さんが
主なんで、
まぁ、気長に・・・と思っていると、
ひとつのコッペパンから、次々と話が
発生していく 
 
それはミルメーク
 
ご存知かな? 
 
給食の牛乳に粉末を混ぜると、
なんと、コーヒー牛乳に早変わり!
 
同級生には、正規の使用法に従わず、
そのままとっておいて、
五時限目の授業中、ストローを粉末の入っている袋にさして、
先生に見つからぬように吸っていた
ジャンキーな猛者もいた
 
懐かしい!
 
そのことをコメント欄に返信すると、
 
「ミルメークは液体でした」
 
なんと!
 
これぞ、まさに
 
ゼネレーション、ぎゃーーーーっぷぅ!
 
僕たちの世代は牛乳は瓶だった
何代か下の世代には、紙パックに替わったことは
風の便りで知っていたが、
まさか、あのミルメークまでが姿を変えていたとは・・・
 
そこから、怒涛のコメント更新が始まった
 
時間にして、約2時間
まさに、それはコメントを残すというよりは
チャットと言った方が早いほどの、レスの速さなり
 
しかも、常時3~5人が入り乱れコメントを
残すもんだから、
どれがどのコメント対してのリポなのかを
確認しているうちに、次の会話へ進んでいって・・・ 
 
地域によってビミョーに献立が違うこと
紙パックになった時期もビミョーに違うこと
ミルメークが液体タイプに替わったことさえも、
地域によって、ビミョーにずれていることが
わかった
 
そして、この妙なチャットコメント大会の主催者が
なんと、液体ミルメークを購入することになり、
僕にも、お裾分けをしていただけることに
なった
 
ミルメークかぁ・・・・
 
あ、やっぱ液体タイプのを使うなら、
紙パックの牛乳があいますかね?
 
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オマケ

2012年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
グリコを久々に食べた
 
キャラメル自体、久しぶりに口にする
以前と違って、キュートなハート型を模ったキャラメルで、
遠い昔の記憶が蘇る味だった
 
きっかけは偶然だった
 
フェイスブックのやり取りの中で不意に
 
“グリコ”
 
の文字が出てきた
そのときには、特別な感慨はなかったけど、
深層心理に影響したんだろうか?
時間をあけて、妙に食べたくなってきた
 
近くのスーパーに行き、探す
 
すぐには見つからなかった
 
記憶の中で、小さなものだと思っていたからだ
 
が、見つけ出すことに時間は掛からなかった
そのパッケージは昔と大差ないデザイン
少し大きくなったような感じだ
 
昔、これは憧れのお菓子だった時期がある
 
小学生時代は、お小遣い制ではなかった我が家
金を必要とする事態が発生したときに、
その旨、オカンに説明して、
その都度出資いただいたというわけだ
 
だから、無駄遣いなど出来ない
 
いや、出来ないんじゃない
 
そもそも無理な話だ
 
必然的に買い食いも出来なかった
 
おやつはいつも買って来てあったから、
自分で買う必要はないが、
自分で選んでみたいと言う欲求は常にあった
 
その視線の先には、グリコも含まれていた
 
そんな憧れのお菓子が
何の問題もなく手に入る時もあった
 
風邪をひいたときだ
 
最近では寝込むほどの風邪をひいたことのない
丈夫な僕だが、
幼き頃はひ弱で、一旦風邪をひけば
この世の終わりのような有様で
大いに両親を心配させたものだ
 
そんな病床に伏す僕を哀れに思い、
なんでも好きなモノを言え!買って来てやる!と・・・
 
決まって頼んだのは、グリコのキャラメルだった
 
もちろん、普通の食事だって熱のおかげで
砂を噛むような味気なさだし、
ましてや食欲もゼロの状態
 
憧れのグリコを買って来てもらっても
力なく微笑むだけで、喉が千切れそうな咳をして
また、眠ってしまうだけだ
 
完治するまでの間、
オヤジは毎日のように、グリコを買って帰ってきた
 
枕元に溜まっていく
 
熱がひき、食欲がそれなりに回復するころ、
一大コレクションが、目の前に広がっている
 
風邪のつらさと引き換えに手に入れたモノ
それは、期せずして手に入れたモノ
 
まさに
 
“オマケ”
 
だった