鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

美青年のいる文学史

2012-05-11 22:50:34 | Weblog
風爽やか。午後通り雨。


ブログも少しご無沙汰でした。
少しづつ書いてみたのですが、(いつものごとく)オチは、つかないし、まとまらないし・・・状態だったので、少しお休みです。

万巻を読みつくしたひとなら、語る資格があるのだと思うけれど、私の狭い読書の範疇で、語ることをお許し下さい。
異論もあるだろうと思うのですが・・・。

少々、遡って、四半世紀前くらい。
日本の文学史上、一番の美青年は、三島由紀夫氏の描くところ、『豊饒の海・第一巻・春の雪』、
若干二十歳前に、その命を散らすことになる松枝清顕というのが定番でした。
数年前、ちょっと・・・イヤ、かなりイメージに合わないお二人の役者さんによって、映画化されましたが、ナンカ・・・ちょっと見、相当、ガッカリしました。
文学史上、一番の美青年なのに、なんで・・・?そのうえ、相手方の恋人役が、なんで、あの女優さんなんだろう・・・と、少し、イライラしました。

想像とヴィジュアルの間に、相当のギャップがあった訳です。
もちろん、見ませんでしたけどね・・・。

・・・で、現在は、誰なんだろう・・・。
日本文学では、急に、思いつかないので、暫く、ご猶予を・・・。

日本文学って範疇で、ヴィジュアル化(映像化)する・・・或いは、ヴィジュアル化できる土壌がないのかもしれない・・・。
欧州のように、『破滅的美青年』が、街を歩いているという環境?ではなかったし、オンナのように美しい男なんてのは、あまり、歓迎されない風潮にあったのかもしれないし・・・。
多分、明治以降の富国強兵、軍事増強によるもので、
『オトコは、タフで、強くなくてはいけない・・・。』
と国民的に洗脳されたせいで、美しいヴィジュアルのオトコは、オトコとして価値がない・・・みたいな・・・かなり無謀・・・な洗脳。
勿体ないなぁ・・・折角、神様が、美しく作ってくださったのに・・・。

文学と映像が結びつくのも、最近(・・・というか、ここ100年くらい)のことだろうし。

男性作家が、美しい男を描くのは、きっと難儀なことに違いない・・・。


『風火家人』な月曜日。

2012-05-07 22:53:42 | Weblog
爽やかな五月晴れ。


たぶん、週明けは、地獄だね~~~4月度決算後半戦。
前月の決算は、落雷の影響があって、事務所入室システムとタイムカードは、全く作動しなかったし、パソコンもネットワークに繋がらず、ファクシミリ、複合機も不具合・・・、まあ、週明けだし、仕事するなよ・・・のような状態だった。

でもなぁ・・・会計システム・ロックは、本日だし・・・、処理数は、少ないものの、金額が大きいため、時間もかかる・・・。

それに・・・多分、ものすごく、落ち込むような出来事も予想されるからだ。

カバラ数秘術でも、最悪の日のようだし、どうも西洋占星術もよくないらしい。

こうやって、前もって予言されている日は、もう一日休暇でも取れれば、気もラクになるというものだけれど、何度も言うようだけれど、本日は、4月度会計締日。
事故か病気で、病院に搬送されるか、或いは、死なない限りは・・・休むなんてできないかなぁ・・・などと、思うけれど、実は、金曜の夜から、何となく、身体の具合も悪い・・・。

最悪だと予想されるけれど、一応、易を立ててみた。

風火家人・・・五爻変・・・大吉。

でもなぁ・・・。
占った時間は、おり悪く、ボイド・タイム・・・。
月が味方してくれない時間帯らしい。占いの結果も全て無効・・・か・・・。
無効・・・キャンセル・・・だもんなぁ・・・。

静かで、穏やかで、いい卦なんだけどなぁ・・・。

・・・ところが・・・コレ、案外、当たっておりました。
仕事は、何故か、サクサク終わり、面倒な案件も、クレームも、全くと言っていいほどなくて、いつもの月初とは、様子が違う・・・。

私は、この卦が、好きである・・・。

とっても、とっても好きである。


是非に及ばず・・・。 

2012-05-06 22:55:05 | Weblog
午後から、雹・雷・突風・大雨の大荒れセット・・・そして、おまけの五月闇。


是非に及ばず・・・。 
理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句・・・という解説でした。
織田信長が、本能寺の変で、自害?したときの言葉で、『仕方がない・・・』ということ・・・。

普通に生活していても、『仕方がない』という現象は、多々ありますかね?
自分じゃ、どうにも解決できないような問題にブチあったったとき。

・・・小さなことでは、
①HDD録画機能のついたテレビの再生ができなくなってしまった・・・まだ、購入してから、1年くらいしかっていないし、1週間に2回くらいしか使ってないのに・・・みたいなことから、始まって、コレは、修理に出すしかないでしょう・・・自分じゃ解消できないし、でもな・・・修理代の方が、高くつきそうだし、レコーダ買っちまった方が安上がりではないだろうか・・・

