おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

電話の声も懐かしく・・・

2012年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
年賀状、年賀状の話です
 
印刷屋だからって事は置いておくとして、
やっぱり、プリントしただけの年賀状って
どこか味気ないってことがあってですね
ひとこと、手書きで書き込むわけです
 
「今年は一度、宴席でもご一緒に!」
 
ハートマークまで書いたら、
違う意味に取られないとも限らないから
書かないにしても、そこは洒落っ気を携えた、
どこか軽い感じで、一言を添えて送るわけです 
 
社交辞令?
 
いえいえ、違います
本心です
本心ですけど、その飲み会がいつ開催されるか?ってのは
それはまた別の話です
 
いつか飲めるといいですね!って事であって
じゃ、新年会でもするか!ってのは
また別の話です
 
でもね
 
それを感激してくれた人が居たわけです
 
数年前から、数人との賀状のやり取りの中で、
一筆、飲み会のお誘いを書きあったのです
賀状だけのやり取りなんで、
それはものすごくインターバルの空いたラリーで
いつ開催されるのかは、神のみぞ知る!と言う感じ
 
その一言を、今年は少し広げたわけですね
 
今年、初めてその一筆を見た人が
感激して、是非飲み会をしましょう!って運びになりました
勿論その申し出に対して、僕自体もやぶさかではありませんから、
是非ご一緒しましょう!と、人づてに返答しました
 
ここは、あの人にも!
 
今回の会は、同時期に某団体で長をしていた人達の集まり
その人達の中で、ひときわムードメーカー的な
賑やかな人に、携帯でメールを打ちました
 
すぐに電話が鳴りました
 
もちろん、この人には
毎年の賀状にて、宴席の事は一筆書きで
知らせてありましたけど、
実際に連絡をしたのは初めてだったので、
予想以上の反応があったわけです
 
「いつする!」
 
マンマンです
 
「是非、やりましょう!」
 
自分としても、8年ぶりぐらいになる
この飲み会を楽しみにしていたし、
懐かしい人たちと近況を報告しあいながら、
酌み交わすのも、またいいだろう!と
企画することを約束しました
 
約束しましたが、自分の中では
もう少し、温かくなってから・・・・と、どこか
踏み切れないモノもありましたが
 
今日、また電話がありました
 
「決まった?」
 
そうですね
機運が高まっているときに
まずは実行することです
それからの事はそれから考えればいいわけですね
 
早速、今日、8人に電話連絡しました
 

 
 


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論文

2012年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
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かの柏木達也は言いました
 
「幼稚園で習った事だけを、ずっと守って生きてきました」
 
思えば、それはみんな同じだと思いませんか?
成長するにつれ、色んな経験を積んで、
新しい価値観も芽生え、
異性との交流や、先輩・後輩との付き合いの中で、
いろんな立場や立ち振る舞いを覚えていきますけど
基本は、そう、幼稚園のときに習ったことだと・・・・
 
横断歩道
 
特に気にとめることもなかったけど
今日、赤信号で止まっていると
歳の頃なら50~60ぐらいだろうか?
三人の男女が横断歩道を渡っていた
その姿を眺めていると、ふと思うことがあった
 
(手を挙げないんだぁ・・・)
 
もちろん、僕も手を挙げては渡らない
 
なぜ?
 
挙げないのが常識だからだ
 
大人は手を挙げない
 
手を挙げるのは、幼稚園の幼子までだろうか?
じゃ、いつ頃から手を挙げない?
 
思うに、小学校に入学して暫く経ってからじゃ
ないだろうか?
 
