おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

見捨てられたか?

2011年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム
今月になって、来なくなった
 
何年前だったかな?
ある日、一人の営業の女性が作業場に訪れた
 
当時、いろんな営業さんが作業場に
訪ねてきていた
牛乳屋さんもいたし、募金のお願い!なんて言う
営業さんもいた
 
そんな中、訪れた女性はパン屋さんだった
 
「いかがですか?」
 
それまで、たまに朝食をパンで済ます日もあったが、
それはたまたま食パンがあった時であって、
日常的にストックしているわけではなかった
だから、パンの営業と言われても、
注文するつもりはなかった
 
が、結局は、そのパンを買うことになった
何故か?
その女性が可憐だったのもあるが、
そのパンが独特だったからだ
 
食パンだが、長さ400ミリほどだろうか
切り口の大きさは、80×80ミリ
まず、スーパーではお目にかかれないサイズだ
面白いな?と思って買うことにした
それに、毎週配達してくれるというのだから、
この女性に毎週出会えるのか?と
スケベ心も多少手伝ったこともあったかも知れない
 
それからは、朝はパン食になっていた
 
それが
 
「来月から担当が替わります」
 
先月、配達にきた女性が
最後の挨拶をした
担当が替わるといっただけで、
その女性がその後、どうなるのかは聞けなかったし、
若干、お腹が目立っていたようにも感じたから、
配置換えと言うよりは、
この食を、一時でも休職するのでは?と思った
 
それから一週間後、いつも来るはずの配達が
来なかった
 
今週で二回目
 
もう来ないのか?
 
親父とも喋ったとおり、
うちは一軒だけ離れた配達先だったから、
これを機に、除籍されたのか?と疑念も沸く
 
420円のパンを配達するには
うちは遠すぎたのかな?と、卑屈にならなくもない
 
 



将来の目標

2011年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム
仕事柄、卒業生の文章を目にする
 
卒業シーズン
PTAが発行する“広報誌”
いわゆる学校新聞の類で、
このシーズンは、卒業生特集となる
 
学校生活を振り返るのと同時に、
学生らしく、未来への期待と目標を書き綴っている
 
いまも、中学校と小学校の新聞を同時に
作業しているが、
三年の違いとは言え、両者には違いがある
 
小学生は、中学生活への期待に胸躍らせ、
中学生は、より確かな目標に身を引き締める
未来への言葉も温度差がある
小学校の卒業生は、将来へ向けてのステップとして
中学での勉強に取り組むことに、
高揚しているように感じるし、
就きたい職業にしても、色々と夢見る文章が並ぶ
 
中学の卒業生となると、
いろんな挫折も経験し、
三年前の自分とは違うような気持ちになっては
いるのだろうが、
それでも僕から見れば、
卒業生の未来は希望がいっぱいで、
まだまだ色んな経験が待ち受けていると思うと、
羨ましくもなる
 
小学生の将来の夢は、
ほんとに、多種多様な目標が並ぶ
堅実な子や、突拍子もない壮大な目標を
書く子もいるが、そんな文章を読んでいて、
 
“実現させるヤツがこの中にいるはず”
 
と、思わずにはいられない
 
努力をすれば、
つねに努力を怠らなければ、
目標には近づけると自分でも思いたいが、
中学三年間で、そして高校に入ってからでは
自分の限界を感じてしまうものなのかも知れないが、
才能は別にして、
小さい時から努力をして、
憧れの職業に就くのは、珍しい話じゃない
 
そう思えば、今、いろんな目標を書いているが、
何年後かに、この町からも
宇宙飛行士やサッカー選手が誕生しているかも
知れない
 
それにしても、将来の目標に
俳優やら歌手やら、アイドル歌手になりたい!って子は
僕が今の仕事を始めて20数年の間に、
10人いたかいないかほどだ
  
そんな小学生がいてもいいのに

 
 



で、何人いるの?

2011年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム
小さな疑問の話
 
“紅白での小林幸子のアレは、衣装と言えるか?”
 
山田邦子のコントを例に取り上げなくても、
アレが衣装なのか?
それとも装置なのか、意見が分かれる所だ
 
コントの中では、いかにも装置らしきモノから
顔を出して唄う姿を滑稽に模写していたが、
あのコントで笑いが起きるという事は、
少なからず、誰の目にも大なり小なり、
アレが 
 
“衣装のようなもの”
 
であって、決して衣装の分類に分別されないことを
表しているように思える
 
“欽ちゃんの仮装大賞のあれは仮装か?”
 
変装ではないが、仮装でもないように思える
そもそも仮装とは何か?
仮面や衣装で着飾る感じのようにも思えるが、
一人で動けないような装置を身に纏っているのに、
仮装とはこれいかに?
 
