鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

旅の記憶②・吉野山・春の旅

2022-02-28 21:22:33 | Weblog

最高気温15度。

暖かく春めいた週明け。

 

空気も春っぽい。

先週は、まだ寒くて、真冬並みだったのに、数日で、春になってしまった感もあり・・・。

三寒四温というか、また冬に戻ったりしながら、春はまったりやって来る・・・。

 

母と旅行に出かけていた10年間くらいは、冬の旅というのは、少なかった。

出かけたとしても、日帰りのバス・ツアーくらいで。

でも、春になると出かけたくなって。

 

母は、57歳で、未亡人になった。

父は、60歳前から、肺癌を患い、脳に転移して・・・入退院を繰り返し、抗ガン剤だの、放射線だの・・・と、まだ63歳だったのに、亡くなったときには、90歳過ぎのボロボロの老人のような姿になっていた。

父が、入院していたときは、それ程でもなかったけれど、入院も3か月とかを過ぎると、病院から追い出され、一時退院とかで、自宅に戻ってきているときは、もう地獄だった。

・・・特に、脳を手術してからは、(今でいう)認知症のような症状が現れ、妄想が酷くなり、そして、肺癌が悪化して、また入院を繰り返し、3か月経つと、今度は別の入院先を探さねばならず・・・といった状態で、心の休まる暇もなかった。

そんな重圧も、転院先が決まる前に、父は、大量活血をして、この世を去った。

昔、何方かの漫画で、『洗面器いっぱい血を吐きましたけれど。』という件(くだり)があって、そりゃ、死ぬわな・・・と思ったけれど、父の喀血は、洗面器どころではなくて、バケツいっぱいくらいあったような気がする。ベッドの下に置かれていた医療用の容器の中に、肺が破れて?吐いたと思われる血で溢れていたのだった・・・。

苦しかったのかもしれないし、もう痛みなど、感じない状態だったのかもしれないし・・・。

母の最期とは、天と地とも差があったな・・・などと、今更ながらに、思った。

 

ひとつの憂いがなくなって、母と私は、もう父の事を気することもなく、気儘に旅に出かけることが出来るようになった。

 

そして毎年、春が待ち遠しかった。

  

母が、60歳で、定年退職した年の4月。

私は、母に、奈良・京都・南紀の旅をプレゼントした。

吉野の桜を見るツアーだった。

 

有吉佐和子の描いた小説『紀の川』の、本物の紀の川を、初めてみた。

紀の川の青さ・・・紀の川は、青かった。

 

吉野の千本桜。

下千本、中千本、上千本。

金峯山寺。

柿の葉寿司。

 

高野山。宿坊。

和歌山・紀三井寺(階段がきつくて、母は門前のお土産屋さんめぐり。私は、お寺迄、階段を上った)。

京都の丸山公園。枝垂桜。八坂神社。

また、いつか訪ねよう・・・と思っていたら、ひとりになってしまった。

 

春の関西って、いいよなぁ。

 

桜の開花の時期になると、いつも思いをはせるのは、母と訪ねた吉野の山・春の旅。