雨脚、ときどき強くなる日曜日・・・。
昨日(5日)は、午後から、相方の会社で、小口現金出納帳の記帳と証憑整理のアルバイト5時間。夜から、隣市のシネコンで、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』を鑑賞に出かける。
公開期間が1週間しかない・・・バレエ舞台を撮影した映画で、白鳥を演じるダンサーが全員、男性だという異色と言えば、異色な舞台。
相方は、この映画のポスターを見て、
『コレは、絶対、見逃せないわ!』
と思ったとのことで、たしかに、物凄いポスターだった。
それを見せてもらって、
『うん。確かに、コレは、絶対見逃せないわ!』
ということで、即決した映画だった。
私は、バレエは、ちと苦手で、同じ舞台系でも、ご遠慮申し上げていた。
あのトゥシューズの先で、全体重を支えて踊る・・・というのも、なんだか、無理があるように思えるし、ちまちまっとした動きも不自然だし・・・物理と人体に不合理なモノとの認識が強かった。
かてて加えて、バレリーナは、ビジュアル重視で、顔とスタイルで、足きりされる職業・・・つまり、ヒトとして、まず美しく生まれないと叶わぬ職業だから、子供の頃、バレリーナの塗り絵をするたびに、私には、関係のない職業だと思っていたから、私も、バレエを無きモノとして、私の世界から除外していたのだった。
たしかに、ヴィジュアルが、合否の最低ラインにある。
・・・ただし・・・(どんな職業でもそうかもしれないが)、その最低ラインを突破しても、更に、自分の身体を自在にコントロールし、かつ、重力からも自由であるかのように、見せる力をつけるには、並大抵の努力では、ないことを知った。
ヴィジュアルで選ばれても、天性の素質と身体能力、運動神経に恵まれていなければ、その先へ行くことができない・・・非常に、難しい職業であった。
ヴィジュアルで、落された人は、幸せである。
その先の地獄を見なくてすむからだ。
そして、その地獄をみた人たちが供する最高の演技を、こちら側から見ることができる。
マシュー・ボーンの『白鳥の湖』は、普通のバレエの演目とは、一線を画している。
現代、女王が君臨するある国で、抑圧された繊細な神経の持ち主の王子と一羽の白鳥との出会い。王子の内面と外界は、絶対に一致することはない。
オリジナルのオデット姫や黒鳥オディールを演じるリチャード・ウィンザーの野性味と王子役のドミニク・ノースの繊細さ、正統派?のプリマで、高貴な女王役のニナ・ゴールドマンの美しさを堪能できる。一度、生の舞台が見てみたい。