乾いた晴天。
今日も、朝から、元気に、ケムマキケムゾウ(ケムトレイル)爆撒き中で、航空機の音が、響きわたる。
航空機と救急車と消防車。
そして、南太平洋の火山の爆発で、太平洋沿岸に津波警報発令。
騒がしい日曜日。
アオゲラがかなり、居室裏の雑木林のかなり近くの木迄、飛んできてくれて、鶯色よりちょっと青みがかった羽の色、赤いベレー帽が可愛くて。
冬枯れの雑木林で、木をつつく姿が、可愛らしい。
世間は、いかに騒がしかろうと、殆ど自宅より外へでない万年ヒキコモリには、あまり影響もなく・・・。
外出が少なくなって、所謂、風邪に感染する確率が、減ったような気もしないでもないけれど、この拙ブログには、風邪で、少しでも具合が悪くなると、明日死ぬようなコトを書き綴っているのが、毎年の冬。
明日死ぬ・・・というのは、生前の母が、お念仏のように唱えていて、ついに、本当のことになってしまったけれど、その母が、使っていた体温計が、5本~6本出てきたので、電池切れのものは、処分して、手許には、画像の2本と、体温計ではないけれど、赤外線?を当てて温度を測る温度計1本を残して、昨日、今日のように、風邪気味のときなど、体温を測ってみたりする。
ネットオークションで、みつけて落札した(高額な)水銀体温計も、母は、一度使って、それっきり見向きもしなかった。
水銀製の体温計は、もう一般では出回っていなくて、水銀式血圧計とかも、淘汰される一方。
以前、母が存命中だった頃、電子血圧計の数値が、180mmHgを越えてしまって、その数値をみた母は、パニック状態となって、休日・夜間診療所へ行く・・・と大騒ぎしたことが、数回あって、その市営診療所でも、顔なじみとなった医師に、
『以前にも、来院されましたよね。』
と言われて、普通の降圧剤など処方してもらって帰ったのだけれど、そのとき、その医師が、看護師さんに、水銀の血圧計持ってきて・・・と言って、水銀式の血圧計で、測定したところ、母の血圧は、200mmHgを越えてしまっていた。
それでも、一晩様子をみて下さい・・・ということで、家に戻ると、病院へ行った安堵感と降圧剤を貰った(貰っただけで服用しなかったのだけれど)安心感からか、数時間後には、160mmHg迄、降下したので、母は、安堵して眠ることができたようだった。
こんなふうに、血圧やら、体温などが、ちょっと変化すると、もう生きるの死ぬのと大騒ぎだった母が、亡くなる直前は、その体調の変化は、現れず、座椅子にもたれたまま、暖かい炬燵、ストーブの点いた茶の間で、眠るように亡くなっていた。
母が亡くなってから、使われることのなかった体温計達だけれど、久々に風邪気味なので、電子と水銀の両方で、何回か計測してみた。
2本が殆ど同じ値を示すときもあれば、かなり誤差(5分以上)が生じることもあるのは、計測の仕方が、悪いためだろう。
母は、常時5本くらい体温計を使いまわしていて、自分の許容範囲(36度2分くらい)の値がでる体温計を溺愛?していて、それも日によって違うから、何度も、測りなおして、納得できる値が出るまで、測っていたりした。
環境とか自分自身の感情などによって、血圧、体温などは、かなり差がでるものらしく、少しでも、上昇すると、生きるの死ぬの・・・と始まる。
そんな面倒な母親だったけれど。
母の遺した体温計で、風邪熱を測り、やはり、高いの低いの・・・と心を惑わされているワタシは、やはりあの母の娘なのだな・・・とつくづく思った次第で・・・。