おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

バッタモン

2006年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、なかなかブログを更新出来てない! 何故か?
それは最近、おそろしく忙しいからなのだ。

仕事があるってことは有難い事だし、結構充実した毎日だが、
ちょっとだけ余裕が欲しいと思う時もある。
タバコをふかしながら、何も考えない時間が欲しい。

何も考えないって言っても、そこは人間。
目に入るモノで色んな事を考える。
ふとした瞬間に以前の「記憶」が甦る事があるが、
詳細までは思い出せないジレンマ?に襲われる。
何も考えないでいる筈だったのに、頭の中は激しく情報整理を始める。

最近、adidasのスポーツバッグを買った。
以前にも書いたが、ポケットにモノを入れるってことが面倒なので、
何もかもバッグに忍ばせて持ち歩くようにしている。
徐々に入れるモノが多くなってきたんで、少し大きめのバッグが
欲しいなぁと思って、これを買った。

まだ買って日も浅いので、ゴアゴアしてて使い勝手は悪いが気にいっている。
そんな「アディダス」のチャックに手を掛けた時に
「ある記憶」が甦った。

「うぅん? 俺、赤いバッグ持ってたよな?」

何気に手を掛けたその「瞬間」がフィードバックされる。
気持ちの悪いというか、変な胸騒ぎにも似た心境。
そこから必死になって思い返してみるが、その「赤いバッグ」の記憶は
頭の中のどのフォルダにも見当たらない。

「高校の時かなぁ?」頼り無い僕の脳みそは、そんな呼びかけにも
答えない。

しょうもない事はずっと覚えてるくせに。

中学生の時、野球部に入っていた。
冬の朝連は寒いので、当然「ヤッケ」なるものを羽織る。
当時はまだお揃いのヤッケではなく、個人個人好きなモノを着ていた。

当時の僕は、「メーカー」とか「ブランド」ってモノを知らなかった。
何を持つにしても気にしてなかった。(今でもそんなに気にしないが)
だから買ってもらった一張羅のヤッケも何も思わず着ていた。

ある日、朝連が終わろうとした時に、先輩がじっと僕を見ている。
「なんですか?」
恐る恐る尋ねてみると、先輩は目を細めて僕の胸元に焦点をあわす。

「ア・ディ・ド・ス・・・?」

燦然と輝く僕の胸元の文字は“adidos”と刺繍が貼付けてあった。
それでも僕にはそれが「おかしい」ことだと気付かなかった。
後から思えば、いわゆる“バッタモン”って事だった。
三つ葉のマークも、その意匠は残しつつ、全てが反り返っている
「雑草」のようなマークだった。

こんな、“しょうもない”記憶はいつも頭のデスクトップにあるに。




チェケラッチョ

2006年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ある日、R175を走ってると面白い光景を目にした。
LEGACYとTodayのカーチェイス。とはいってもバトルじゃない。
2車線ある道を、お互いに一歩も引かず、睨み愛!

Todayにピタッとと引っ付いたまま、LEGACYが追い掛ける。
左側の車線に車はいない。Todayは避ける事もなく、
LEGACYも追い抜くことはしない。ピタッと付かず離れず走っていく。

「もしかして牽引してる?」

でも、時速80キロ!こうなれば“我慢くらべ”の様相。
白熱のカーチェイスを静かに見守る。
するとLEGACYが左車線へ!勝ったなToday!!
ドライバーはリズムカルに余裕のウィニングラン!
ニット帽が小刻みに揺れている。

いえぃ、チェケラッチョ!

毎日、仕事帰りにはコンビニに立ち寄る。
買うモノに変化はないけど、立ち寄るコンビニは変える。
何故か?それは可愛い店員に出会うために。

ストーカーじゃないんで、シフトまでは覚えてないが、
店に入る時は、「居るかなぁ?」とは気にする。
そしてここからが“勝負“だ。

レジに誰もいないと、彼女が対応してくれる確立が高いが、
後ろに列ぶと、もう一つのレジに誘導されてしまう。
レジを睨みながらの攻防と言うか、頭脳戦が始まる訳だ。

「今はまだタイミングが悪い!」

と思うと、買いたくもないコーヒーなんか手にしてみたりする。
しかし、ここで作戦ミス。コーヒーが置いてある所は、レジから遠い。
コーヒーを手に持ちレジに歩を進めていると、新たな来客がぁ!!
そして僕より先にレジに立つ。
「しまったぁ!」と思うが、来店してすぐのレジと言う事はタバコか?
仕方なく後ろに列ぶが、大丈夫だろうと安心している。
するとおもむろに彼は、カラ揚げを注文しだす。

「幸い、他の店員はレジから離れているから、よしとしよう!」

と、悠長に構えていると、レジの下からおばさん登場ぉ!!
「こちらへどうぞ」と笑顔で手招きされる。

レジの下で何してたんよぉ! “チェ”ケラッチョ!

