鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

器物百年の劫を経て、付喪神となる・・・。②

2013-02-08 23:00:45 | Weblog
強風。風が凍るような金曜日。


風の時計が、白い波を刻む・・・
まるで永遠の心のように・・・。

時の中に見えていただけの砂上の夢・・・

(砂上の夢:by Grass Valley)


お題とは全く一致しませんが、時の堆積・・・を感じる曲(詞)なので、ちょっと書いてみました。


さて、器物百年を経て、付喪神になる・・・というお題でしたが。

若さに任せて、ただ、ガムシャラに突き進むのも、よいものでしょう。若い時期だけにしか味わえないラフな感覚とでもいいましょうか?

例えば、味覚。
質より量で、食べていた時代。空腹を満たすだけで、それだけで、美味しかったのに、食が細くなると、もう味覚が合わないと、どんなに空腹でも食べたくない・・・。
過去に最高に美味に感じたものが、不味い・・・そんな経験も最近多いものです。
素材自体が変わってきてることもあるでしょうし、自分の味覚も変化していることもあるのだろうから・・・。

器物は、味覚・感覚・触覚・嗅覚・視覚などは、もちろんありませんし、むしろ、これらを使う側の人間が楽しむもの・・・。
受け手のヒトが、時間によって変化すると、送り手(使われる側)の器物もまた時間によって変化するのかもしれません。
物理的風化(退色したり、微妙に形が歪んだり)・・・だとか。

受け手に合わなくなった器物は、捨てられるか、壊されるか・・・或いは、大切に保存されるか(こんなのは、稀だけれど)・・・だから、100年も保存されると付喪神になるのかもしれません。

ヒトは、感覚が鈍くなり、やがては、死に至りますが・・・。

器物もやがて、形あるものは毀れるのとおり、その形を失ったものは、ソレでおしまい・・・。
付喪神になれる器物は、本当に稀。美術館か富豪の蔵に眠るのか・・・。

ヒトも器物も100年位風雪を耐え忍ばないと、本物には、なれないのかもしれません・・・。

すみません。お題と内容が全く一致せず、論旨不明瞭な内容になってしまいました。
書いていて、書きたいことが散逸した最悪のパターンです。