鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『天国と地獄:ヴァンゲリス・パパタナシュー』

2012-08-01 20:33:52 | Weblog
くもりがちながら、高温続く。


一時期、シンセサイザーによる音楽ばかり、聴いていた時代があって、日本人アーティストでは、冨田勲さんのクラシックの楽曲・・・なんてことは、3日前のブログに。
そして、もうひとつ。
ヴァンゲリスの『天国と地獄』というLPレコードだった。
(以前にも、書いたけれど、LPレコードは、もう死語なのかな?)
まだ、CDという媒体が一般的でなかった頃。

この曲は、夜聞くと、怖かった。
本当に、地獄というものがあるとしたら、こんな世界なんだろうなぁ・・・という曲のイメージ。
最後の審判で、地獄に落とされたとしたら、こんな世界だろうなぁ・・・と怖いのだけれど・・・。
夜しか聴く時間がなくて、怖いのだけれど、何度も聞きたかった。

地獄のあとは、天国である。
明るい光と清浄な空気・・・。曲のイメージが、天国そのもの・・・だった。

多分、音が、映像というか視覚のイメージをも呼び覚ますのでは・・・と思っている。
だから、特に、地獄は、すごっく・・・怖い。

作曲者で、演奏者でもある、ヴァンゲリスは、この天国と地獄のリリースのあと、映画『炎のランナー』の音楽を手掛けることになるのだけれど、この『炎のランナー』も、やはり、音楽が視覚を呼び覚まして、実際の映像と重なるんじゃないかと思う。マラソンのシーンと言えば、この曲だもん。

そして、そのあと映画『南極物語』では、タロとジロのカラフト犬の物語のサウンド・トラックとして、リリースされた。
あのオーロラのシーンは、南極に取り残されて必死で、生きようとする犬達の生命のゆらぎなんだろうと思う。

音楽と視覚と連想が一体化するというか、音楽が、ヴィジュアルを明確にイメージできる楽曲というのも、そんなに多くないのかもしれない。
実際に、天国も地獄も、個人の中のイメージでしかなく、想像でしかヴィジュアル化できないもの。

音楽と言葉(詞)だと、比較的、イメージを呼び起こすことが可能かもしれない。
頭の中の蓄積された記憶や映像や言葉や音が、豊かなヴィジュアル・イメージとして、呼び起こすことができるのも音楽の力なのだろうか?

力量のある作り手であれば、容易なことなのかもしれない。