おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

いいね!を期待しないでね

2017年02月23日 | 日記
フェイスブックの投稿数が
減ってきているとか

ヤフトピで見たニュース

なんでも3分の2まで落ち込んでいるとか

コメント欄には、

「友達かも?っていらない」
「知り合いの食事に興味がない」
「友達との繋がりが面倒になってきた」

確かに、そういう側面はある

どこへ食事に行っても
まずは「写真撮影」をしている自分に
嫌気が指す時はある

「いいね!」が押されているか気になるし、
旅行に出掛けた記事を見ては、
自分の生活の困窮さを実感してみたりする

「なんで、他人の自慢話を見なくちゃいけないの?」

そう思う心理は、ごもっともと納得する

ただ、Facebookがそれだけのものか?と
自分なりに考えてみた

自分のセンスなり、自分の思いなりを
表現する場としてのFacebookは
活用のしがいがあると思う

個人が情報発信する方法は
ブログが主流だった時から比べれば
格段に使い勝手の面でも上位にある

ただ

僕からの提案とするならば、
Facebookと言えども
やっぱりそれは一方通行のもので
ブログの時代からなんら変わりがない

「素人の日記を見て何が楽しい?」

そう揶揄されたブログだが、
Facebookもそれと大差がない

あれは、いわば

日記帳だ

今日1日あったことを報告し、
今何をしているか報告し、
美味かった料理を記憶に止めるために
Facebookの記事として投稿し、
そこに止めているに他ならない

友達からの「いいね!」が少なくてもいいじゃないか!

毎日、投稿出来なくてもいいじゃなか!

昔の友達と何十年ぶりに再会できれば
それでいいじゃないか!

自分のタイムラインを充実させることだけを
考えて続けようと、僕は思っているし、
少なくとも、今は楽しんでいる

栄枯盛衰

物事は、いつか淘汰されるものだ

ただ

Facebookが仮に淘汰され無くなったとしても、
それに代わる物が出現するに過ぎない

ネットがなくなることは、まずない
 
 
 
 

人を待たすが自分は待たない

2017年02月22日 | 日記
三日連続、言うならば
三部作の最終話に位置する今日のお話

一昨日、調子の悪くなった営業車を
昨日修理に出したのだが、どうやら
ディーラーに出した訳ではなく、
最寄りの車屋さんが触ったらしく
いまひとつ調子がよくない

いや、かなり良くない

警告灯も点滅している

で、親父

「もう直接ディーラーに言うわ!」

いまさら!と思ったが、そうしないことには
先に進まない

話も進まないが、車も進まない

受話器を取る親父
呼び出し音を聞いている親父
受話器を置く親父

ここで一言

「営業は9時半かららしい!」

すでにこの時点でイライラしている親父

近頃の「切れる老人」には該当しないとは思うが
年を取るにつれ、年々沸点が下がってくる

急ぎの仕事に取り掛かっていると、
またまた切れ気味の口調で

「まだ電話が繋がらへん!」

時計に目をやれば、9時35分

確かに、営業時間は始まっている

が、もうちょっと猶予を与えても良かろ?

結局、僕がいつも頼んでいる車屋さんに
頼むことにしたらしい

「とにかく代車が欲しいねん!」

いやいや、いや、ディーラーでも
用意してくれると思うけどね・・・・・

で、電話を入れる親父

急ぎの仕事を手際良く片付けていると、
またまた切れ気味の口調で

「まだ代車持ってけえへん!」

時計に目をやれば、電話を入れてから
まだ15分しか経っていない

受話器を置いてからすぐに出発しても
15分は掛かる車屋さん

イライラしている親父を見ていると
こっちまでイライラしてきて、

「ほな、俺が持って行ってくるわ!」

動かない車は、アクセルを踏んでも前に進まない
こんなん、よう乗ってたなぁ〜って
感心するくらい、前に進まない

ほんま、1分が待てない親父

もうちょっと、辛抱が欲しいところだ
 
 
 

車屋さんには謝らず

2017年02月21日 | 日記
昨日の記事に書いたが、
さすがの社長も、あの車の不具合には
恐怖を抱いたらしく、
珍しく迅速に修理に出していた様子

ディーラーでなくては修理が出来ない不具合は
今日の午前中には帰ってきた

どこを直したのか?

僕の懐疑心は深海よりも深いところで
燻っているが、
それよりも面白いことが起こった

「鍵がない!」

社長も面白いことを言う

修理の終わった車の鍵がない?とは、さて
どうやって作業場まで帰って来たと言うのか

よくよく聞いてみると、
作業場のドアの鍵がないとのこと

キーホールダーにつけていたのに、
車のキーしかない!とのこと

「考えられるのは、あの車屋だけや!」

社長に落ち度がないのなら、
責任は、あの車屋さん!
簡単な構図だ

慌てて車屋さんに出掛ける社長

しばらくして微笑みながら帰ってきた

「ないです!知りません!絶対違います!』

そう言われた!と言いながら、
手には車のキーとは違う鍵を持っていた

社長も面白いことを言う

ないと言うのに、
なぜ手元には二つの鍵を持っているのか?