・・・ソレ程、大きくはないれけど、中くらいってことでは・・・
②この仕事どうやっていいのか、皆目見当がつかない・・・ってのも、私の勤務する会社じゃ、多々あることで、それは、私の仕事に関して、管理監督しているひとが、いないってことなので、問題が起こるたびに、さて、まず、何処へ指示を仰ぎにいったらよいのか・・・ってことから、始めないといけないんですが・・・こういうのって、普通なのかどうか・・・???面倒くさい・・・し・・・。

・・・で、ちょっと、大きめになると、
③もうこんな会社辞めてやる・・・或いは、こんな家、出て行ってやる!みたいな雰囲気。
コレは、まさに、是非に及ばずの・・・ような状態で、次に来る問いは・・・。
充分わかった。辛いのはよくわかる・・・でもさ、会社辞めてどうすんの?生活できないよ・・・で、更に家出するなら、もっとお金かかるよ・・・。

八方塞がりな状態でもある。『四面楚歌』ともいうかな・・・。
ただ、これらの憂いは、ほとんどが、『カネ』で解決できそうだ。
『カネ』で、解決できることは、たぶん、是非に及ばず・・・とは言わない問題なんだろうと思う。
くだんの織田信長は、生きるか死ぬかで、死ぬしかないときに、使っている。

・・・是非に及ばず・・・

・・・ということは、生死にかかわること以外で、是非に及ばず・・・仕方がない・・・というのは、使用不適切なのかもしれません・・・。

・・・是非に及ばず・・・明日から、仕事だ・・・←間違った使用例。

諦めの連休

2012-05-05 22:43:21 | Weblog
さわやか。五月晴れ。風最高・・・。


9連休などとはしゃいでいたけれど、やっぱり、今年も何もせずに終わりを迎えている。
後半は、天気もあまりよくなくて、降雨量が、5月としては最も多い記録的な大雨・・・とニュースは、伝えていた。

雨の日などは、終日、雨の音を聞きながら、例の如く、昼夜逆転生活・・・を送っていて、夜中起きているのも、また楽しいものだね・・・と思いながら。

一応、連休の前などは、アレして、コレして、ソレもして・・・と計画だけは、立ててみるものの、どうしても、その計画を全うすることが出来ずにいる。

貧乏性なので、アレも、コレも、ソレもしないと・・・と気ばかり焦るけれど、リミットのあることではないし、仕事でもないのだから・・・と思うことにした。

まあ・・・いいか・・・。

しかも、身体もあまり動かない。
別に、何処か悪いわけでもないのだろうけれど、去年の原発事故で、たぶん、大気中に放出されたヨウ素が、もともと弱い甲状腺に、多少なりとも取り込まれたんだろうと思う。
普通のひとには、影響なくても、まあ普通じゃないからな・・・。
やっぱ、ドッカ悪いんでしょう。状態があまりよくない・・・ような気もしてきたので、とりあえず諦めることにした。

あと何年後かには、ガンを発症するかもなぁ・・・???
・・・だったら、何も、今、無理することないわな・・・。

そう思ったら、なんだか、本当に、どうでもよくなってきて、別に、頑張って、会社行かなくてもいいよな・・・とまで、思い始めた。
・・・別に、いいよな・・・。私がやらなければ、誰かヤルだろうし。
馬鹿みたいに頑張ったって、どうせ、何も報われないんだしな・・・。

もし、あと数年の寿命なら、いいか・・・ここで、全てを辞めてしまっても・・・なんて、思うと、気がラクになってくる。

グータラ暮らすか・・・。

諦めることは、たぶん、きっと、よいことなのだ・・・。

幸福な読書癖

2012-05-04 22:48:12 | Weblog
晴・曇・雷雨・晴・・・空は、目まぐるしく色を変える。


このところ、終日(・・・というわけでも、ないけれど)、身体を横にしている。

普通の会社員は、年末・年始、4月末から5月初旬にかけての所謂、大型連休、8月半ばの夏季休業といったあたりが、まとまった休暇の取れる時期だろう。

夜中から、明け方にかけて、眠くなるまで本を読み、昼過ぎに起きて、好きな食事を作り、昼酒など嗜み、午睡を経て、食事をして、また明け方まで、読書をする・・・これは、もう至福としか言いようのない幸福感だ。