最近、飲みに出ると時間を忘れて飲み過ぎてしまう。
気がつくと、2時3時は当り前。でも楽しいから許す。
女の子を笑わせる事に全力をあげる僕がいるが、
そんな僕が好きだ。ベタな話題でも何でもありだぁ!

「おもしろいぃぃ!」って言われる事に幸せを感じる。

う~ん、“チョケ”ラッチョ!

で、チェケラッチョってどういう意味なの?う~チェケラ!!






馬鹿会

2006年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
「ちょっと時間ありますか?」いつもの誘い文句である。

ユキちゃんから久々に「お誘い」の電話があった。
以前は頻繁にメールで調整なんかしたりして、飲みに行ってたが、
彼が携帯を買い替えた時に、アドレスを聞きそびれて以来、
電話だけの連絡網になっている。

「旅行行きましょうか?」

最近のユキちゃんは、一緒になるといつもこう切り出してくる。
旅行って言っても神戸や大阪へ、いわゆる○っ○○やりに行きましょか?
って事なんだ。その後、美味しいモンでも食べて一泊。そして翌朝には
もう○っ○つって事だ。(金とスタミナがあれば何発でもいいけど)

「馬鹿でか?」
「ええ!」

僕達は数人で、「馬鹿会」なるモノを作っている。
ここで少し成り立ちを書いておこう。
地元の消防団に入っていた時、一年に一度、旅行がある。
消防団の旅行は、それはもう楽しい行事の一つだ。
ちょうど「リオのカーニバル」のように、一年間積み立てなんかして
派手に遊ぶ事を目的に参加するお祭りのような旅行だ。

当時で、20人ぐらい団員がいただろうか?それがその年に限って、
参加者が6名しかいなかった。行き先は九州・博多。
実はこの年の旅行は、人数が揃わないとう言うことで、一回延期に
なっていたのだ。

「今年は淋しい旅行やな!」
一人がボソッとこぼす。

しかし、そのたった「6名」の参加者は誰もが兵揃い。
毎年宴会では中心になってバカをやるヤツらだった。

「そやけど、このメンツがおったら大丈夫やろ!」
「そやな。」
「せやけど、延期になったし、忙しい時に二つ返事で参加するんやろ!
 ほんま好きやな。いや、ホンマ“馬鹿”の集まりみたいなもんや!」

こうして「馬鹿会」は発足したわけだ。

今では年に3回は必ず飲み会を開催する。メンバーは10名に増え、
幹事を一人ずつ担当する事になっている。もうすぐ二巡目だ。

で、ユキちゃんの発言。飲み会だけでは飽き足らず、「旅行」を
計画するのである。
しかし、全てのメンバーが消防団を退団したいま、「仲良し」グループと
して「旅行」に急く事は、難しい事なのである。

「嫁はんに何て言おうかな?」とか、
「行程表は、二種類作ってよ!“嫁はん用”に!」とか。

いまだ実現していない「旅行」だが、一度はあのメンツで行ってみたい。
馬鹿会発祥の地「博多」へ。





大きい事は良い事

2006年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
最近テレビを見ていると、やけに気になる言葉がある。
番組に外タレやアイドルがゲストにやってくると、司会者が必ず

「顔、小っちぇ~!」

って誉める。
スタイルの良さも誉めると同時に、「かわいいぃ!」って表現方法なのだ。
しかし、この言葉を誰もが気にする訳ではない。
では、なぜ僕はこの言葉が気になるのか?

それは僕の頭が「デカイ」からである。

幼い頃からデカかったこの「頭」は僕の数ある悩みの中でもトップクラス。

どれくらい「デカイ」かと言う事を説明するのに身近な知り合いに
登場してもらおう。
その人はみんなにハットリと呼ばれている。
何故そう呼ばれるのか。それは彼の名前がハットリだからである。
そんな事はさておき、このハットリ君と飲み屋でばったり出会う事がある。
僕は僕で楽しくお酒を頂いている時に、彼はじっと僕の方を見つめている。

「?! 何か??」

野球部の後輩でもある彼にやさしい笑顔で問い掛ける。

「いや~ 何時見ても“デカイ”ですねぇ」

彼はグラスを片手に、僕の頭を肴に酒を飲む。
僕の頭はそれほどデカイのである。

保育園の時のお遊戯会。トラに扮装して踊る事になった。
黄色のTシャツに黄色のストッキング。頭には保母さんが作ってくれた
トラのお面をかぶる。
しかし、どうしても僕の頭には入らない。何度も作り直してくれるが、
やっぱり入らない。

