子供の頃から、砂時計が好きで、サラサラした砂が全て落ち終えると、逆さまにして、また砂が落ち始めるのを、眺めていた。
それを何度も繰り返しているうちに、そのうち砂時計のことなど忘れてしまい、何か別のことを初めてしまっていたりする。
砂は、何が原料なのか・・・蛍光色のピンクや青、緑などに着色されていたような気がする。
正確に1分なり、3分なり・・・と刻むのかどうか・・・(多少の誤差は、あったりする)。
今は、キッチンタイマーなどがあって、正確な時間の経過を教えてくれる。
ふと、考えたのだけれど、人生にも砂時計があるのかもしれない・・・。
人は、生まれてくるときに、神様(・・・或いは、創造主、或いは、大いなる宇宙の存在???とか)から、寿命の砂を渡される。
人生砂時計に、砂をセットして、スタート。
残りは、あとどれくらい・・・???
私達には、見ることができないけれど、それを管理している(なんて表現してよいか分からないけれども)ナントカ?霊??みたいなものがいたりする。ハイヤーセルフとか・・・???
落語の死神は、蝋燭(ろうそく)の残りを、ふっ・・・と吹いて消してしまうけれど、砂時計の砂が全部落ち切ったら、寿命が終わるのだ・・・。
寿命の砂は、綿密に計算されたその人の運命と関係する。
・・・カルマ(業と訳されるそうだけれど)とは、ホームで電車を待っていて、駅に到着した電車に、乗るようなもので、避けようと思っても、避けることができないもの・・・と或る本に書いてあった。
否が応でも、運命の電車に乗らなければならないのだ。
何かの都合で、その電車に乗れないこともあるのかもしれない。
誰かが(誰・・・というか、何者というのか・・・?神様というか・・・?)人生のシナリオを変更したときだけ、乗ることが出来ず、次の電車を待たなければならないだ。
その電車には、未来の恋人が乗車しているのかもしれない。
結婚するのかもしれないし、離婚するためにであったのが、運命なのかもしれない。
大嫌いな人が乗っているのかもしれない。
相手に殺されるかもしれないし、自分自身が殺してしまうのかもしれない。
ヒトを千人殺せば、悟りが開けるといわれ、その修行中に、殺したくないのに千人殺すことのできる人間もいれば、殺したいのに一人も殺すことが出来ない人間もいる。
そういうものが、カルマ(業)だと聞いた。
寿命の砂時計の砂を見ながら、人生のシナリオを書いた何者かが、まるで、ビデオでもみるかのように、ひとの一生を監視している・・・???
私の砂時計の砂は、残りあとどれくらいだろう・・・?
下らぬことばかり考える秋の一日。