小豆は、美味しい。
和菓子には、欠かせぬ材料でもあるし、その煮汁などは、薬効もあって、身体を温めるなどの作用があるとのこと(もっとも、砂糖などを添加し過ぎると、害になるという記述もあった)。
昔の宮中では、月初めの朔日、15日には、小豆粥を炊いて食べる習慣があったとか。
それだけ、薬効が認められるということかもしれない。
ビタミンB類なども豊富で、脚気などにも効能があるようだ。
これからの寒くなるシーズンには、暖かいお汁粉や善哉(ぜんざい)など、嬉しい一品だし、暑い時期は、ひんやり冷して、白玉善哉、水ようかんなども美味しい。
しかし・・・炊飯器で、小豆を炊けるとは、知らなかったなぁ。
過去に読んだ故・宮尾登美子氏の随筆(エッセイと書くより、随筆の方が似合う作家さんだと思っているので、随筆と書くことにする)で、戦時中、物資が不足して、お祝いをしたくでも、小豆が手に入らず、思案していたところ、子供の頃、遊んでいたお手玉の中に小豆が使われているのを思いだし、お手玉の布を割いて、中を取りだしてみたところ、一握りの小豆が出てきた。
虫食いなどもなく、炊いて食べることが出来た・・・という文章があった。
何の随筆だったか、失念したけれど、小豆は、十年くらい(或いはそれ以上の年月)は、保存が利くようだ。
出征だったか、出産だったわからないけれど、小豆の赤い色は、御目出度さを表す貴重な食材でもあったのだろう。
一握りの小豆とお手玉。
女衒(娼妓紹介業)の父を持ち、娼妓の売買で、生計を立てていた宮尾氏の実家であるが、裕福だった少女時代、贅沢になれた少女は、上品な漉し餡が好きだったという。
戦争を経て、甘い物に餓えてからは、カタチのある粒餡の方が好きになった。少しでも、食べた感じがする粒餡の方を好むようになったとのことだった。
若くして結婚、戦争を挟んで、満州へ渡り、終戦後、中国大陸より引揚げ、街中で育った身が、高知の山村での暮らし、重度の結核、離婚、再婚、遅い作家デビューと波瀾万丈な一生を送ったひとでもあった。
今年の1月に亡くなられたけれど、宮尾さんは、炊飯器で、小豆を炊く・・・と聞いたら、どう思われるだろうか・・・。
炊飯器で、炊いた小豆は、食されないかもしれないな・・・そんなことを考えながら、ラクしたい私は、これかも、たぶん、炊飯器で、小豆を炊くだろう。