「久太郎ちゃん、頭大きすぎるわぁ!」周りの保母さん達も大爆笑!
幼い心はもうボロボロ。

小学生の時は、みんなと同じようにプロ野球の帽子が欲しいと思った。
当時はまだ「阪神」か「巨人」の帽子しか売っていなかったが。

オカンにねだって買ってもらいに店に行く。しかし…しかしである。
プロ野球帽は「子供用」のサイズらしい。
当時から僕の頭はすでに「大人サイズ」だったのか、僕がカブれる帽子は、
真っ白な帽子しかなかった。チョー悲しかった。

「大は小を兼ねる」って、大雑把な感じで嫌いな言葉だが、
こんな感じで「大きい頭」が得をするシチュエーションでも考えてみる。

例えば「知識の象徴」として、
「大きな頭をお持ちでいらっしゃる!」と誉めてもらえるとか、
地球が再び氷河期になったとき、
頭が「大きい」人のほうが生存率が高い!とか。

究極は宇宙人。マーズアタックよろしく火星人が突如来襲。
各地の戦火は大きくなり、地球人は敗北。
捕虜となった僕達は火星へと連れ去られようとしている。
その時、一人の火星人が僕に話し掛ける。

「同志よ!」

僕はこの大きな頭のお陰で、一命を取り留めたのであった。
めでたし、めでたし。

って、そこまで大きくはない!








誤審

2006年03月15日 | スポーツ
WBC対アメリカ戦の「誤審」が問題になってます。

今回の件は、その「場面」を観てないんで、コメントは差し控えるとして、
国内外の情報を総合すると、「誤審」と言うことらしい。
でも、今回に限らずスポーツに「誤審」はつきモンです。

どんなスポーツを観ていても「?」って思う判定はある。

「えぇ~?! 今のはセーフやろ!!」

って突っ込みいれまくり、怒りまくりの場面に遭遇することもしばしば。
VTRで何度も見直し、丁寧にスロー再生。そしてストップモーションまで
駆使して、審判のミスを指摘。
翌日の新聞には「決定的」場面がデカデカと載ってる。

「やっぱセーフやん!」

ただつくづく思うんですけど、審判てしんどい職業です。
上手くいくと言うか、何事もなくて当り前。
ミスがこれだけ目立つ職業もありません。
審判はプレーの「一瞬」を判定するわけですから。

「誤審」とは違うけど、日常生活でも「後だしジャンケン」のような
後から言えばいい方法も思いつくでしょうよぉ!なんて事がある。

「こうすれば上手くいく!」
自信もって選択した事が上手く行かなかった時、

「アホやなぁ~、そんなんせんと、こうやっとけば上手く行くのにぃ!」

って言われる事。そりゃ、人が失敗した後なら何とでも言えますよ!まったく!
上手くいかなかった原因を探して、僕の意見に「上書き」すればいいんだから。
審判にしても、自分が下した「一瞬」の判断を、何度もVTRで確認されて
「間違ってますね」なんて言われたら、きっと思ってるはず。

「俺だって、その“VTR”見たら、セーフっていうよ!」って。

スローを色んな角度から再生してるけど、いつも思うのは
ひとつ足りないんですよ。
それは、「審判目線」の映像がないこと。
審判はプレーの一番近い所でジャッジを下してるって言っても、
「死角」もありますから。
スロー再生は一番見やすい角度を探して放送してるんですから。
審判の目にはそのプレーはどう映っていたかなんて映像は見た事がありません。

クロスプレーなんて、本当に「一瞬」だ。
サッカーのシュミレーションにしても、素人ならスロー再生でわかるほどの
高度な技を持つ選手だっているし。

あきらかな「ミス」は審判の責任だとしても、
そのミスも含めたのが「スポーツ」なんじゃないの?
スポーツによっては、写真判定なんて導入してるど、
すべての競技に当てはめると、なんか「監視」されてるようで。

それと、実況アナウンサーも「これはミスですね!」って突っ込むなら、
一試合ぐらい「言い間違い」をしないでほしい。

「松坂振りかぶって第3球を投げましたぁ!」
「打ったぁ!打球は一・二塁間、セカンド飛びついたが捕れない!」

「松中、レフト前ヒットぉぉぉぉぉ!」
「えぇぇぇぇ!!!!」

ラジオ聞いてて、
「どっちなん? ほんまに“レフト前?”ほんまは“ライト前?”って迷う。

ただ、「誤審」も自分達に不利な時は騒ぐけど、有利に働いた時は
だまってます。クロスプレーでセーフの判定を受けたランナーが

「いえ、今のはアウトです!」

って申請したりしませんから。