手を挙げて横断歩道を渡っているのは、
確かに幼稚園児ぐらいの子どもたちだと思うし、
それは微笑ましく、また、絵になる
 
ただ、幼稚園の頃は
ほぼ同じ年頃の付き合いで、
誰もが手を挙げることに違和感を覚えないだろう
 
しかし
 
小学校に入学すれば
ご近所のおにいさん、おねえさんたち
 
“上級生”
 
との付き合いがおのずと始まる
たぶん、この付き合いが
それまで他人と自分を比べることが少なかった中に、
“比較”と言う価値観を持つんじゃないだろうか
 
指導する立場として、
最上級生である6年生は、手を挙げることを
続けて教えてくれるかも知れないが、
3年生や4年生あたりが、同じように
手を挙げて渡っていないかも知れないし、
見かける限りでは、小学生は
横断歩道で、わざわざ手を挙げたりするのは稀だ
 
2年生ともなると、上級生に感化され、
手を挙げるのを止めると共に、まだ挙げ続ける
1年生を“年下”と見下すかも知れない
 
いろいろ書いたがそういう事ではないだろうか?
 
だから、最近はトンネルでも
ライトを点灯しない車が増えていると
分析する
 
手を挙げるのを止める心理と同じなんじゃないかと
結論づけて、今日の報告を終える
 
 


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えぇ!なになになにぃい?

2012年01月27日 | テレビ番組
箱の中に手を突っ込んで、
中身が何であるか当てるゲームって
バラエティで観ることがありますよね
 
あれ、やってみたいですか?
 
バラエティを観ていると様々なゲームがあります
 
やったことがあるのは
 
“叩いてかぶってジャンケンポン!”
 
あれは、一度はやったことがある人も
多いんじゃないかな?
ピコピコハンマーや工事現場のヘルメットは
用意できなくても、代用品を使って
誰もが楽しめるゲームのひとつです
 
やってみたいのは、
 
“ゴチになります”
 
これを一度はやってみたい気はしますけど、
負けたときのストレスはハンパないですからね
どこで、誰と、いつ実行するかによっても
その雲行きが違ってきますよね 
 
で、冒頭の
 
“箱の中身はなんでしょね!”
 
関西人で、ある年齢以上の方なら
このゲーム名は節をつけて言えると思いますが、
今では、いろんな番組で
観ますよね
 
芸人だけでなく、アイドルまでもが
時折挑戦しているのを目にします
 
これ、観ていて『よく解るなぁ~』って
いつも感心します
 
トートバックの中に手だけを突っ込んで
“財布”を取り出そうとして、中々見つからない時って
ありませんか?
 
コンビニで買ったパンを食おうと、
電話をしながら片手で買い物袋をまさぐっても
お目当てのパンだけが見つからない時が
ありませんか?
 
僕にはあるんです
 
財布やパンなんて、触っても
ハッキリとその形が認識できると思うんですけど
なかなか見つからない
 
目隠しをされると、味が解らなくなったり、
青い色が付いたカレーを食べても辛さを
感じなかったりすることがあるらしいですけど
手の感触も、また同じじゃないでしょうか
 
普段から見慣れているモノでも
手だけでその形を分別するのは
かなり難しいのではないか?と思うわけです
 
だからこそ、怖がりながらも
よく当てるものだ!と感心してしまうし、
一度やってみたいような・・・気もするわけです
 
ただ、あのゲームは
 
中身を当てる!って言うよりは、
客席の反応で怖がるゲーマーを
見て楽しむのが真髄であって、
 
“決して正解を言う事が本当の目的ではない!”
 
と、言うところがミソだと思うんで
数人の仲間内だけですることは
お勧めしませんが・・・・
 
 
 
 
 


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あんな写真持ってないわ

2012年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
刑事ドラマを観ていると、
 
「この人、見かけませんでしたか?」
 
内ポケットに忍ばせた写真をおもむろに差し出し、
情報を得るために聞き込みに回るシーンがある
 
特に問題なシーンでもない
それは、実際にその場面に遭遇した事がないからだ
例えば、自分も聞き込みをされた経験を持つものなら、
 
“あんな聞き方はしない”
 
とか
 
“手帳は見せてくれなかった”
 
とか
 
“あんなイケメン刑事はおらへやろ” 
 
と、画面に突っ込みを入れるところだが
比較するものがないのだから、平穏な気持ちで
画面に食いいる
 
しかし、ふと、疑問がわいた
 
“あの写真は、何故正面を向いている?”
 