何しろ、決まった時間に起きなくていいし、退屈で、ツマラナイ・・・カネになる仕事は、しなくてもいいし、気儘な猫のような暮らしが、年に3回程、出来る訳だ。
年3回は、少ないかもしれないけれど、生活するには、『カネ』がいるから仕方がない。
その『カネ』を捻出するのが、生きる事(ツマラナイ仕事をすること)なのだ。

ツマラナイ仕事だから、会社も『カネ』を払って、代わりにやって貰う訳で・・・楽しい仕事なら、『カネ』なんかもらわなくても、自分でやるだろうから・・・。

・・・それでも、そんな『ツマラナイ仕事』でさえ、喪失の危機に立ったのが、2008年で、その後、2009年は、もう公私ともに、生きていても仕方がないのではないか・・・と思えるくらいの精神的に追い詰められた時期があった。
そのときは、好きな読書をしていても、右から左へ流れていくだけで、ただ、目で、活字を追っているに過ぎず、それでも、活字から離れることができなかった。
全く、不毛な読書をしていた時期でもあった。

物語を必要とするのは、不幸な人間だ。幸福な人間に、物語は、要らない。
(皆川博子『薔薇密室』)

それを踏まえて、耐えられない程、不幸な人間にも、物語は、要らない・・・と付け加えておこうか。

物語を必要としない程の不幸・・・。
それは、物語を読んでいても、目の前にある苦痛(精神的な・・・或いは身体的な)から、逃れられない不幸である。

・・その不幸を打ち破るほど、没入できる作品に、出会えるか否か・・・。

物語も出会いモノであろう。

運命が与えてくれるものなのだろうと思ったりする(また・・・大袈裟な・・・)。

貧乏症な読書癖~続きは、また明日

2012-05-03 23:01:40 | Weblog
終日、本降りの雨。


私は、貧乏性である。
・・・コレは、この拙ブログ内に過去、何度もかかせていただきました。
貧乏性で、貧乏籤ばかり引き続けている・・・そんな、情けないブログである。

こと・・・読書に関しても、私は、貧乏性であることを認識した。

本を購入することに対しては、それ程、ケチっている訳ではないし、余程高額な本でなければ、お財布の許す範囲で、購入している(・・・しかも、古書は、あまり好まないので、できるだけ、新しいものを購入するようにしている。古書については、前の持ち主の念が入る場合も多々あるということなので、出来れば、新品の方が良い・・・というお説があった)。

短編の場合は、あまり問題はないのであるが、問題は、長編作品にあった。
長編を読みだして、オモシロイ!と思うと、続きを読むのが、勿体なくなる・・・という感覚である。
勿論・・・続きは、早く読みたいし、どういう展開になるのか知りたい・・・。

・・・でも、結末を知ってしまうと、楽しみがなくなるというか・・・。
コレを読みえてしまったら、何を楽しみに生きていけばいいのだろう(←大袈裟!)

そこで、逡巡する。
もう一度、巻頭に戻って、最初から読み直したりする。
或いは、あと1章読んだら、今日は、おしまいにしよう・・・などと、先延ばしをする。
続きをしりたいのに、知りたくない・・・というジレンマ。
終わりにしたくない・・・いつまでも、先を知らずに、楽しんでいたい・・・。

読書ビギナー(中学生時代)は、1時間に、20ページ前後くらいしか進まなかった。それくらい遅かったし、そのヘンで、大体、疲れてくるし、20ページを目安に『続きは、また明日!』ということになっていた。

・・・しかし、最近では、『続きは、また明日』まで待てないのよね!でも、やはり、明日楽しくなかったときのために、少しとっておこうか・・・。
コレ、まさに、貧乏性。

明日と言う日が、確実に存在するのであれば、明日でもいいけれど、1時間後に大地震がきて、死ぬかもしれないし・・・明日は、明日で、片頭痛がくるかもしれないし・・・。

・・・だったら、今、読んじまえ・・・と思うものの、やっぱり、続きは、明日にお取り置きしておきたい。

貧乏臭く・・・、ジレンマ・・・で、・・・お取り置き的な・・・読書。

『聖餐城:皆川博子・著』②~対極にある融合

2012-05-02 22:51:21 | Weblog
五月闇・・・。薄暗い一日。午後から本降りの雨。


皆川博子さんの構築する世界は、美と醜、富と貧、高潔さと退廃・・・相反する二つの事象が、複雑に絡み合って、澱んだ生暖かい湿度の高い世界と言えるかもしれません。

水清ければ魚棲まず・・・。
あまりにも美しく清浄な世界は、面白くもなんともないってことです。

少年アディは、『馬鹿』とイシュアに罵られながらも、高潔で、まっすぐで純粋で、悩み多く、それでも、品格のある士官に育っていきます。
一方、富豪のユダヤ人少年・イシュアは、生まれながらに、身体に異常のある・・・不具者として、存在します。まだ幼い少年のときに、政治的取引で、早い者なら3日で、気が狂うといわれる密獄ダリンボルに幽閉されて、髪は、老人のごとく白髪で、背も爪も伸びることなく、矮躯のまま大人になります。
占星術・錬金術にたけ、故・ルドルフ二世の遺物・聖餐城と青銅の首の謎を解き、自ら、予言し、神聖ローマ帝国を影から操る影の存在となっていきます。

