夕刻より雷雨。
故立川談志師匠とお弟子さんの立川志の輔さんの落語の『死神』を聞いていた。
どちらも巧みな話術で、笑わせてくれる。
談志師匠の死神は、ドスが利いていて、ぞくっ・・・という怖さがある。
志の輔師匠の死神は、それより、少し柔らかめ。
志の輔師匠は、最初、運・不運についての講釈から入ってくる。そして、本編、八方塞がりで、よいことなし、いっそ死んでしまおうか・・・と死に方を思案している男のもとに、死神が現れる。
死神に御酒などご馳走すると、死神は、お金持ちになる方法を教えてくれるのだ。
病人の足元に死神が居るときは、まだ、その病人は、助かる見込みがあり、死神を退散させる呪文を唱えると死神は、その場から消えてしまい、病人は、快方へ向かう。
病人の枕元に死神がいるときは、助からない。
それを上手く使い分けて、やがて、男は、名医と呼ばれるようになり、お金持ちとなり、贅沢三昧な暮らしを始めるが、湯水のようにお金をつかい、大名遊山で、上方にゆくも、連れの女に、全財産持ち逃げされ、這う這うの体で、江戸に戻る。
再び、死神退散の呪文で、ひと財産作ろうとするけれど、呼ばれる病人は、全て、助からない・・・つまり、死神が枕元にいるのだった。
男は、機転を利かせ、枕元にいる死神が、油断した隙を狙い、死神が、病人の足元にくるよう病人の寝ている布団を反転させ、死神退散の呪文を唱え、助からないハズの病人を助け、大枚を手にする。
『やってはいけないことを、やってくれたな。』
そう言いながら、呪文を教えてくれたかつての死神が現れ、男を伴い、暗い洞窟の中へと誘う。
その洞窟には、煌々とした蝋燭が、樹立していた。
寿命の尽きかけた人間を助けてしまったので、男の寿命は、風前の灯になっているのだった。
・・・というお話なのだけれど、この蝋燭は、人間ひとりひとりの寿命で、蝋燭の長短と、個人の寿命の長短が連動している。
世の中の不条理・・・というか、持って生まれた寿命にさえ、長短があり、運のよいとされるひとは、とことん運がよく、不運なひとは、不運続き。
死神に出会ったのが、幸か、不幸か・・・。
運・不運の分かれ道。
寿命も運、不運も、たぶん、ヒトにはわからないなにか、宇宙的な法則の上に成り立っているのではないか・・・と思う。