おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

弁当を作ることの意味

2018年09月20日 | 日記
毎朝、自分の弁当を作る

「男飯」と名付け、彩やらに
一応の気配りはするものの、
お母さんたちが作る弁当には程遠いですよ!と
謙遜しながら、SNSにアップしてみたりして

弁当を作ることに、面倒臭い感じはない

自分で作ると、自分が好きな物だけを
入れられると言う、ある意味「特権」が
付いてくる

そういう事をしているから、
医者の世話になったり、町の健康課から
呼び出されたりするんだけど、
自分で作る分には、やっぱり仕方のない事だ

この毎朝の弁当作りだが、
嫁さんに言わせると

「早起きするために敢えて作らせている」

という、ミッションらしい

時間ギリギリまで寝ていては
仕事に差し支えると言うことで、
少しでも早く起きる事を目的とした弁当作りだと
力説される

確かにその側面もあるだろう

弁当作りのおかげで、
ある程度は布団から抜け出す時間は
早まっている感はある

しかし、個人的には
自主的に作っているのであって、
「やらされてる感」は、まったく感じていない

最近、嫁さんのパートが忙しいらしく、
お弁当を持ってきて、午後も作業を続けてほしいと
言われてるとか

最初はせっせとおにぎりを作っていたが、
物足りないのか、おかずも詰めて
持っていく今日この頃

そして今朝

時間がなかったようで、
僕が弁当を作っている横から

「私のおかずも詰めといて!」

と指示があった

さて、入れるべきか任すべきか

彼女曰く、僕の寝坊を改善するために
僕は毎朝弁当を作っている事になっている

ここで彼女の弁当まで作っては
少し意味合いが違ってこないか?と

まぁ、詰めましたけどね


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耳を澄ませば

2018年09月04日 | 日記
以前にも書いたかも知れないが、
反対意見が出過ぎる会議がある

慎重派と言えば、それはそうなんだろうけど、
発言する尻から

「でも〜」

と、消極的な意見が矢継ぎ早に出てくる

会議に限らず、
日常生活の中でも、知らずうちに
他人の意見に

「否定的」

な、返答をしがちだ

自分の経験値から、
それは実行しても間違っているぞぉ!とか、
その方法は自分でやってみてわかってるけど、
上手く行く可能性は低いんだぜぇ!とか
とにかく、自分の立場からの助言となる

相手の発言に対して、
一緒に可能性を探ろう!とは、ならないのが
世の常なのかも知れない

だから僕だけでもと思い、
最近は反対意見や否定的な言葉は
発しないように心掛けている

「そうかなぁ〜?」

と、僕の言葉尻を捕まえて、
早速「否定的」な声が聞こえて来そうだが、
僕がそう言ってるのだから、
少なくとも意識はしている事実だ


『それは違うな』

と思っていても、相手の話に合わせる

合わせるからと言って、
特段、見下している訳ではない

「そういう考え方もあるんだ!」

と、新しい発見のように
耳を傾ける事は悪くないし、
その方法だとどういう結果が出るのか?と
試してみようと言う気にはなる

それが例え失敗した経験を自分が持っていても
今なら、違う結果になるかも知れないし

会議でも発言は一度聞いてみる

日常の中でも、耳に入ってくる言葉を
反芻してみる

意外と面白い発想に近づけるかも知れない
 
 
 
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