イシュアを軸にアディはと別の対極にある長兄のシムションの存在もまた、この物語の支柱となっています。
シムションは、躾のよすぎる子犬のような少年時代を、宮廷に出入りし、知力に溢れ、ユダヤ人の人権を確保するには、経済で、世界を動かすしかない・・・と思い至ります。
自分とは正反対で、政治的取引に利用したその長兄・シムションに対する報復を望むイシュア。

そして、ユダヤ人兄弟の対立を軸に、ローゼンブルクの貴族で、傭兵隊長のダーフィトとフロリアンのローゼンミュラー兄弟を、アディと同じ側の高潔さで、美しい世界に配置し、同心円状に広がりながら、描き出します。

皆川博子さんは、先の『薔薇密室』でも、天使のように美しい顔を持ちながら、身体が歪な少年・・・『美しい劣等体』を、ひとつの独立したモチーフとして登場させます。

かの『妖桜記』では、南朝の高貴でひ弱な美しい皇子を、さんざんいたぶって喜ぶ、名前は『百合王』と美しいけれど、見るのも醜悪で、厭らしい歪(矮)人として登場させているし、美と醜の対立は、やがて、融合されて、よどんだ水に暖かなぬくみと豊かな物語の海を構築させていくようです。

醜悪で美しく、対極を、両極に、融合を擾乱へ、そして何より、美しい心は、汚濁の中でも、潰えることがない・・・ということを、思い出させてくれるようです。


『聖餐城:皆川博子・著』

2012-05-01 22:50:51 | Weblog
午後から、暗雲のち雨。


大型連休に入る前から、休日を待ちきれなくて、読み始めてしまったのだけれど・・・。
長編でございます。
長編だから長いです(当たり前だけど・・・)。
登場人物・・・巻頭の一覧にあるだけでも42名。
しかも、17世紀神聖ローマ帝国時代のドイツ語系?長~~~い名前・・・。

まず、なにより驚いていただきたいのは、この本の著者である皆川博子先生の御年。
生年月日が二つあるようなのですが、この本のカバーに表記されているのは、1930年・・・現在82歳。
この『聖餐城』が、上梓されたのは、2007年・・・。77歳の頃の作品という計算になりまするな。

どぁぁぁぁぁぁ・・・77歳の婆さま(失礼!)の御作とは、とても、とても思えません。
迫力のある戦闘シーンは、臨場感あふれ、まるで、映像をみているような筆致。
コレ、本当に、女性の・・・しかも、お年を召された方の筆でしょうか・・・と思えるくらい凄い。
武器弾薬および、馬術の描写なんて、軍事マニアだって、こんなふうには、描けないのでは・・・?

舞台は、神聖ローマ帝国・・・大体、この国の名前は、世界史の試験にでたのだけれど、不覚にも私は、失念し、『ドイツ帝国』なんて、書いちまった恥ずべき過去がありまして、地理的には、概ね正しいと思うのですが、現在のドイツとチェコとオーストリアとスイスとか・・・あの辺、東ヨーロッパ一帯でございます・・・で、17世紀の30年戦争を舞台に、孤児(一応、養い親はいますが)のアディとユダヤ人の富豪の少年イシュア・コーヘンの出会いから始まります。
ユダヤ人少年・イシュアは、(出来損ないの)人造人間という設定になっております。その秘密も徐々に明かされていきますが、そのへんも、ほんとに、77歳の・・・と御婆さまの御作とは、思えないくらい・・・年少の男性作家には、まず、無理だろうし、40歳代の力のある男性作家だって、こういう複雑な構想で描き切れるかどうか・・・。

本篇の主人公は、少年・アディなのだけれど、アディと不思議な友情のつながりをもつ富豪ユダヤ人・イシュアとその長兄・シムションの野望、そして、二人の権力争いが、主軸となっておりますが、物語は、それだけでは終わりません。
タイトルの『聖餐城』と『青銅の首』の秘密、占星術、錬金術、カバラ、ノタリコン・・・魔術、オカルト(←コレ使っていいのかどうか?)、神秘系、耽美系・・・もう1冊で、お腹一杯でございます。

更に、ユダヤ人の歴史、刑吏の成り立ち・・・アディの切なく、悲しい、禁断の恋・・・ロマン系だって忘れてはおりません。

855ページの物語の海・・・堪能させていただきました。