おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

涙の理由

2006年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
苦手な人がいる。

特定の人も、これだけ生きてくれば勿論いるのだが、
その行動がどうも馴染めない人がいるのだ。

“ドアを強く閉める人”

これは結構昔から苦手だった。
個人的には音は立てずに静かにドアでも引き戸でも閉める僕としては、
何故、大きな音を立てて閉める必要があるのかと思ってしまう。

(怒ってるの?)

育って来た環境の中で、オカンやらが音を立ててドアを閉める時は
怒っている時だけだった。

強く閉める人は、勿論怒っている訳ではないのだが。

結構、静かに閉める方が力が必要となる。
思いっきり閉めるのは、最初だけで後は惰性でドアが閉まってくれる。

ムダな力は使わないってことだろうか。

他には

“人前で涙を見せる人”

これは、ちょっと複雑だ。

一般的に泣いている人を見る事は少ない。
僕が苦手なのは、テレビで泣くタレントである。
固有名詞は出さないが、何人かすぐに顔が浮かぶはずだ。

特に悲しいVTRなんかの時に、隅に小さくワイプで映っている人が
涙なんか流していたら、

(映っている事知ってるんでしょ、でしょ、でしょ)

って思ってしまう。

確かに、胸にグッと来る話はあるにはある。
僕だって瞼に熱いモノを感じる話はある。

でも、タレントがテレビで泣いていると、ちょっと引くのである。

VTRあけに涙のアップなんかが映ると、思わず拍手するほどに。

(その涙、ドラマで使ったら?)

って思ってしまう。

こんな風に思い始めたのは、理由がある。

昔、ある番組を見ていると、源義経の生涯を紹介していた。
生い立ちから、兄・頼朝との確執。そして悲劇的な結末。

“判官びいき”いまだに義経の生き方に共感を持つ人はいるだろう。
それはそれでいい。
結構、歴史物好きな僕としても、好きな人物の一人だ。

だが、その紹介が終った直後、スタジオに居た女優が涙ながらに
震える声でつぶやく。

「義経さん、可哀想ぉ~」

 
う~ん、どうだろうか?

そこまで感情移入をする事は、僕には出来ない。
女優ならではの感性だろうか。

それからは、タレントの涙を見ても
なんとも思わなくなった。

そして苦手になっていった。

まぁ、僕が苦手なだけの事ですけど。

 



2006年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、同じような夢を見る。

夢はよく見る方である。様々な夢を見る。
小さい頃は、予知夢って言うのか、これから起こる事で、
失敗は許されない場面に遭遇し、大抵は失敗する夢を見る。

「ハァッ!」

ドラマで良く見るような、悪夢に魘されて目が覚めたような
場面がよくあった。

そして、その失敗の場面は大抵の場合、翌日の事なのである。

「夢かぁ~」

サスペンスドラマの主人公のように、大袈裟に独り言を言うと、
翌日には、失敗しないように心掛けるのである。

高校を出た後に、無免許運転で捕まった事がある。原付きの無免許
18歳だと警官に言うと、びっくりしていた事を思い出す。

その時も、

「もうすぐ目が覚めるかも知れない」

まるで、夢でも見ているような気持ちでいた。

「いや、覚めてくれぇ!」

現実だと信じたくなかったのだろう。
当時は、物凄い犯罪者にでもなったように、2~3日はブルーなオレだった。

パニックになった時に、“夢であってくれ”と考えるようになったのは、
幼い頃の“予知夢風夢”のお陰だと思っている。

他には、高い所から落ちる夢、犬に噛まれる夢、隠れている所を後ろから
日本刀で斬り付けられる夢…… 結構怖い夢を見る事もある。

そして最近、やっかない夢を見るようになって来た。

“起きている夢”である。

気持ち良く目が覚める。窓からの日差し。小鳥のさえずり。
香ばしいコーヒーの香りと共に朝食を済ませ、
身支度を整えた僕は、仕事へと。

仕事場につくと、パソコンの電源を入れる。ここでまた
コーヒーを飲む。
煙草を一本吸ってから、おもむろに今日の作業に取りかかるのである。

と、ここまで“夢”の中で進んでいる。

キーボードを叩こうとした瞬間、

「ピピッ、ピピッ、ピピッ」

何処からか電子音が漏れてくるのである。

(なに?)

