僕は言わずと知れたテレビっ子だ
いや、その年月が重なり
いまや立派なテレビオヤジになった
「へぇ〜、よくテレビ見るんやね!」
これはよく聞く言葉だ
話す情報源がテレビだと知ると、相手は決まって
この言葉を発する
同時に、自分は忙しくて、
テレビを見る暇もない事を少し盛りながら
アピールしてくる
これはいつの時代でも一緒だ
小学生の時も、そして今も
テレビとは娯楽で、
見なければいけないものではない
ずっと張り付いて
一生懸命見ている姿は、
さすがの僕でも滑稽に映ることもある
しかし、だからと言って
テレビを見ない人間の方が、
現をぬかして見ている人間よりも
高尚な雰囲気を醸し出すのが気にくわない
テレビを見なくなることが、
一種の「大人への階段」のような風潮はないだろうか
アウトドア派とインドア派を比較したとき、
どうしてもアウトドア派はアクティブな印象を受ける
確かに外で活動する方が、健康的に見えるし、
それが出来ることに越したことはないと思う
さりとて、だからと言って
インドア派を否定して言い訳ではないと思う
最近では、ネットサーフィンも同義語になってきた
「そんな情報どこから手にいれるの?」
と詰問される
「ネットで!」
と親切に答えると
「そんな時間あるんですね!」
と返ってくる始末
一般的な社会での大人というのは、
テレビを見る時間も、ネットを見る時間もなく
朝から晩まで忙しく働き続ける人の事を言うかの如く、
ネットをやり、テレビを見る人をディスるのである
あえて言わしてもらうと、
それは人それぞれのライフスタイルの違いだ
よく
「うちにはテレビはないんです!」
と言う人がいるが、それがどうした?としか言えない
見たくないなら、見なければいい
見る必要がない生活を選ぶなら、それでいいじゃないか
わざわざそれを、アピールする必要もない
「テレビは卒業しました!」
それは、一歩前に進んだってことになるのかな?
昔っから「テレビっ子」は、バカにされた
大人になった今でも
CMの話なんかをすると
「テレビ好きなんですね!」
って言われる
はい、好きです
とは、正直恥ずかしくて言えない場面の方が多いけど、
はっきり言って、好きです
面白いですからね
いや、その年月が重なり
いまや立派なテレビオヤジになった
「へぇ〜、よくテレビ見るんやね!」
これはよく聞く言葉だ
話す情報源がテレビだと知ると、相手は決まって
この言葉を発する
同時に、自分は忙しくて、
テレビを見る暇もない事を少し盛りながら
アピールしてくる
これはいつの時代でも一緒だ
小学生の時も、そして今も
テレビとは娯楽で、
見なければいけないものではない
ずっと張り付いて
一生懸命見ている姿は、
さすがの僕でも滑稽に映ることもある
しかし、だからと言って
テレビを見ない人間の方が、
現をぬかして見ている人間よりも
高尚な雰囲気を醸し出すのが気にくわない
テレビを見なくなることが、
一種の「大人への階段」のような風潮はないだろうか
アウトドア派とインドア派を比較したとき、
どうしてもアウトドア派はアクティブな印象を受ける
確かに外で活動する方が、健康的に見えるし、
それが出来ることに越したことはないと思う
さりとて、だからと言って
インドア派を否定して言い訳ではないと思う
最近では、ネットサーフィンも同義語になってきた
「そんな情報どこから手にいれるの?」
と詰問される
「ネットで!」
と親切に答えると
「そんな時間あるんですね!」
と返ってくる始末
一般的な社会での大人というのは、
テレビを見る時間も、ネットを見る時間もなく
朝から晩まで忙しく働き続ける人の事を言うかの如く、
ネットをやり、テレビを見る人をディスるのである
あえて言わしてもらうと、
それは人それぞれのライフスタイルの違いだ
よく
「うちにはテレビはないんです!」
と言う人がいるが、それがどうした?としか言えない
見たくないなら、見なければいい
見る必要がない生活を選ぶなら、それでいいじゃないか
わざわざそれを、アピールする必要もない
「テレビは卒業しました!」
それは、一歩前に進んだってことになるのかな?
昔っから「テレビっ子」は、バカにされた
大人になった今でも
CMの話なんかをすると
「テレビ好きなんですね!」
って言われる
はい、好きです
とは、正直恥ずかしくて言えない場面の方が多いけど、
はっきり言って、好きです
面白いですからね