至極当然な疑問ではないだろうか?
 
捜査本部のホワイトボード
事件の経過と、容疑者の絞込みのために、
捜査情報と共に、写真が貼り付けられている
 
この写真
 
聞き込みに使っている写真と同じだろうが、
どれも正面を向いた、それはまるで
 
“証明写真”
 
のような、しっかりと写った綺麗な写真だ
 
“あれはどこで撮った?”
 
ふと疑問に思う
 
被害者とか行方不明者なら、
家族からの提供もあるだろうけど・・・
 
でも、あんな“見合い写真”みたいなやつ、
そうそう誰も持ってないやろ?
 
そういえば、指名手配の写真はどうしてるんだろう
まさか、免許証の写真を流用することはないだろうけど、
笑顔の指名手配書がないところを思えば
使っている可能性は否めない
 
と 
 
現実でもあんな写真を使っているように
思ってしまうが、
たぶんあれは演出だ
  
ドラマである以上、
視聴者に解り易くする必要がある
いらぬ説明をしていては、
情報が多すぎて、ドラマの視点がずれかねない
 
いわば、劇中に登場する“似顔絵”と一緒だ
 
まるで犯人を見て書いたような似顔絵
これもストーリーを解り易く進めるためだろう 
 
でも、考えてみれば
犯人はドラマの登場人物の中の誰かだから
もう少し、ぼかして描いてもいいと思うけど
どの似顔絵も、まるで写真から加工したような
 
“激似” 
 
なんで、少し笑える
 
 

 


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う~ん、そうですか?

2012年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
「親父が病気でして・・・・」
 
仕事関係の営業さんがやってきて
開口一番、そんな事をおっしゃった
 
「そうですか」
 
一瞬、前にそんな話しましたっけ?と
挙動不審なまでに目蓋を瞬かせてしまいましたが、
どうやら、先週やって来なかった説明だったようです
 
「オカンも、靭帯を痛めまして・・・・」
 
かぶせてきます
両親の世話で、忙しい!ってわけです
 
彼は時折、仕事の話をまったくしないで、
こんな会話だけをして帰るときもあります
 
「いやぁ!祭も終わってしまいましたね!」
 
彼の地元は、ここら辺でも有名な秋祭りがある所で
見物客もかなりの数に上る
それが、自慢らしく、
 
「是非、来年は観に来てください!」
 
祭りが終わっても、まだトランス状態のまま
 
今年の最初の訪問日には
 
「もう、大変でした!」
 
何が大変なんだ?と、聞き返すと
今年の正月はパチンコ三昧で、
あ!パチンコって言っても、僕はこっちの方ですけど!と
ジェスチャーでスロットを模写
かなり儲かったようで、大変でした!と
 
誰かに話たくて仕方がないような口調でしたけど
それを聞いて、僕にどう反応しろと言うことなのか?
 
でも、そこはそこ
 
笑顔で色々と会話はしてみます
 
「でも、怪我って不思議と続きますよね?」
 
ご両親の話に引っ掛けて、返答してみます
 
事故のニュースでも、
どこかでクレーンが倒れたとか、
ヘリコプターの墜落とか、意外と続くでしょ?
あんな感じ、怪我にもあるなぁ~と思って
彼に返してみたんですけど
 
「・・・・・・・」
 
首を捻ってます
 
(まぁ、いいですけど・・・)
 
負けずに続けますよ、僕は
 
彼が、厄年の折にも厄除けをしてもらったのに、
嫌な事(ご両親のこと)が続く!と嘆いたので
それは考え方ですよ!と、続けた
 
御祓いを受けたのに、災難にあった!と思うのか、
御祓いを受けたから、これぐらいの災難で済んだ!と
思うのか・・・
 
自分でも、なかなかいい事言った!と会心の笑顔で
視線を彼に移すと
 
「・・・・・・・」
 
また首捻ってます
 
 
まぁ、いいですけどね
 
 
 
 


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