いや、装置を身に纏っているのなら、
それは衣装ってことになって、
三段論法で言い換えるなら、
つまり、仮装と言うことになるのか?
 
最新の疑問と言えば、
エグザイルは歌手なのか?
そして、どこへ向かっているのか?
と言うこと
 
若人ならば知っていて当然なのだろうが、
僕ほどの年配になると、
 
「エグザイルは何人?」
 
と聞かれも、途方にくれるだけ
しかもあの大所帯にも関らず、
唄っているのは二人だけ
 
これは最早、
 
“ゲームが出来る携帯電話”なのか
“電話が出来るゲーム機”なのかぐらいの
ビミョーな差でしかないような気がする
 
周りで踊っている人たちの方が多いといっても、
彼らは歌手であって、
それは疑いようのない点なんだろうね
 
ただ
 
バラエティには向いてないと思うから、
少し方向性は再考したほうが良いと、
素人ながら心配になる
 
 



カフェオーレ

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム
一ヶ月に一度行く散髪後、少し時間が出来た
 
今月は日曜日ごとに用事があって、
自由に使えるのは今日ぐらいだ
予定としては、部屋の掃除と、来客用の布団干し、
そして散髪ぐらいだ
 
映画も考えたが、予定が流動的でもあったので、
少し余裕を持って動けるように、
散髪だけにした
 
夕方から少し行きたい所があったが、
それまでの時間を埋める予定はない
 
さて、どうしようか?
 
散髪屋から映画館まで30分弱で着けるかも
知れないが、
上映開始と上映時間を考えれば、
その後の行動にも影響が出るかも知れない
かといって、家に帰っても、
オープン戦の中継は無かったと確認済み
 
傍らには文庫本
 
最近、散髪に行くときには、文庫本を携えて出掛ける
 
以前は、込み合うことを嫌って、
自営業の強みを生かし、
作業の都合をつけては、平日の午前中に出掛けた
 
ある時、日曜日に散髪に出掛けると、
順番待ちをしている時に、窓から吹き込んできた風が
ものすごく心地よく、こうやって
まどろむ時間も貴重だなと思って、
日曜に出掛けるようになった
 
そして最新のマイブームである読書とコラボし、
散髪屋で読書をすることが
何よりの贅沢な時間となった
 
そんな文庫本が助手席にある
 
もう行くところはひとつだ
 
喫茶店に向かう
客は思ったほど多くない
小雨が降ったお陰で、少し冷えていた身体には
ストーブの温もりがありがたい
そんな一番奥の席に陣取り、カフェオーレと
ハムサンドを注文して、読書を開始した
 
一度区切りをつけて、ハムサンドを貪る
カフェオーレに口をつけ、また読書
 
時間にして1時間半ぐらいだったが、
いつものように、ゆったりとした読書ライフを
楽しむことが出来た
 
カフェオーレをおかわりしようかと思ったが
行きたい所もあったんで、
栞を挟んで、店を出た
 
 



的です

2011年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム
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毎年書いてるかな?
 
昨日は祭り関連の神事の一つである、
“お当渡し”の祭事が行われました
 
ざっくり説明すると、
神様のお世話をする担当者の引継ぎの式
古式ゆかしき作法にのっとって、
粛々と進められるのが、お当渡し
しかし、ところどころ今風にアレンジされていて、
引継ぎの際の祝詞(?)は、
あらかじめ吹き込まれたカセットテープの再生で
済ませていた
 
まずは赤飯を一口づつ食べ、
お神酒を頂き、そしてオードブルへと
なだれ込む
 
飲むのは日本酒だけ
 
給仕役の人たちが、入れ替わり立ち代り
やってきては、
熱燗を勧めてくれる
酔うほどに飲まされつづける
 
順序が逆になってしまったけど、
オードブルを食ったあとに、いよいよメインイベントの
 
“お当渡し”
 
が行われる
 
こちらも写真に収めたが、
個人情報保護の観点から鑑み、
掲載はこの的にしてみた
 
写真の“的”は、午前中に行われた神事で、
この的の裏に書かれた鬼の字を射抜くという
これまた古式ゆかしき行事だ
 
僕も一昨年、この弓矢をやってみたが、
普段から弓矢を取り扱う経験が
絶対的に不足している現代人にとって、
練習もせずにこれを射抜くなどと言うのは、
まったくもって、難しいモノである
 
しかし
 
毎年、かならず、
お当渡しの場には、矢が刺さったあとが残る的が
仰々しく鎮座しているのである
 
それほど難しいのに、100%の確立で射抜かれる
 
それは、それ
 
その場にいなくても、想像がつきますね
神事ですから