必死にキーボードを叩くが、一向に収まる気配がない。
それどころか、だんだんと大きくなっていく電子音。

「ハァッ!」

目が覚める。

枕元の目覚まし時計を止める。一日をやり直すような、
ちょっと重い気になりながらも、目を擦り自分に言い聞かすように呟く。

 
「夢かぁ~」
 
 




大金と小銭

2006年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
よぉ~し、今日はオレのおごりやぉ! 好きなだけ食いさらせぇ!

なんて言える訳がない。だって金がない。
いつも財布を見て思う。

(何に使ったぁ?)

お小遣い帳を付けていてもこれだ。知らない内にドンドン減っていく。
諭吉を英世に崩すと、もう雪崩現象。

そんな僕だが、結構飲みに行く事は多いし、また、誘ってもらえる。
しかし、時と場合によると僕が一番“年上”って時がある。

(これは払うべきか?)

いつも葛藤である。
そりゃ、カッコ良くパッと払うのがいいとは思う。
いままで数多くの先輩にお世話になってきた。
次はオレの番だ! オレの番なんだぁ! そうオレ様の番なんだぜぇ~
って思う事は思うが、何分、玉がない。

割り勘して割り切れなかった分を払う事はある。
それが例え諭吉でも払うが、最初から諭吉御一行様を見送ったりはしない。

で、トキドキ思う。

大きな金額を払う方がいいのか? それとも、小金の時こそなのか?

4人でラーメンを食べにいったとしよう。
レジに向うと、7,500円

払えるが、これは割り勘にすべきなのか?

ラーメンを食べに行く前に、ちょこっとスナックへ立寄っていた。
合計金額28,000円。

これぐらいなら無理してでも払えるが、どうなんだろう。
まぁ、7,500円と28,000円でくらべても微妙だけど。

カッコイイのは、大きな金額の時にこそ発揮されるモンだろう。

僕はどうするか?

今のところ、すべて割り勘である。
たまには出してもらったりしてみたりなんかして。

プアーな僕としては、この“小金”の時こそ払いたいと思うのだが。

 
いや、違うか。
出来れば払いたくないのである。トコトンちっさな男である。

 
昔、先輩に

「ラーメン喰いに行こかぁ!」

と、誘われた。小腹が空いてたので嬉しかった。

(ゴチになりますぅ)

近くのラーメン屋に向う。餃子も頼んだ。
5人ぐらいだったかな。

最後に水を一気に飲み干す。先輩がレシートを持って席を立つ。

レジで一応、財布なんか出してみたりして。
すると先輩、レジの可愛い女の子に向って一言。

「オレ、ラーメンと野菜炒めね」

割り勘だった。

これぐらいはっきり言いたいモノである。
 



エコ

2006年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
環境破壊ってこと、どこまで真剣に考えてるだろうか。

京都議定書での日本の削減目標はマイナス6パーセントなのに、
6.5増えたらしい。乙って感じか。

テレビでも「アイドリングストップ」って呼び掛けてるけど、
まず誰もしてない。
信号待ちの度にエンジン切ってたら、再始動でタイムロス。

「何やってんだぁー ゴラァ~」

って怒られちゃうかも知れない。

コンビニの駐車場でもエンジンかけっぱなしってヤツもいる。。

でもやっぱり地球温暖化の事は考えてもいいじゃないのって思う。

「わしら、100年後なんて関係ないしね、しゃぁないですわぁ!」
「エンジンかける時に、ガソリン喰うやろぉ! 損やんかぁ!」

まぁ、わからないでもないが、ひとりひとりの取り組みは大事なんじゃ
ないかと。
ゴミの分別にしても、環境の為って事もあるんでしょ?

