自分の判断に絶対的な自信を持つ人は少ない
私も、その内の一人で、なんなら
全く自信がない人間だ
そんな私だが、少なからず得意な知識も有し、
判断材料として有効に活用することはある
そして、そんな私がモヤモヤするのが、
全く見当違いな思いを喋り合っている人たちが
この世に存在すること
言葉尻ならぬ、冒頭の何文字かを聞いて、
そこから想像力を働かせたり、あるいは、
すでに答えを導き出しては、我語れり!と
得意げに独自に分析を口にするのである
いや、それ間違ってますよ
若い頃の私なら、軋轢を気にすることなく、
その物言いを訂正したものだ
それは自分のためでもあり、そして
相手のことを慮ってのことだったと、自分なりに
解釈する
しかし、歳を重ねて今は、
あえてそんな訂正はしない
「へぇ〜!なるほどねぇ!」
と、その言葉を肯定するのである
自分の中でモヤモヤはするものの、
モヤモヤするのは自分一人だ
誰に迷惑をかけることもなく、
訂正された人の気分を害することもない
と、これまた相手の事を思っての思考かと
思われがちだが、違う
そんな人は、私の助言を聞かないのである
自分の意見を押し通すのである
私の言葉の一音二音を聞いて、新たな誤解を
語り出すのである
いうならば、自己防衛のために
訂正する事をやめた
でもモヤモヤは存在し続ける
私も、その内の一人で、なんなら
全く自信がない人間だ
そんな私だが、少なからず得意な知識も有し、
判断材料として有効に活用することはある
そして、そんな私がモヤモヤするのが、
全く見当違いな思いを喋り合っている人たちが
この世に存在すること
言葉尻ならぬ、冒頭の何文字かを聞いて、
そこから想像力を働かせたり、あるいは、
すでに答えを導き出しては、我語れり!と
得意げに独自に分析を口にするのである
いや、それ間違ってますよ
若い頃の私なら、軋轢を気にすることなく、
その物言いを訂正したものだ
それは自分のためでもあり、そして
相手のことを慮ってのことだったと、自分なりに
解釈する
しかし、歳を重ねて今は、
あえてそんな訂正はしない
「へぇ〜!なるほどねぇ!」
と、その言葉を肯定するのである
自分の中でモヤモヤはするものの、
モヤモヤするのは自分一人だ
誰に迷惑をかけることもなく、
訂正された人の気分を害することもない
と、これまた相手の事を思っての思考かと
思われがちだが、違う
そんな人は、私の助言を聞かないのである
自分の意見を押し通すのである
私の言葉の一音二音を聞いて、新たな誤解を
語り出すのである
いうならば、自己防衛のために
訂正する事をやめた
でもモヤモヤは存在し続ける