氷、霙を含んだ雨の連休明け。
1月に雪が降ると、日陰などは、なかなか融雪せず、凍り付いて面倒なことになったりする。
2月も、我が居住地では、数年に一度か二度、大雪になったりもするけれど、気温の上昇とともに、1月の雪程、残ったりしないものの・・・
今日のような雪とか霙混じりの日で思い出すのは、前職につくために、某・企業に面通しをした日が、こんな寒い氷雨の日で、こんなんで、この先、やっていけるんだろうか・・・などと不安になって、御天気もそうだったけれど、随分と嵐の中にいるような日々だったような気がする。
仕事も、毎月の月末と月初の請求・支払いの1週間は、酷い状況で、よく続けられたものだ・・・と今になってそう思う。
あの頃は、あの状態が普通で、出来ない私が悪いんだ・・・と、毎月、微々たる修正があるたびに、そう思っていたけれど、ソッチの方が普通で、管理職クラス(あの会社では)の仕事をいきなりフラれたので、萎縮してしまった。
その業務を担当していた派遣先の管理職(副部長さんだった)が、会社に対して損害を発生させて、退職するので、その変わりに請求・支払いの事務をやることになって、その時の派遣元の上司が、相方であった。
管理職がやっていた事務仕事だったけれど、海外輸送のコンテナや部品の梱包費用、運送費などの計算が、厄介で、胃が痛くなったりして、そして、月末・月初以外の普通の日は、何も仕事がなかったり・・・極端な会社でもあった。
豆乳ラテなど作って、甘露蜜をたっぷり入れて、氷雨を眺めていたら、ふと、高校時代に病気で亡くなったクラスメイトのことを思い出した。
冬に亡くなって、クラスの数名で、お墓参りをした日が、こんな氷雨の日で、寒い日だった。
骨肉腫?だったらしく、膝から下を切断して、学校へも、あまり来なかったけれど、細くて綺麗なひとだった。
どんな御縁かは、わからないけれど、当時、私も、彼女と同じ大学病院へ通院していて、学校を休んで、通院した日に、お見舞いのお花をナースステーションに置いて帰ろうとしたら、看護婦さん(当時は、まだ看護婦さんで、看護師さんではなかった)が、面会時間ではないけれど、お顔見ていって・・・と言われて、病室に誘われた。
私が同じクラスだなんて、たぶん、彼女は知らなかっただろうし、末期だったようで、ただぼんやりと私を見ていたあの目には、もう半分、この世のひとではないような感じだった(今にして思えば)。
かける言葉が何も浮かばなくて、
『早くよくなってね。』
と(今にして思えば)無意味な言葉だったなと思う。
結局のところ、それからしばらくして、彼女は、旅立った。
担任教師が、言うには、私が、最後の面会者だったということで、私は、この担任が大嫌いで、病気ということで、いつも彼女と比較され、おまえの病気なんか彼女に比べたら、大したことはない。甘えるな・・・みたいな扱いだったのだ。
比較することに意味はないのに・・・(今はそう思える)。
そりゃ、今日明日、死ぬとか、余命数カ月って訳ではないが・・・私だって、明日事故で死ぬかもしれないんですよ・・・と、無駄な反論をしたこともあったけれど。
昔の教師って、絶対だったからな・・・。
或る程度、生命の期限がわかる病気と、いつ果てることはわからないけれど、日々、不調・・・という病気を抱えたふたりの女子高校生。
私は、生きる意味を見出せず、こんなに長生きしてしまった。
それも、運命だから、仕方が無い。
氷雨降る寒い冬の日に・・・。