少し気温が上がったけれど、まだまだ冷たい風が吹く週末。
お昼前から、市内へ。
今日も、『8888』のゾロ目3連チャン。『777』、『5555』、『222』、『1111』、ゾロ目ではないけれど、『358』も・・・???
走行時間30分もないと思うんだけれど。
母が亡くなって、お仏壇に生花をお供えするようになって、花の種類によって、長持ちするもの、すぐに萎れてしまうものと、様々で、購入するショップによっても、違いがあるようなので(・・・といっても、殆ど、スーパーの束売りの生花を買っています)、母が元気だったころは、拙宅庭にも、花が咲いていたし、歩かないとダメになる・・・と言って、痛む足を引づって、母は、散歩に出かけ、野の花を摘んできたりしていました。
花が好き・・・というよりは、摘んできて、ちょっと飾っておしまい・・・というか、まめに水を換えたりはしなかったから、枯れて来たら、私が、ブツブツ言いながら、捨てる・・・と言う感じ。
それでも、花の季節には、いつも部屋に、生花がありました(母は、亡くなる1年前くらいから、歩くのが困難になってきて、買い物や散歩にも出なくなって、花を飾ることもなくなっておりました)。
生花を買ってきて、花瓶に活けても、すぐに、花が下を向いてしまうものなどは、ガクのすぐ下から、切って、水に浮かべると、結構、長く楽しめたりすることを知りました。
紅梅の枝を切ってきたときに、どうしても、邪魔になる蕾があって、切り取りココットに水を張り、蕾ごと浸けておいたら、次々を花を咲かせておりました。
フラワーボウルという花器で、小さなボウルに目の粗い網目状の金属がついていて、短い茎の花をたくさん活けてられるものを、母は買っていて(母が使うことは殆どなくて、押し入れの奥にしまってありました)、それを使ってみると、花を買う頻度が少なくなったような気もします・・・もっとも、今は、寒い時期だから、生花は、長持ちしますね(夏場は、すぐに萎れてしまうので、特殊加工?したプリザーブド・フラワーを仏壇に置いています)。
そういう花器があるなんて、全く知らなかったし、長い間、生花を活ける・・・なんてことは、無駄なことだとおもっていて(会社勤めが、精一杯で、随分と余裕のない生活を長くしていて、失職して暇を持て余していても、花を飾る気にならなかったです)、やはり心にゆとりがないと、花を愛でるのは、ちょっと難しい気がしています。
水換えも結構、面倒で、ほおっておくと、腐敗してくるし・・・。
風流、風雅には、無縁だったなぁ・・・と思う如月も残りあと僅かな日々・・・