このところ、皇室関係の出版物が、書店に平積みになっているようだ(・・・実際に書店に行ったわけでないのだけれど、新聞などの書籍案内や広告なんかが掲載されていた)。
宮家の王女様方の御写真集やドキュメンタリーのような書籍らしい。
インターネットがまだ普及していない頃とは、違って、各人、いろいろと意見を述べられていて、検証ややんごとなき方々の写真などなどネット上に上げて、・・・昔なら、大逆罪とかありえそうなくらいだ。
太平洋戦争後、菊のカーテンは、取り払われて、雲上人は、地に降りたって、人間になった。
太宰治は、小説・斜陽の中で、先の大戦後、日本で最後の貴族である『お母様』が亡くなり、美しい系譜は、途絶えたと書いた。
美しい?貴族社会も、(たぶん)三島由紀夫の自決で、物語からもその姿を消して、本当に、もう日本から、貴族が消えてしまったのだろうと思っている。
果たして・・・。
貴族なるものは、美しかったのだろうか・・・???
千年の昔、『源氏物語』では、宮中に住む女性(にょしょう)達は、嫉妬に明け暮れ、光源氏の母なる桐壷更衣は、壮絶で、悲惨なイジメを耐え抜いた末に、亡くなった。
現代は、それにかわるインターネットでの誹謗中傷(・・・或いは、それは、事実なのかもしれないが)と、ツールは、変わっても、ヒトの心は、変化しないのかもしれないな。
明治維新で、徳川幕府に変わり、明治新政府が発足したさいに、カネにものを言わせ、貴族の称号である爵位を買った諸大名や豪商などもいて、貴族も様々に存在した。
先述の『斜陽』の中で、太宰治は、自分の分身?とも思える直治に、
『爵位があるから貴族というわけでなく、生まれながらに備わっている天爵というものを持っているひともいる。』
と言わせている。
天が与えた貴族の称号。
天爵をあたえられたひとは、ヒトを貶めるようなことは、(たぶん)しない。
欧州では、ノブレス・オブリージュ・・・『高貴さは、義務を強制する』・・・つまりは、高貴な家柄に生まれたからには、高潔な行動をとるべし・・・。
騎士道=武士道・・・にもつながるのかどうか・・・(生憎、貴族や武士だった経験がないから、よくわからんが・・・)
現状を見渡せば、やはり、日本の貴族は、太宰のいうように、終わったし、物語の貴族も三島で、終焉を告げ、その後は、架空の創造物でしかないから、つまらないのかもしれない。