よくよく聞いてみると、
車屋さんにはなかったが、
車を降りる時に足元を見ると落ちていたそうだ

車屋さんに怒鳴り込みにいったはずが、
自分の車の中に落ちていたわけだ

すると社長、キーホルダーに鍵をハメながら、

「これが悪いんやろか?」

車屋さんの次は、キーホルダーに
その責任を求める始末

僕の猜疑心は、エベレストよりも高いが
社長の責任転嫁は、光よも早い
 
 
 

ブレない思い

2017年02月20日 | 日記
始業前に社長である親父と雑談をする

仕事の段取り等を話すついでに、
日常会話も織り交ぜる

時に、その話題はニュースにも及び
そして、その矛先をついついコメンテーターに
向けてしまう僕がいる

「あの言い方は!」

と、批判的精神を前面に押し出した駄目出し

しかしそれは、その意見を否定したいんじゃなくて
自分の意見と違っている事への不満に他ならない

僕の思考は、ネットからの影響を受けやすい

さも正論を並べているかのような
ネット掲示板への書き込みに
時には自分と同じ意見を見つけると
安堵し、共感し、そして共鳴する

が、それとて、とても危うい状況だ

「それはその人の意見だから」

コメンテーターへの辛辣な言葉に親父が割って入った

親父の言葉はこうだ

それが正論でも正解でもなく、
それはその人個人の言い分であって
それに従って動くことはない!

素晴らしい信念だと思う

僕などは、他人の言葉にいつも過剰に反応し、
他人の目を気にしながら生き、
そしてテレビの向こう側の人間にも腹を立てていると言うのに、
親父は見事に割り切って考えているのだ

話は変わるが、最近営業車として使っている
軽トラの調子が悪い

以前にも同じ症状があり
いくらアクセルを踏んでも前に進まず

「爆発するんじゃないか?」

と思うほど、振動激しくエンジンが揺れ動く

その時はプラグを交換してことなきを得たが
今回は同じ自動車屋へ駆け込んだところ、

「うちでは手に負えないので、ディーラーへどうぞ!」

と、追い返されたらしい

その車

アクセルを踏んでも、意図したように前に進まず、
親父などは、いつもと同じように公道へ出て
あわや衝突!と、こっちがビックリしているのに
意に介せず、その厄介な車を走らせ続けている

「あれでは、咄嗟なハンドル捌きや危険回避できへんで!」

僕は、周りに迷惑がかかることも去ることながら、
運転している親父のことも気にかかり
忠告というか、修理の嘆願を申し出るのだが
その言葉は親父にとっては

「それはお前が考えていることだから」

と、取り合ってはくれないのである

どうしたものか
無理にでも修理に出すべきか

親父が納得して自分で修理に出すのを待つべきか

いまはただ、事故が起きないことを
願うばかりである

 
 



一部分だけにフォーカスを当てる危うさ

2017年02月18日 | 日記
先日テレビを見ていると、
ニュースキャスターが報道に対して
疑問を持つように

「これ、いたずらですかね?」

と、真顔でコメントをしていた

ここ数日ニュースを賑わしている
例の「暗殺事件」に関してのコメントだ

実行犯として拘束されている女性の供述では、
「いたずら」を仕掛けるように指示されたので、
その指示通りに行動しただけで、
殺人をするつもりはなかった!らしいのだ

それを受けての上記のコメントだったが、
どうだろう?

その場面だけを切り取れば、
果たしてそんなことをするだろうか?と
確かに疑問が湧かないでもないが、
こう考えてみればどうだろう

ここに至るまでに、
あと数人へのイタズラをやっていたのではないか?と

数日に分けて、そのシチュエーションに
慣らされたのかも知れない

もちろん、それの予行演習は
入念に練られた計画の一部で、
仕掛けられる役も、仕込まれた人か、
もしくは工作員が扮していたのかも知れない

はたまた、テレビ局員になりますした名刺を
渡して信用させたのかも知れない

物事は、その一瞬だけのことが全てではない

マスコミがよく使う手法で、
自分たちが使いたい、自分たちの主張に
そった「場面」だけを切り取って
報道することが、多々ある

前後の文言なり、言葉の流れなどから
それは「攻撃」ではない言葉だとしても
その「一部分」だけを取り上げれば
好戦的かつ侮蔑のニュアンスも混じることもあるだろう

それは「事実」であって「事実」ではない

今回、いろんな情報が錯綜しているが、
余計な混乱を招いているのは、
コメンテーターの「自己判断」ともいうべき
無責任な想像が介在していないだろうか?

「いたずら」で殺人を犯しますかね?

と問われれば、まず誰もが

「そんなことはしないでしょう!」

と答えるはずです

しかし、そのスプレーに入っているものが、
唐辛子の20倍の辛さで、
顔に吹きかけて、ちゃんと口に入るように
後ろから押さえてくださいね!

と、テレビマンを名乗る男に
説明されたら・・・・


仮に、包丁を渡され

「あの人を驚かすために、脇腹を刺して来てください!」

と指示をされ、なんのためらいもなく、
脇腹を刺し、現行犯逮捕された人物が

「いたずらだと言われました!」

と供述したとしたら、これこそ
「おかしい!」とその行動を声高に非難できるんじゃないか?と

その時こそ、真顔で

「これ、いたずらですかね?」

の言葉の意味が、わかるような気がします