でもやっぱり、分けるのってムンドクサイしね。
分別してないと引き取ってもらえないんで、仕方なく分けるとしても、
それはやっぱり環境の為にはいいんだよ。

車の排ガスにしても、環境によくないなら、
やっぱ、ちょっとは考えないとね。
僕は、信号待ちでは切らないけど、一応踏切りに止まった時は、
エンジン切るんだ。

「どうです? ボク、カッコイイでしょ?」

って感じなんだが、どうだろう?

まぁ、自分がそうしようと思って始めた事なんで、
強制する事はないし、偉そうに言うつもりもない。

でもね、車で走っていると、結構気を付けている人もいるんだよ。

二酸化炭素排出を削減するのに、個人で出来る事と言ったら、
シャワーの時に湯を出しっ放しにしないとか、暖房は20ドに設定するとか。

でね、車でもそれに気を付けている人がいて、
周りが暗くなってもライトを着けないで走ってる人がいるんだよ。
電気を使わないことで、環境に優しい運転に心掛けてるんだろうね。

他にも、ウィンカーを出さない人ね。
急に曲がるンで、びっくりしたりする時もあるんだけど、
あれも電気を極力使わないようにしてるんだよ、きっと。

偉いね。

周りの迷惑より、地球環境の事を思ってるんだから。

でも、二酸化炭素排出してるのって、火力発電所だと思うンだけど、
彼らの車の電気は火力発電なんだろうか?

もしかして、環境にやさしい「電気自動車」なのかなぁ?

限られた電力で走行してるんで、ライト点灯しなかったり、
ウィンカー出さないのかなぁ?

 
 
ほんと、イライラするよ。
 
 





東京タワー

2006年11月19日 | テレビ番組
遂にオンエアとなった話題のドラマ。

素直な感想を書くと“可もなく不可もなく”と言った感じか。
前評判が良かったというか、凄すぎたので、期待が大きかったんだろう。

リリー・フランキー氏は、心の師匠と仰ぐ存在であるが、
この「東京タワー」は未だ拝読していない。
氏の著書では、「美女と野球」「誰も知らない名言集」が
文章を書く上でのバイブルともなっているが、何故か「東京タワー」は
読んでいない。

前々から評判で

「あれはぜったいに泣けるでぇ!」

と、テレビやラジオで言っている芸能人がいると、
絶対に読まない! って思った。
最初から「泣ける」って言うのに限って、そんなに泣けない事があるから。

映画にしても「泣ける」って銘打つヤツに限って、
泣く為だけの演出が目立って、

「はいっ! ここ泣く所です」

一々教えてもらわなくても、それぞれ感情移入して自然と泣くっちゅねん!
そう思ってしまう事が多いのが現実だ。

周りの評判と言うか、話題性がある小説なんかはあまり手にはとらない。
自分で手にとって、それが決して売れていない小説でも、
感じるモノがあった時には、

「買ってよかった」

と思いたいからである。

しかし、実はこの「東京タワー」は、購入しようとした事がある。
古本屋で見つけた時だった。

(評判は良くても、古本屋に並ぶんだ)

人が良いと言うモノは手に取らない僕だが、心の師匠と崇める氏の
本とあっては、一度読むこともやぶさかではないと思った。

だが、この時すでに「ドラマ化」される事を知っていたので、
延ばした手をそのまま本にかける事はなかった。

(ドラマを観るまでは、原作は読まないでおこう)

その時、そう思った。

最近は、連ドラなんかは漫画原作の作品も少なく無い。
幸い、僕が読んでいる漫画がドラマになった事はないが、
あれも、自分の世界と微妙なズレがあるのでストレスが溜まる事がある。

師と仰ぐ氏が書かれた「泣ける小説」を先に読んでしまっては、
ドラマが見られないと思ったから、昨日まで原作を読む事を躊躇っていた。

そして昨日のオンエア。

正直、原作を読んでなかったことにホッとした。
いや、ドラマが悪かったわけじゃない。田中オカンも大泉ボクも、
そして蟹江オトンと、結構いいキャスティングだと思った。

ただ、泣かなかった事に安心した。

グッとくる「台詞」が随所にあったが、泣かなかった。

たぶん原作を読んだ時、僕は号泣するだろうと思うから。