鼎子堂(Teishi-Do)

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『蛮幽鬼』④~心の闇の果てに・・・あるものは・・・???

2009-10-27 21:01:53 | Weblog
天気晴朗なれど、風強し・・・台風の余波?で、午前中は、強風。

『蛮幽鬼』4夜目。

3月に赤坂ACTシアターで上演された『蜉蝣峠』に続いて、人の心の闇を扱った作品のラインだと思われる『蛮幽鬼』。

人と人の心に棲む鬼をテーマに新感線は、試行錯誤を繰り返しているように思えます。

親友を殺害され、その無実の罪に陥れられた飛頭蛮(上川隆也さん)は、復讐をちかい、ひとのこころを操る京兼惜春(千葉哲也さん)は、政治を手に入れようとする。
飛頭蛮の恋人だった美古都(稲森いづみさん)は、いつのまにか、父親・惜春の傀儡になり、かつての友は、友を陥れ、大陸の新しい宗教を使って、国家を牛耳って、富を得る。
それぞれの思惑が交差して、悲劇は、悲劇を呼ぶ。

そしてこのタイトル・・・『蛮幽鬼』とは、この物語の誰を示しているのだろうか・・・とふと考えてしまいました。幽鬼として相応しいのは・・・?
主人公の飛頭蛮は、鬼になりたくてもなれない、心の奥底には、人を信じてやまないものがあるから、多分、幽鬼には、なれないだろう・・・となると、やはり、これは、サジの物語なのだろうか・・・???
ひとのこころをもたないのに、ひとの運営する国家を破滅させようと画策するサジ。
 
どれも、これも、普通に生きているひとには、まず体験しえないことだし、時代設定も古代国家のようだし、場所も、日本とは断定していない架空の世界なのだけれども、人の心は、いつの時代でも、あまり変わりはないようです。
国家規模の陰謀に巻き込まれるという可能性は、限りなく『ゼロ』に近いものの、友人や信じていた人から裏切られたり・・・ってことは、まあ、日常的に起こりうるわけで。

人が心に与える傷というのは、些細な人間関係においても、その後、結構、重大なファクターとなり得るあたり、やはり、よく考えねばなりません。

ひとは、どうすれば『鬼』となり得るのか・・・。
身近にいるのは、『仕事の鬼・・・』とか、『債鬼』だとか、そんなところですかね・・・。

さて、『蜉蝣峠』でも、書いたかもしれませんが、最近の劇団☆新感線・・・。
再び、マンネリのスパイラルに入っていったようです。
・・・大体、想像のつく終わり方だし、やっぱり・・・ね・・・と言うカンジは、どうしても否めないようです。

でも、あの料金で、ここまで、ダイナミックな舞台展開をみせてくれる劇団って、現在、本邦では、新感線以外には、存在しないような気がしています。