風の気持ち良い週末。
昨日(14日)、夜から、相方と隣々市のシネコンへ・・・。
江戸末期の天才絵師・葛飾北斎とその娘・お栄。
普通の娘のように、着飾ったり、はしゃいだりすることもなく、ぶっきらぼうで、火事好き、画業一筋・・・というよりは、絵に憑りつかれたように、描き続けるお栄を軸に、その父で、師匠である北斎、弟子の善次郎、迷い込んだ犬と長屋で暮らしながらも、幕末の動乱期を目前に、悠々と生きる生き様と淡々と描く。
北斎の画風は、余人の及びもしない才能に溢れている。
高波を前面に、画面中央には、富士といった富嶽三十六景など、日本に住み、日本人なら、北斎と言う名をしらなくても、彼の作品(浮世絵、肉筆画)は、見たことのない・・・という人は、少ないのではないだろうか・・・(永谷園のお茶漬けのパッケージの中にもシリーズ化されて入っていたことがあったかと思う。最近は、食べていないから、知らないけれど)。
その娘であるお栄も、天才的な画人だったらしく、天才にありがちな傍若無人さを持ち合わせたひとのようであった。
父である北斎の代筆もこなし、画けないものは、ない・・・と信じるお栄だったが、別居している母と妹のおなおには、優しい。
生まれながらの盲目で、早世した妹を百日紅の終焉に見立て、散ってっていく姿は、儚い。
色の見えないおなおが、雪の白、椿の赤、猿るベリの紅、金魚の朱に、染まりながらあっという間に死んでしまうさまは、人の死が日常?であった昔に、淡々とした色彩を添える。
魑魅魍魎の跋扈する江戸の街にあって、怪談めいた人のサガを、静かに見守る北斎の目には、他人には、見えない何かがみえていたのだろうか・・・?
そして、それは、お栄にも引き継がれる。
ろくろっくびの花魁、商家の内儀を襲う地獄絵図、男娼の部屋に飾られた仏絵図、お栄と魔界を繋ぐ感性は、父から受け継がれたものらしい。
原作者の杉浦日向子さんは、若くしてなくられたように記憶しているけれど、江戸情緒溢れる作品をたくさん残された。
北斎の娘は、恰好の題材だったのではないだろうか・・・。